この記事へのコメント
「25歳の竹山広よ」の「25歳」は現長崎大学付属病院?(前身の学校時は茂吉が勤務した)に結核で入院していた竹山広(1920年2月29日生まれ)が、退院予定日の1945年8月9日に被爆した時のことをさす。「ろくじふごねん」はその日から先日(4月30日)に亡くなられた日までの年月。 竹山広についての大雑把な事実を踏まえているが、いかにも大雑把な事実しか把握してなくて、それをそのまま出して「〜をおもう」と結句で逃げてしまった表現で終わっている。そのため、作者が竹山広の短歌が好きで、その死の報に何らかの感慨をもってこの歌をつくったのだろうな、とは察することがでますが、それ以上の具体的なイメージがもてません。
 例えば、茂吉が上京した時の年齢が(今、手元で不明なので)17歳として、「17歳の斎藤茂吉よ その後のごじふごねんの一生(ひとよ)をおもふ」という短歌を作っても(茂吉は被爆していませんが)具体的なイメージは何も表現し得ていないとおもいます。 
Posted by 山寺修象 at 2010年04月09日 09:47
4月30日は3月30日の間違い。すみません。
Posted by 山寺修象 at 2010年04月09日 22:00
>二十五歳の竹山広よ

>その後のろくじふごねんの一生(ひとよ)をおもふ

2句の最後「よ」という呼びかけが、結句のおもふという語と呼応して、詠嘆というよりもいくらか不遜が出てしまって、作者の本当の意とはきっと離れてしまった表現になっているのではないかと感じます。

>その後のろくじふごねんの一生
というのも、なんとも概括的で残念。表現としても、この短い3句は同じことをくり返して言っているから、削るべきものがありますね。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年04月10日 09:21
2人の方が取り上げた『竹山広』という歌人に興味を持ち、図書館にリクエストして『竹山広 全歌集』を借りました。
昨日から読み始めたところです。

すごいです。
書物でガーンとぶん殴られる感覚です。
短歌という形式の表現できる奥深さにショックを受けています。

短歌初心者の私にとって、歌会で得られる情報は貴重です。
作者にお礼を申し上げます。
Posted by 三田村まどか at 2010年04月15日 17:50
短歌という形式について今ここで述べる用意はないので、大雑把な感想しか書けないのだが、ことさらドラマティックに詠って感動を与えることがすべてではないと思った。
この作者が果たして、25歳なのか、あるいは、竹山の没年齢に近いひとなのかは分からない。まったく違う年齢なのかもしれないが、それは構わない。
竹山という歌人の辿った人生を知らなければ意が伝わらないけれども、ここですべてを語りきることは不可能である。
人名その他の固有名詞を遣う場合、説明しなければならないとすると不毛だ。
このように、慨嘆で締めくくる歌があってもよいと思う。
これは、祷歌として、共感を呼ぶ。
 ろくじふごねんの一生(ひとよ)をおもふ
65年をひらがなで表記したことで、その65年の長さを表した。「一生」をひとよ、とルビを振ったことで、長い長い竹山の人生が「一夜(ひとよ)」の夢でもあると言外に言っているような気もする。
テクニックを労していながらそう思わせない秀作と思った。
「おもふ」で見事に「われ」に着地していますね。
Posted by 花森こま at 2010年04月18日 08:56
 亡くなったひとのなにをか思うこと、わたしもしばしばあります。とくによく知っている人ではなくても、ファンというわけではなくても、しかしその訃報を知ったときに、ああ、と感じることはしばしばあります。そしてふと、報道で概略しかわからないながらも、さらに思いをはせること、あります。この歌は、きっとそういったことを詠んだのだと思います。実はわたしも、竹山広さんが亡くなったことを知って、同じようなことを考えました。

 きっと「ろくじふごねん」と「一生」は、よくよく考えて使用したように思います。しかしながら、わたしは、成功したようには思えません。
「ろくじふごねん」はスタンダードなら「六十五年」で、その方がわかりやすいですし、文字の感触としても良いと思います。また、「二十五歳」に合わせるということからも、漢字表記の方がよかったように思います。
「一生」は、とても魅力的ですが、ここでは浮いてしまっていると思います。この歌は、性質上、うたいあげるというよりも、地味にさしだされるもののように思います。

 一字空けも気になります。おそらく「よ」と「そ」がくっついていると「よそ」となるので空けたのでしょうけれど、他の言葉をあてることによって、回避できると思います。

 また、長谷川さんが指摘されているように、内容は整理できると思います。

  初句の「竹山広よ」の、詠嘆のこもった呼びかけは好きです。感情はここに表出しているので、これをいかして、あとを淡々と初句を支えるようなつくりにできれば良いと思います。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年04月19日 20:27
「二十五歳の竹山広よ」という詠嘆ではじまり、
「一世(ひとよ)をおもふ」で締めくくられていて、
死者へささげる挽歌としてはこれでいいのかもしれないが、
死者以外の読み手には響いてくるものが少ない歌だと感じた。
結句の七文字で大胆な隠喩を試みてほしかった。
「一世(ひとよ)をおもふ」と漠然とした形のままを歌にするのでなく、
どう自分が思ったのか、その部分を表現してこそ短歌と言えるのではないだろうか。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月21日 11:58
>二十五歳の竹山広よ その後のろくじふごねんの一生(ひとよ)をおもふ

竹山広は、ずっと注目して尊敬していた歌人で、先日亡くなられたことは本当に残念です。
二十五歳で被爆されたわけですが、そのときは結核で入院していて、退院の許可が出て、義理のお兄さんが迎えに来るのを待っているときだったということです。
だから、二十五歳は竹山広のターニングポイントであり、作者はその年の彼に呼びかけたのでしょう。
この歌は「二十五歳の竹山広よ」で一字あけて(切れて)、その後のろくじふごねんの一生(ひとよ)・・・となっていて、しっかり読まないと「ろくじふごねんの一生」かと勘違いしそうです。誤解しないための言葉として「その後の」があるので、誤解するはずはないのですが、そこがすっきりしません。

何はともあれ、このネット歌会で竹山広についての歌が二首出たことは(亡くなられたことは残念ですが)嬉しいことでした。
Posted by 近藤かすみ at 2010年04月21日 17:31
作者の気付かなかったいろいろな視点からの、
率直な、またあたたかいコメントを頂けたことに
深く感謝いたします。
ネット歌会に初めて参加して、貴重な楽しい経
験をさせて頂けたことが、嬉しいです。

三田村まどかさんが書いてくださった
「書物でガーンとぶん殴られる感覚。」
『竹山広 全歌集』を初めて読んだ時、私もまさに
その通りのショックを受けました。
数首読んだ後あの分厚い歌集を思わずパタンと閉じて、
しばらく読めずにそのまま置いておきました。
以来、竹山広さんは、心から敬愛する歌人でした。

今回の拙歌について書かせていただきます。

二十五歳の竹山広よ その後のろくじふごねんの一生(ひとよ)をおもふ

「二十五歳の竹山広よ」は、当時死と直結するような病であった
「結核」の闘病をした若い竹山さんの生の過酷さを想ったことばです。
「結核」だけでも、十二分に過酷な試練だったと思ったのです。

「ろくじふごねん」は、そんな竹山さんの人生を決定的に変えた「原爆」、
原爆が心身にもたらしたであろう、さらにも過酷な人生を想うとき、
自然とひらがなになりました。

「一生」に「ひとよ」という美しい音のよみを当てたのは、別な方向で見ると
きっと幸福でいらしたにちがいない、竹山さんのよき御伴侶との人生を
想ったときに、また残された素晴らしいお歌に対する尊敬で、
こうよみたくなったのでした。


ここに『短歌現代』2010年5月号の、宮原望子さんの挽歌連作
「二度と死なない」より四首を紹介させていただき、あらためて、
竹山広さんのご冥福をお祈りいたします。

今朝、と言ひて途切れし電話のその後を瞬時に悟りしおそろしきわれ

洗濯物干してゐる間(ま)に・・・と泣きたまふ夫人よ あつけなくてよかつた

原爆の火を見し人に火葬の火せまる時刻ぞおろおろとゐる

不安の中の大き一つは消えにけり竹山広は二度と死なない
Posted by 梶崎恭子 at 2010年04月30日 12:03