2010年04月06日

第1回ネット歌会詠草/35

春の雪掌に溶け逢いに行く明日履く靴を選びかね居り


posted by 短歌人会 at 00:00| Comment(9) | 第1回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
降ってはすぐ消える名残の雪にこころを寄せ、
まだ春浅い日、恋人に逢いに行くための靴を選びかねている
という相聞の歌。
掌は「てのひら」としたほうがスムーズに読めるかと思いました。
季節感と揺れ動くこころが上手くマッチしたのではないでしょうか。
Posted by 三島麻亜子 at 2010年04月09日 10:05
今回の36首のなかで最も好きな歌でした。
春の雪掌に溶け、だから戸外にいる場面でやや、その場を想像しにくいような気もするが、明日はこの雪も止むだろうかなどと考え、どの靴を履いていこうか、ときめきながらにあれこれ思っている作者の気持ちがよく出ていると思う。 
漢字をおもいきって減らすと、やわらかな感じになって、さらに僕の好きな歌になりそうな気がします。



Posted by 永井秀幸 at 2010年04月09日 17:21
手のひらの熱ですぐに溶けてしまう春の淡雪・・まだ恋人と付き合い始めてまもないのかもしれない初々しい恋のイメージと重なって素敵です。
ただ動詞が4個と多く、しかもそのうち二つが「逢いに行く」「選びかね」と二つの動詞の連合体です。
読んでいて息切れがして、音律としてはスムーズではありません。
この動詞を少なくしたいです。
意味を変えずに取れるのは「履く」です。
「明日履く靴を」→「明日の靴を」で意味は通じるのでは。
Posted by 海野 雪 at 2010年04月09日 19:37
「選びかね居り」の時刻は夜だろう。「逢いに行く」のは明日。明日のことを「春の雪掌に溶け逢いに行く」と表現するのは僕には変に感じられます。
 「明日履く靴を選びかね居り」は、発想的に限りなく第二イメージ(多くの人が服の次にイメージする)に近く、限りなく平凡なのではないでしょうか。
Posted by 山寺修象 at 2010年04月09日 22:28
春の雪掌に溶け、で一旦切れるのではないでしょうか。つまり春の雪が掌に溶けるのは明日ではなく、靴を選びかねている今日のことで変には感じられないと思います。
Posted by 永井秀幸 at 2010年04月13日 17:04
明日に迫ったデートに着てゆく服ではなく、履いてゆく靴でお悩みされるというポイントに女らしさ、あるいは女心のようなものを感じる次第の作品である。
シンデレラの物語でもガラスの靴が最終的な決め手となって幸せを射止めたことだし、女性にとって靴の選択は重要なコンセプトのひとつなのだろう。
シンデレラがその後どのような結婚生活を過したかは知る由もないが、共同生活も長くなってくると「シンデレラ」というよりも「シンデクレ」と密かに思うようなことも、時として起り得るという情況をこの場を借りて自白しておきたい。
さて、明日のデートに作者は、恐らくその服装を「ここは春らしくスキニーフィットのデニムでも決めて」と考えていたことであろう。
そして逢いにゆく道すがら無意識にスキップなんかきっちゃうといけないから、軽いパンプスでも履いて・・なんて甘い未来予想図を描いていたことであろう。
それが季節外れの突然の雪だ。
スキニーフィットにショートブーツを組み合わせたら、まるでバンクーバーオリンピックのスピードスケート選手だし・・ロングブーツでも履いた日にゃ、まさしくナチの親衛隊。こうなったら頭のテッペンから爪先にいたるまで総入れ替えしなきゃならないし・・もうどうにも(ま)とまらない、という心中穏やかならざる作者像が浮上してくる。これは狂おしい女心を軽やかに詠い上げた作品であろう。
余談だが、美しくなりたいと思う女心はいつの時代も変らない。実は私もその女心を飯のタネしているわけだが(とりあえず現役の美容師)。
女性を美しくするための方法は、衣類を初め美容院、化粧品、健康器具、エアロビクス、エステ、サプリメント、はては整形手術とその形は様々。時代の流行によって変る女性の美への欲求に応じて、美容産業も手を変え品を変え商法を変化させてきた。
そこでこれだけは言っておきたいのだが、いくらお金をつぎ込もうが、日々の本人の努力なくしては美しくはなれない。自らの創造力と工夫こそが、美しさを獲得するための王道であろう。
そのためにも、靴の選択には大いに悩み苦しんで頂きたいと思う。それが明日の貴女の幸せにきっと繋がることでしょう。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月21日 07:11
「シンデレラ」が「シンデクレ」には思わず笑ってしまったけれども・・・w
甘いなー、と思ってコメントをしていませんでしたが、作者の身になれば、たくさんの意見があったほうがうれしいと思うので、書いておきますね。
春の宵に、明日逢うひとを思ってあれこれ着て行く服や靴を選びかねている女心は愛らしいと思います。掌、をてのひらに、というご意見もありましたが、わたしの感覚ですと、それは一首が大変長たらしくなってしまうような気がしますので、掌で締まったと思いました。
 春の雪掌に溶け逢いに行く明日履く靴を選びかね居り
動線が多く、落ち着きがないと、わたしも思います。
「春の雪掌に溶け」でいったん切れているので、「逢いに行く」は明日のことなのですから「明日履く靴」とイメージが混乱しているように思いました。ですから、海野さんの言われるように「明日の靴を選びかね居り」でよいと思います。でも、これでもまだ、「逢いに行く明日」があいまいですよね。今からまさに逢いに行くのかと読めてしまいます。あくまでも、逢うのは明日で、その時のための靴を選びかねているのだから、もう少し整理されたらずっとよい相聞歌になるのではないでしょうか。惜しいですね。
でも、出来上がった歌に対するみなさんの意見を聞いて勉強するのが歌会の意味、主旨ですから、作者が謙虚に受け止めて考える場として、歌会はありがたいことですね。
なお、この歌の場合というのではなく、発言(コメント)する場合は、前発言者の意見を読んで理解してから書き込むとよいかなと思いました。急いでいたので、というのも分からなくもないですが、落ち着いて書き込むといいかと思いました。コメントは作者のためにというばかりではなく、自分の意見、考えを整理する役にも立ちます。すべて勉強ですね。
Posted by 花森こま at 2010年04月21日 10:37
漢字の使用率が50%もあるからだろう、見た目が美しくありません。
何を詠うかは当然として、漢字とひらがなの表記のバランスも重要。
もう少し心配りがほしいものです。
表記に正解はなく、作者のセンスによる所が大きいのでしょうが、
僕だったら、最低でも「掌」「行く」はひらがなにします。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月21日 11:50
>春の雪掌に溶け逢いに行く明日履く靴を選びかね居り

この歌の眼目は下句「明日履く靴を選びかね居り」だと思います。ところが上句では「春の雪掌に溶け」という今の出来事が書かれていて、ややこしい感じがします。情報が多いと思います。三句目の「逢いに行く」が、今日のことか、明日のことか、どちらとも解釈できます。
明日履く靴を迷っているのが今日であるならば、春の雪を見ながら・・とか、上句の内容を薄い目に作るとどうでしょう。

また、作者の意図を肯定的に取れば、
いま降っている雪がもし積もったら道がぬかるみになるからブーツにするか、明日すっかり晴れるなら思い切ってサンダルでもいいか・・・と迷っているところ。だから上句の「雪」という情報は必要ですね。
Posted by 近藤かすみ at 2010年04月21日 17:01