この記事へのコメント
上手いなあと思う。
恋愛関係なのか、友人関係なのかは分からないが、とりあえず恋愛と解釈するのが定石か。

かみ合わない、不毛なやり取りとして描出されたじれったいコミュニケーションのシニカルなひと齣が、微かなユーモアも帯びている。

「君が触れている私の闇」が、会話における精神的なものなのか、身体的・フィジカルなものなのかは、本文からは読み取れないが、やや抽象化されたエロティシズムが、心地よくも謎めいた味わいを醸し出している。

何気なく用いられた関西弁が効いている。
・・・いつも思うことだが、関西弁が使える人は、お得だと思う。

Posted by 坂本野原 at 2010年04月06日 11:34
「きちんと育てられた」の中身は、礼儀であったり、気遣いのことなのか。表面的なことしか見てくれない相手に失望感とか苛立ちを抱いている感じがとてもよくでていると思いました。きっと恋愛関係なら、このようなとき自然と離れて行ってしまうので、たぶん作者は新婚で、相手は夫かもしれないなあと思って読みました。自然な会話がとてもよく利いていると思いました。
Posted by 山根洋子 at 2010年04月08日 06:59
すみません。先ほどの「利く」は「効く」です。
Posted by 山根洋子 at 2010年04月08日 07:10
「私の闇」というのが何を指すのか、歌から具体的なことは一切わかりませんが、
かなり突っ込んだ身の上話をするまで心を許せるようになってきた交際相手に、
それにまつわる話をしたのでしょう。思い切って「私の闇」を話したつもりが、
相手からは変に肯定的な反応が返って来て、拍子抜けというか、
自分のことをすっかり受け入れてくれることにホッとした一方、
はたして自分のことを本当に理解してくれているのかどうか
少し不安にもなっている感じが詠われていると読みました。

「きちんと育てられたんやね」という関西弁が効果的です。
ただ、4・10音の破調でリズムが悪いので、
「 」でくくって会話文であることを明確に表記したほうが
読む側もリズムを取り易くなってよかったのではないかと思います。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月09日 11:49
会話文と君が出てくると即、相聞歌と連想してしまうウイルス性の症候群が歌人に蔓延しているようです。
そのシチューションは一先ずここでは止めておきましょう。別に新宿の母に人生を占ってもらっているケースだってあることだし・・・。
「きちんと育てられた」この言葉にだけ焦点を絞ってゆきましょう。
人間って言う得体の知れない生き物は、善意に対して腹の底では悪意を感じるものです。そうやって中庸のバランスをとりながら自らの居場所やテメェ自身を絶えず探しているものなんでしょう。
善意に対してさらに善意だけを感じる人を巷では「ノボセモン」と呼んでいるそうです。(多分)
「きちんと育てられた」・・この後に続く「君」の真意は、「それなのになんでこんなイカレポンチに育っちゃったの」ではないでしょうか?(多分)
もしこれが「きちんと育った」と表現されていたならば、俺が夕焼けだった頃・・おふくろはシモヤケで親父は胸焼けだったという過酷な家庭環境を乗り越えて、それでも今の素直な君がいるという別の解答を導け出せたのではないかと思います。
裏街道を長く歩んできた人間にとっては「きちんと育てられた」の一言で、闇まで言う必要は最早ないかと思われて来るのです。
もし今が本当に苦しいのなら、誰もが納得や共感するような言葉を求めずに、作中の「君」だけに伝わるような言葉をむしろ探したほうが良いかと思います。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月10日 20:51
作者は自分の本質をわかってほしい感じ。それを「闇」という一言で表していて好感がもてる。
Posted by 間 ルリ at 2010年04月11日 08:34
倉益敬さんの評論文に感服つかまつりました。

・・・あまりにも鋭敏かつ面白すぎて、もうグウの音も出ねえ。

Posted by 坂本野原 at 2010年04月11日 10:07
 「私の闇」について、たとえば過去なにかとてもつらいことがあったことがあったりして、それが自分の心の傷というか闇になってしまったのでしょうね。フラッシュバックしてしまうことがあって、たとえ愛する人が相手であっても心から受け入れることができず、拒否してしまう・・そのためらいを相手はわかってくれず「きちんと育てられたんやね」と言う。「触れてゐる」のに。私の闇も一緒にまるごと受け入れてほしいのに・・という解釈をしました。
 でも相聞だとしたら、どんな状況であれ「きちんと育てられたんやね」なんてことを言うような男は、あまり私の趣味ではないなぁ。わたしは自分で私になったのよ、なんでここに親がでてくるのっ!?って感じ。・・でもそういうちぐはぐさもまた作者はあきらめのようなものとともに受け入れていく・・そういう気持ちもまた愛なのかな、と思ってみたりしました。

 倉益さんの「俺が夕焼けだった頃・・おふくろはシモヤケで親父は胸焼けだった」、懐かしい! 最近ラジオで偶然聴き、最初は笑っていたのにあれ、おかしいな私泣いてるぞ、ってなってしまいました。 
Posted by 西橋美保 at 2010年04月11日 10:41
「私の闇」が言い過ぎですね。
深く言おうとして、帰って全体が浅くなってしまった。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年04月11日 18:50
「私の闇」もふくめて良い歌だと思いました。
関西弁も成功していると思うし、いろいろと想像力をかきたててくれる歌でした。
Posted by 永井秀幸 at 2010年04月15日 16:36
とても達者な作品だと思います。

いろんなコメントで解るように、読み手の経験則をくすぐる。これが記憶にのこる作品のツボですね。

私の経験則(経験知)からこの作品を読みますと、今頃はやらないかもしれないが、いわゆる援助交際の場面です。

「きちんと育てられたんやね」という感想を述べる男を想像してみます。やや上から目線の言い方です。しかも、初めてそのことを気づいたような言い方=すなわち夫婦などではない。たぶん、デイユースの、すこしマシなホテル(なぜかラブホテルの印象は薄い)でシャワールームの使い方とか、それ以前に食事をしたマナーとか、服の脱ぎ方とか、そういう場面を評価して述べているのだと思います。こういうことを若い男の子が言うだろうか?おそらく、そうとうに年配の、一見マジメそうなというか、スクエアな印象さえする中年の男。
「闇」というのは、性愛の場面。

すでにいろんな角度からのコメントにも含まれていますが、「君」の評言に、作中人物はかすかな落胆(軽い悲しみ)を感じているように読めます。

いかにも経験的読みで、ごめんなさい。
Posted by 西王 燦 at 2010年04月15日 20:23
援助交際説が出て驚きました。
私は年の離れたカップルかと思いました。「私の闇」は、作者のコンプレックスや本人が嫌だと思っている性格のことかと思いますが、「触れ」からやはり性愛の場面かとも思いました。関西弁のやわらかさから、落ち着いた「艶」のようなものを感じます。
Posted by 近藤かすみ at 2010年04月16日 00:06
再度すみません。私が表現にためらっていたことを、西王燦さんがズバリ語ってくださったので助かりました。「「闇」というのは、性愛の場面。」の部分についてです。この言葉があったか、って感じで感謝です。

「小悪魔ageha」って雑誌があります。「キャバクラ嬢の教科書をめざしている。(ウィキペディアより)」って雑誌なんですが、「心の闇」をテーマとしてよく扱っているようです。たとえばある号の表紙のコピーを引用してみますが・・

+引用+
病みから闇へ
漆黒でも暗黒でもない 私たちの黒い闇
服を脱いだら 皮膚をはいだら 私たちは決して 白くない
+引用おわり+

もちろん「心の闇」を性愛に限定してはいけないとは思います。上掲雑誌でもそういう扱いはしていません。
闇ってのは誰でも持つ、人それぞれのもので、それを「私の闇」といとも簡単に表現してしまうことに対する是非もあるかもしれません。

「私の闇」は言い古された言葉かもしれません。でも私の闇なんてのもしょせん世間ではよくある話のひとつってもんかもしれへんし、コイツ何か誤解しとるみたいやけどしゃーない、このままいこか(関西弁)、って気持ちもあるかもしれません。



Posted by 西橋美保 at 2010年04月16日 10:08
いろんなコメントが寄せられている作品なので、今更という感もありますが、もう一度書きます。

これは私の個人的な考えですが、結社誌に参加しているメンバーは(短歌人の場合)同人であろうが会員であろうが、作者としてプロであると思います。NHK学園の添削講座とは違う、のです。
したがって、こういう歌会の際も、私は、ここがキズだとか、こうしたほうがいいとかいう添削ふうな書き方はしないでおこうと思っています。私はこのように読んだ、ということを書くだけ。


きちんと育てられたんやねと君は言ふ私の闇に触れてゐるのに

さて、この「きちんと育てられたんやね」という言葉はどのような男の口から発せられたということについて、反省しています。私は援助交際の相手(の中年の男)と解釈したのですが、はたして援助交際でもしようと思うような男は、こんなにダサイ、というか、相手の素性に差しいるようなことを言うだろうか。おそらくは仮名でホテルをとっているはずだし、氏素性とは別の、仮面的な出会いのはずだ。「そのピアス、いいな」とくらいは言うだろうが、育てられ方などに言及することはない。

そこで考えられるのは、精神科医もしくは心理カウンセラーです。しかも、きわめて凡庸な男。

以上、読み直しのお詫びです。ごめんなさい。
Posted by 西王 燦 at 2010年04月25日 14:46
この歌が一番好きでした。
最終日なので、それだけでも書いておこうと思いました。
Posted by 木嶋章夫 at 2010年04月26日 18:42
コメントをいただきましたみなさま、読んでくださったみなさま、この場をお借りしまして御礼申し上げます。
意表をつく読み(!)を楽しく拝読いたしました。「違う違う!」と思うのではなく、身に覚えがないのに隠し子がいたような(…私は女なのでこの表現は適切ではないかもしれませんが)現実から遊離した気持ちでありながら、まったくといっていいほど不快には思わず、むしろ心地よい気分でもありました。ただ、あえて言うと、自分が思っていたそのときの気分、を顕すことの難しさも強く感じました。

今回、なかなか時間がとれず、コメントがあまり書き込めず、発表の場を与えていただいたにも関わらず、その責任の半分をまっとうできないままで申し訳なく思います。
世話人の方々には御礼とお詫びを申し上げます。次回もどうぞよろしくお願いします。
Posted by 勺 禰子 at 2010年05月01日 20:59
読み、ほどむつかしいものはないな、と、この歌の解釈を読みながら思いました。他の作品にも感じましたが。
ぜんぶの作品にコメントをしたかったのですが、体調はなはだしく悪いため(現在ただいまも発熱中)この歌にだけ、想いが残らないように書いておきますね。
「私の闇」をどう解釈するかということですが、あまりドラマティックに読まないで、誰の中にもある、ひっそしりた「闇」ではないか、と思っていました。
神戸の少年Aの事件からでしょうか、さかんに「こころの闇」という言葉が使われるようになって久しいですが、そういう犯罪性につながるものでなくても、誰にもあるちょっとした暗闇への傾斜を詠んでいるのではないかと。「きちんと育て・・・」云々は、かなり無責任に他人が浴びせる言葉でもあります。会社の給湯室でお茶碗を洗っているとパートのおばちゃんとかが言ったりもします。そんな時、ちがうちがう、あたしはそんなんじゃない、と、孤独になってしまうときもあるのです。
要は、この歌が何を言っているのか、ではなく(それは作者側の問題です)読み手のこころにどのように響いたか、だと思いました。
コメントが遅くなりましてごめんなさい。
Posted by 花森こま at 2010年05月01日 22:16