この記事へのコメント
ユリウス・カエサルの最期の言葉と伝えられ、シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」にも引用されている「ブルータス、お前もか?」を軽妙に換骨奪回し、若者向けの人気雑誌のタイトルに掛けている。
このセンターの句跨りの部分が、まず目を惹く。

そして、その誌上に掲載されていたのであろう、現代日本で最も有名な知識人の晩節の挙措を巧妙に揶揄している、狂歌の趣のある楽しい作品。

吉本隆明は、僕らにとっても、あの難解晦渋な主著「言語にとって美とはなにか」を、思春期に呻吟しつつ読んだ記憶がある凄い人であり、近年の変貌ぶりとマスメディアへの盛んな露出には驚愕を禁じ得ないが、この作者とはやや感想が異なり、これは案外、吉本らしいナチュラルな振る舞いなのかも知れないと、好ましく思っているところである。

「言語にとっての美」は、娘ばななが果敢に追求しているから、もういいのかも知れない(笑)

・・・付け加うるに、私はばななの大ファンである。

Posted by 坂本野原 at 2010年04月06日 10:42
シェークスピアの台詞と雑誌タイトルとの関連については、坂本野原さんが指摘された通りだと思います。

古い話(1980年代)ですが、、マガジンハウスの雑誌「an・an」に吉本隆明がコムデギャルソンを着て登場したことがありました。それを揶揄した埴谷雄高との論争に発展した、いわゆる「コムデギャルソン」論争が知られています。

マガジンハウスは「BRUTUS」の版元でもあります。作者は、この経緯を踏まえて、「an・an」に続いて「BRUTUS」が大きく吉本を取り上げたことを「おまへもか」と嘆いていると理解しました。

「リューメー」としているところには、作者が古くからの吉本読者であると感じられます。吉本に対する揶揄というよりも、作者が長く愛読してきた吉本をトレンド情報のように扱う雑誌を苦々しく思う気持ちを表現した作品と解釈しました。

Posted by 太田賢士朗 at 2010年04月08日 01:38
こういう歌は嫌いではありません。
ただ「驚かされぬ」と言ってしまわずに、
中吊りが揺れている様子などを描写するにとどめたほうが
3句以下の機知に富んで、どこかしらユーモラスでもある表現が
さらに活きたのではないでしょうか。

吉本隆明に対する揶揄ということではなくて、
「おまへもか」は雑誌「BURUTAS」を指していると解釈しました。
作者に吉本隆明を揶揄する思いがあるのなら、
結句は「吉本隆明(リューメー)特集」とせずに「吉本隆明」とするべきでしょう。
作品としてはそちらのほうがおもしろかったような気もします。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月21日 17:49
吉本隆明への思いは、世代によってそれぞれ少しづつ異なるものだと批評から感じました。
まだ「青春」という言葉が、希望と憧れを持って迎えられていた時分の話ですが・・。
学生運動全盛時代、政治や思想に目覚めた若者の必須アイテムといえば吉本隆明であった。
「共同幻想論」や坂本野原さんも読まれた「言語にとって美とはなにか」等によって、教条マルキシズムを超えるオリジナルな理論構築を実践してみせる一方で、詩人としても革命家気取りの学生のナルシスティックな心情をくすぐる、いわば質実剛健と純情浪漫とを併せ持ったような存在で、学生運動に片足でも突っ込んでいれば読んでいるのが前提だった。
さらによりマニアックな学生は埴谷雄高を併読していたが、難解かつ形而上学的で大仰な文体は、一読で無性にエピゴーネンしたくなる魅力があったようだ。
当時の私はノンセクト・ノンラジカルいわゆるノンポリ学生だったはずだが、とりあえず話のタネに小難しいこれらの書物を脳ミソ腐らせながら読んだ記憶がある。
ともかく、このような存在がいまだマスメディアで注目されている情況に、私はたいそう「驚かされぬ」という印象を深くしました。
転向と言わないまでも、それなりにうまく世の中をすり抜けてきたんでしょうね、きっと。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月22日 06:29
西王です。

作者名不添付の歌会は、きのうまでだったと思うのですが、とても面白いことに気づいたので、余談のように書いておきます。
このブログの過去ログという項を見ますと、2010年5月というログがふたつ。2020年1月というログがひとつ。生沼さんの軽いミスであろうし、それを責めるつもりはありませんが、2020年には私などは七十歳(笑)。

さて、2020年に七十歳になる私は、この作品に登場する吉本隆明がらみの、それぞれのコメントをとても面白く読みました。
この作品の中心は「BRUTUS」おまへもか、という部分。じつは「BRUTUS」が何を扱っても、この科白は有効。たまたま自分が若い時代に影響を受けた吉本隆明であることによって、作者側としては作品が完結したのでありましょう。

倉益さんは「転向とは言わないまでも」とお書きですが、私は、あきらかに転向したと考えます。永久革命という夢を捨て、日本の現状を是認した頃から。
岡井隆さんが歌会始の選者になったことを、(私が)乱暴に揶揄した文章を短歌人に書いた数年後、岡井隆さんに短歌人の集会で会った際、「吉本さんの転向は岡井さんをはじめ、多くの人を気楽にさせましたよね」という、かなりきわどい言い方をしたことを思い出します。

さて、添削ふうな書き方はしないと宣言しているのですが、この作品の「ぬ」はどうでしょう。打ち消しの助動詞「ず」と完了の助動詞「ぬ」が交差するとき、私たちはその使い方を悩みます。むろんほとんどは「驚かされた」と読んでいますが、いわゆる学校文法では「驚かされないよ」と意地悪く読むことも可能です。

2020年、老人である私は、驚きはしません(笑)。

Posted by 西王 燦 at 2010年04月27日 02:19
皆さま、生沼義朗です。
西王さんから上記のようなコメントがありましたので、
一応歌会幹事として補足のコメントをさせて戴きます。

過去ログの箇所については別にミスという訳ではありません。
見て戴けますと分かりますが、最初の記事の日付は2020年1月1日としてあります。
そしてこの記事の内容は歌会の注意事項に関するものです。

これは常に(もっといえば半永久的に)この記事をトップに置きたいという
歌会幹事サイドの意向であり、とりもなおさず常に参加者の眼に注意事項が
入るようにしておきたいという考えの表れでもあります。

ネット歌会はともすれば不規則発言など、乱れが起こりやすいところでもあります。
今回は皆さんのご協力で、極めてスムーズに歌会を進行・運営することが出来ました。
この場を借りて御礼申し上げます。

多少窮屈かもしれませんが、今後も引き続きご理解とご協力を賜りたくお願い申し上げます。
Posted by 歌会幹事(生沼義朗) at 2010年04月27日 11:36
西王です。お詫びかたがた。

なんとなくこの作品へのコメントに参加しづらくて、余計な前振りをしました。

私の前振りも、生沼さんの応答も、32番の作品とは無関係なので、32番の作者にお詫びします。まあ、「中吊り」だとご容赦を。

2020年や、5月の過去ログが、それらを下のほうに埋めさせないというブログのシステム上の配慮というところ、納得しました。それにしても2020年といえば、藤原龍一郎さんだって68歳。(笑)。大きくというか、遠く出たもんだ、とあらためて驚くところ。

こうしたブログ特有の制約を受けないためには、会員専用パスワード付きの掲示板を造るという手もありそうです。

さて、詳しくは書きませんが、岡井隆さんと吉本隆明さんの論争では、岡井さんの勝ちだったと私は思います。吉本さんは当時の現代短歌を深く理解できていなかった。
いずれにせよ、2020年にはどちらもご存命かどうか、、、私たちも。


Posted by 西王 燦 at 2010年04月27日 12:52