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2010年04月06日
第1回ネット歌会詠草/31
湯上りの頬をたちまち撫でてゆくアサリが砂を吐くごとき風
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posted by 短歌人会 at 00:00|
Comment(5)
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この記事へのコメント
きっと露天風呂に作者は入っていたのでしょう。「アサリが砂を
吐くごとき風」というのはわかりにくいですが、おそらくは、
春の塵が多い風のことを表現したか、または「水につけられては
戻す」という、アサリに砂を吐かせる作業を自分の身体でも
やっているんだな、と想起したかでしょうけど、ちょっとこの
比喩はわかりにくいです。
後半の比喩が一首の要になる質のうたなので、そこが
わかりにくいのは致命的な弱点かなと思いました。
うまい説明がありましたらどなたかお願いいたします。
Posted by 松木 秀 at 2010年04月06日 21:11
銭湯からの帰り道の場面を想像しました。
夜道を歩いていて、角にさしかかると、砂交じりのつむじ風がビュッと吹き抜けていった。せっかく洗った顔や髪が砂まみれになってがっかりという気分を詠んでいると解釈しました。
確かに、松木さんが指摘するように、「アサリが砂を吐くごとき風」という表現の意図するところをつかみにくい気がします。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年04月12日 01:23
「アサリが砂を吐くごとき」というフレーズから、塩水に浸したアサリが
真っ暗な台所で人知れず砂を吐いている静謐なイメージを抱いたのですが、
そのイメージが風の形容としてどうしてもうまく結びつきませんでした。
松木さんの「春の塵が多い風のことを表現した」という説になるほどと思いましたが、
「撫でる」というやさしい表現と少しミスマッチなようにも感じます。
やはり、肝心要である比喩がわかりにくいのはこの歌の大きなキズと言えるでしょう。
風と結びつけるには無理があったかもしれませんが、
「アサリが砂を吐くごとき」というフレーズはとても魅力的です。
是非、このフレーズを生かした比喩の歌を作ってみてください。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月16日 19:47
西王です。
短歌のなかの比喩というのは、解釈されていくうちに典型となり、その作者の代表作になるようなものがあります。私はこの作者の手法にそのような気配を感じます。
露天風呂もしくは銭湯、と、お二人のかたが解釈したのは「たちまち」という語のせい。このあたり絶妙。
さて、私は、松木さんがお書きののひとつ、春の塵の多い風、というところを、いかにも凡庸な捉え方かもしれませんが、身体的に同感しました。アサリ=春=黄砂というまさに凡庸な捉え方です。しかし、まだ汗ばんでいる頬に触れる風は、まるでアサリが砂を吹くような風だ、と言われると、その想像力につい嬉しくなってしまうのであります。
Posted by 西王 燦 at 2010年04月19日 20:30
前評者の方もご指摘のとおり、本作の肝は「アサリが砂を吐くごとき」という比喩にあると思います。私が持つ「アサリが砂を吐く」風のイメージは
・微少
・断続的
そして何より
・生命の息吹を感じさせる
ことにあります。砂を吐くことから埃っぽさを連想されるのは理解できますが、大前提としてこのアサリは生きています。そして呼吸をしています。
「あさり」でも「浅蜊」でもなく「アサリ」とカタカナ書きしたところにも力強さを感じました。
春風には生命力がみなぎっています。芽吹く様を描写するのは既視感がありますが、春の季語でもあるアサリを持ち出したことに魅力と新鮮さを感じます。そして、この風は湯上がりの作中主体の目を覚まさせ、しゃきっとした元気さを与えたことでしょう。
余談ですが、アサリは砂抜きのとき、思った以上に塩水を飛ばすそうです。底の浅いバッドにいれておくと周囲が水浸しになるとのことでした。
Posted by 村田馨 at 2010年04月21日 12:00
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吐くごとき風」というのはわかりにくいですが、おそらくは、
春の塵が多い風のことを表現したか、または「水につけられては
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やっているんだな、と想起したかでしょうけど、ちょっとこの
比喩はわかりにくいです。
後半の比喩が一首の要になる質のうたなので、そこが
わかりにくいのは致命的な弱点かなと思いました。
うまい説明がありましたらどなたかお願いいたします。
夜道を歩いていて、角にさしかかると、砂交じりのつむじ風がビュッと吹き抜けていった。せっかく洗った顔や髪が砂まみれになってがっかりという気分を詠んでいると解釈しました。
確かに、松木さんが指摘するように、「アサリが砂を吐くごとき風」という表現の意図するところをつかみにくい気がします。
真っ暗な台所で人知れず砂を吐いている静謐なイメージを抱いたのですが、
そのイメージが風の形容としてどうしてもうまく結びつきませんでした。
松木さんの「春の塵が多い風のことを表現した」という説になるほどと思いましたが、
「撫でる」というやさしい表現と少しミスマッチなようにも感じます。
やはり、肝心要である比喩がわかりにくいのはこの歌の大きなキズと言えるでしょう。
風と結びつけるには無理があったかもしれませんが、
「アサリが砂を吐くごとき」というフレーズはとても魅力的です。
是非、このフレーズを生かした比喩の歌を作ってみてください。
短歌のなかの比喩というのは、解釈されていくうちに典型となり、その作者の代表作になるようなものがあります。私はこの作者の手法にそのような気配を感じます。
露天風呂もしくは銭湯、と、お二人のかたが解釈したのは「たちまち」という語のせい。このあたり絶妙。
さて、私は、松木さんがお書きののひとつ、春の塵の多い風、というところを、いかにも凡庸な捉え方かもしれませんが、身体的に同感しました。アサリ=春=黄砂というまさに凡庸な捉え方です。しかし、まだ汗ばんでいる頬に触れる風は、まるでアサリが砂を吹くような風だ、と言われると、その想像力につい嬉しくなってしまうのであります。
・微少
・断続的
そして何より
・生命の息吹を感じさせる
ことにあります。砂を吐くことから埃っぽさを連想されるのは理解できますが、大前提としてこのアサリは生きています。そして呼吸をしています。
「あさり」でも「浅蜊」でもなく「アサリ」とカタカナ書きしたところにも力強さを感じました。
春風には生命力がみなぎっています。芽吹く様を描写するのは既視感がありますが、春の季語でもあるアサリを持ち出したことに魅力と新鮮さを感じます。そして、この風は湯上がりの作中主体の目を覚まさせ、しゃきっとした元気さを与えたことでしょう。
余談ですが、アサリは砂抜きのとき、思った以上に塩水を飛ばすそうです。底の浅いバッドにいれておくと周囲が水浸しになるとのことでした。