この記事へのコメント
今、本誌の方の6月号詠草締め切り間際で火〜噴いてますので簡単に書きますが(笑)、この作品の表現上の眼目は「抽(ぬ)きだし」であろう。

前例はあるような気もするが、なかなか清新な言葉の使い方だと思う。

言葉の意味の、快適なデフォルマシオンとでもいうべきか。

漢和辞典で調べると、「抽」には「ひく、ぬく」のほかに「ぬきでる」の訓もあり、「抽芽」(種から細い芽がぬけ出る)や「抽条」(細い枝が出る)という言葉もあるらしい。

五つ六つの花で落葉を持ち上げている節分草が、その落葉の間隙を突いて「三つまで花を抽(ぬ)きだし」たというイメージが、折しも訪れている春の気候と相俟って、ある種ファンタスティックなメルヒェンのように感じられる。

僕は、このイメージにうっとりしている。

Posted by 坂本野原 at 2010年04月08日 15:57
やっと三つほど林床に節分草の花が咲き、五つ六つ後から落ち葉を持ち上げて莟が顔を出そうとしている。そんな待ち遠しい早春の節分草の花の開花をを詠った歌であろう。私もかつて秩父の自生地に花を見に行ったことがあるが、残雪のまに清楚な花をみた感動が伝わる。節分草=雪割草
Posted by 保里正子 at 2010年04月12日 21:37
ことばに過不足がなく、小さな発見を十全に表わしていて、やや古風ではありますが、良い歌だと思いました。意味がはっきりと取れますし、何よりも、視覚的なイメージを喚起する力があります。
倒置を含め、歌の姿も、内容に見合っています。作者の「見るよろこび」が伝わってくる歌です。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年04月24日 19:10
坂本野原さん、保里正子さん、大室ゆらぎさん、誠にありがとうございました。
歌会でこんなに褒めていただいたことは初めてなので、とまどい、かつ正直に飛び上がらんまでに嬉しく思っています。
コメントが三人の方だけだったことは置いておりますので、書かれていない、そしてこれから書かれるかもしれない厳しい意見は今日のところは外して書いていますが-
Posted by 永井秀幸 at 2010年04月27日 17:13