この記事へのコメント
私はミモザの花が大好きなので「溺れ窒息す」と言う情景はよくわかります。
しかしミモザ=銀葉アカシアの花だと言う説明に31文字中17文字も費やすのはいかにももったいないです。
作者は銀葉アカシアと言う花の名にかなりのこだわりがあるようです。
「ミモザといってもいくつかあってこれは『銀葉アカシア』ですよ」と言うほうがこの歌の主のテーマのように見えてきます。
そうだとしても読者としては「ミモザ=銀葉アカシア」と言う知識を得るよりもミモザの満開の花に窒息しそうな情景をより詳しく感じたいのではないでしょうか?
その場合はミモザ・銀葉アカシアと二つの名前を入れずにどちらか一つにしてミモザと作者の描写に字数をもっとさいたらどうでしょう・・(作者の思い入れの強い『銀葉アカシア』のほうがいいかと)
Posted by 海野 雪 at 2010年04月07日 13:18
 ついつい知ったかぶりをしてしまって申し訳ないのですが、アカシアと窒息というフレーズに
「アカシアの雨がやむとき」http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND194/index.html  (←歌詞のコピーは禁止されてますが、リンクフリーです)
を連想してしまいました。
 ミモザの見事さに「溺れ窒息す」という実感があって、そういえばミモザって本当は銀葉アカシアっていうのよね、このまま死んでしまうかもって感じだわよね、という読みを勝手にさせていただきました。
 
 私が住んでいる町は今、桜が真っ盛りで息苦しいほどです。まさに「花房に溺れ窒息す」のイメージそのものです。でも桜と銀葉アカシアとでは雰囲気が違うんですよね。ここは動かせないでしょうね。
 
 ミモザが銀葉アカシアというのははじめて知りましたが、本当に素敵な名前ですね。作者のこだわりは当然だと思いました。
Posted by at 2010年04月10日 14:30
上記のコメントは作者名が付されておりませんでした。
この歌会では匿名での発言は受けつけておりませんので、コメントを書かれた方はお手数ですが4月11日日曜日いっぱいまでに、このスレッドにコメントを付ける形で名乗り出て下さい。
期限までにお申し出がなかった場合は、申し訳ありませんがコメントを削除させて戴きます。
Posted by 歌会幹事(生沼義朗) at 2010年04月10日 18:03
Posted by at 2010年04月10日 14:30 のコメントは私こと西橋美保です。きちんと確認したつもりですが、書き直したときに反映されていなかったようです。
歌会幹事の生沼さま、歌会参加のみなさま、どうもすみませんでした。
Posted by 西橋美保 at 2010年04月10日 18:12
歳時記をわたしは10冊近く持っております。買ったのではなく、自句が紹介、掲載され進呈されたものがいつの間にかそんなになりました。
で、ミモザを調べてみました。
「ミモザ 花ミモザ
オーストラリア原産で、高さ15メートルにもなる常緑高木。一般にはマメ科アカシア属の観賞用植物のフランスでの名称をいいます。羽状の葉が銀色に見えるので和名は「銀葉アカシア」といいます。早春、黄金色の球状の花が穂状に群がって咲き、香りの良い花で、香水の原料となります」
という解説です。
なので、「正しくは」という言い方が合っているかどうかは、やや、疑問かも?
わたしは植物学の権威でもないですし、俳句は前衛俳句の流れにつながる立場なので、ふだんは歳時記は読むこともほとんどないので、きちんとしたことを言う権利はありません。
また、すべての歳時記に当たったわけでもありません。
ですから、的外れなことを言っているかも知れないことを弁解しておきます。
もし、「和名」が「銀葉アカシア」であるなら、そのように書かれていたら、よかったのかもしれませんね、と思ったまでです。
それと、鑑賞、批評する際に、出来るだけ、ほんの少しでも調べてから意見を述べるのも大事かと思いました。
Posted by 花森こま at 2010年04月15日 16:28
ミモザと言う花の細かい知識はこの歌を鑑賞する歳には関係ないと思ったので、それを書くのは差し控えていました。
ただ参考までにと思い書かせていただきます。
ミモザはいくつもある花の総称の俗称で、その中には「銀葉アカシア」や「房アカシア」があり、この他にも似たような花でいくつかあります。
上記2種類が主流のようです。
だから「正しくは」と言う言葉は厳密には違いますが、鑑賞にそこまでチェックする必要はないと思います。
作者にとってミモザはよく知っている「銀葉アカシア」であり、そのことを言いたかったのだと思います。
Posted by 海野 雪 at 2010年04月15日 17:34
西王です。「ミモザ」に窒息するのはセイヨウオオハナバチ?という異論。

ミモザについて、歳時記ふうに言えば、ほぼ花森こまさんがお書きのとおりだと思いますが、講談社『日本大歳時記』に面白い記述がありましたので、補足します。

通称ミモザと呼ばれているのは、アカシアの一種、銀葉アカシアである。この類が本来のアカシアで、日本でアカシアと呼ばれているのは正しくはニセアカシアである。

どこが面白いかと言うと、この『日本大歳時記』の記述のなかに「正しくは」という言葉が用いられていることです。

すでに海野 雪さんも触れていらっしゃるように、この作者には物の名(木の名)についての関心が深く、歳時記や図鑑ふうな「正しくは」という書き方をします。この関心のありかたそのものには、私は好感を抱きます。

ただし、「ミモザすなわち銀葉アカシア」であって、ここの「正しく」には私も疑義を感じます。むしろ「日本でアカシアと呼ばれるのは正しくはニセアカシアである」という記述とどこかで交錯したのかもしれません。

西橋美保さんが紹介している「アカシアの雨がやむとき」という60年安保ふうな懐かしい歌のアカシアはミモザではなくニセアカシアである、ということになります。

アカシア(ニセアカシア)もミモザ(銀葉アカシア)も帰化植物ですが、上記「アカシアの雨がやむとき」という名曲や『アカシアの大連』なとというアカシアのイメージ、他方、南フランスを想起させるミモザのイメージ、これらが本家争いをしているような「物の名」だと思います。
他方、ニセアカシアはハリ(針)エンジュとも呼ばれ、ニセであったり針がついていたり、いかにも「もどき名」でかわいそう。

ながく書きました。

さて、

 ミモザ正しくは銀葉アカシアの花房に溺れ窒息す

この窒息しているのは、花の香りを楽しんでいる人間などではなく、「ハナマルバチ」であろう、しかも特定外来生物に指定された「セイヨウオオハナマルバチ」であろう、と私は読みました。「正しくは〜」という理の勝った表現から、このように読んだわけです。

Posted by 西王 燦 at 2010年04月15日 19:48
西王です。ごめんなさい。

ハナマルバチ→マルハナバチ

セイヨウオオハナマルバチ→セイヨウオオマルハナバチ

です。

これではハナマルのコメントとは言えません。
Posted by 西王 燦 at 2010年04月15日 20:36
「ミモザ正しくは銀葉アカシアの花房」と長く述べて、その過剰さに窒息するという作りの歌かと思いました。
ただ、リズムが定型から外れているので、読みにくく、どこで切って読むのかわからず、戸惑います。
Posted by 近藤かすみ at 2010年04月15日 23:55
ミモザ正しくは銀葉アカシアの花房に溺れ窒息す

韻律がよくないですね。2句3句の8・5音でぎりぎり短歌的リズムを確保しているというところです。ほかは、しょうがないと思って我慢して読む、そんな心地です。
正しくはというのは、和名を正しいと言っているだけで、これは勇み足でしょうね。これだけ上段で構えるなら学名が来るのが至当でしょう。

下の句の言い切りの潔さはいいと思いますので、韻律を整えてほしい。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年04月16日 07:35
ミモザ正しくは銀葉アカシアの花房に溺れ窒息す

不思議です。

さきほど作者名を知ったとたん、
このお歌の世界が私のなかでひらけました。

大室ゆらぎさんの歌集『海南別墅』 (かいなんべっしょ)
の世界がひろがりました。

大室さんの緻密な言葉の使い方を思えば、
「正しくは」の意味は、一般的にミモザと呼ばれるが、
「今わたしの目の前にあるその種類は、正しくは」であるのだと分かります。

繊細な植物を愛する作者は、じっと銀葉アカシアの淡い黄色の花房を見つめています・・・
惹き込まれるようにミモザに顔を近づけていく・・・

ミモザの花房は細かい花が集まっている、まさに房です。
とても細かい花は粉末っぽいイメージさえある。

みつめるつづけるうちに作者はミモザの色に包みこまれ、
目も鼻も頭の中も淡いミモザの黄色に溢れます。
そこにあるのはゆらぎさんを包む「窒息」するほどの
淡い黄色い不思議な明るさの春です。

このお歌は、大室ゆらぎワールドの
息苦しいほどの早春の世界
を詠んだお歌だったんですね。


作者名が「詞書」の働きをする。
このような読み方に対する賛否は、それぞれにあるとは思いますが。




Posted by 梶崎恭子 at 2010年04月27日 13:21
皆様のコメント、有難うございました。とても参考になりました。
以下、自解させていただきます。
うちの近くに「銀葉アカシア」の木があるのですが、春になって例の黄色いふわふわした花が咲くと、「あ、ミモザが咲いている」とたちまちうっとりする一方、「いやいや、これは正しくは、銀葉アカシアである」とつい訂正せずにはいられない私がおり、しかしその名がたとえ何であったにしても、「花自体に耽溺してしまう私」というものがいるわけで、そのあたりの動揺を表現しようとしたのでした。
私の理解しているかぎりでは、ミモザというのは、学名としては「おじぎそう属」のことで、既に西欧で混用されて、いわゆる「ミモザ」(アカシア属)を表すようになり、日本でも一般的に「ミモザ」と呼ばれます。「ミモザ」には、和名「銀葉アカシア」のほかに「房アカシア」などがあるというのは、海野雪さんのお書きになったとおりです。
韻律としては、「ミモザ正/しくは銀葉/アカシアの/花に溺れて/窒息す」のつもりでした。理性を保とうとしつつ、つい溺れてしまう心の動揺を、上句の韻律で表したつもりでした。結句の言い切りも含め、内容と文体を添わせるという試みでしたが、無理だったかも… 「正しくは」の表現を含め、もう一度考え直してみます。
梶崎さんのコメント、「正しくは」の意味といい、「粉末っぽいイメージ」といい、私が考えていたとおりのことを述べて下さいました。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年04月27日 21:26
「正しくは」には私が読んだように単に「花の本当の名前はこうである」という意味ではなくて、ミモザと銀葉アカシアの間で揺れ動く大室ゆらぎさんの深い微妙な感情が込められていたのですね。
歌の評論とは離れますが、私もミモザが咲くと耽溺して平常心でいられなくなります(個人的な思い出もあるもので)
桜に耽溺する人はあってもミモザに耽溺する人は周囲に皆無なので、大室ゆらぎさんの歌とコメントを読んでとても嬉しくなりました。
Posted by 海野 雪 at 2010年04月27日 22:36
ミモザ正/しくは銀葉/アカシアの/花に溺れて/窒息す
の作者自解を読んでびっくりしました。読みにくい歌だとばかり思っていたのに、実は塚本邦夫ばりの句われ句またがりが隠されていたとは!
ただし今の僕にはこれが成功しているかどうかの判断は出来かねています。
Posted by 永井秀幸 at 2010年04月28日 17:26
すみません。自分の歌の引用を、自分で間違えました。落ち込みました。
正しくは、
ミモザ正/しくは銀葉/アカシアの/花房に溺れ/窒息す
です。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年04月29日 08:38