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2010年04月06日
第1回ネット歌会詠草/18
指先にあつまる光生きてきた昨日がうまく見えない朝も
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posted by 短歌人会 at 00:00|
Comment(6)
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この記事へのコメント
二句切れの歌ですね。朝の明るい光が指先にも集まるけれど、昨日のこと過去のことさえ、よくわからなくなっている作者の心情かと思います。語順がややこしいので、これを整理すれば、良くなるのではないでしょうか。
Posted by
近藤かすみ
at 2010年04月09日 16:30
この歌は、「指先にあつまる光」が中心なのではないでしょうか。だから倒置法で二句切れにしたので、語順がややこしいとは感じられず、私はこのままで良いと思います。昨日はどうあれ、また朝が来て今日も生きてゆく。そんな感慨を詠んだものと解しました。
Posted by 槙村容子 at 2010年04月15日 11:57
語順がややこしいという感想ですが、では「生きてきた昨日がうまく見えなくて今朝指先にあつまる光」とでもしたら分かりやすいのかというと、それは「なにがどうしてこうなった」ということになってしまいますよね。
整理整頓された短歌が好き、ということは個人の趣味の問題なので仕方がありませんが、一直線の、いわゆる読み下しは、わたしはあまり好きではないのですね。わずか57577の中で、いかに工夫をするか。
技巧的な作品だけを容認するつもりもないのですが。というところです。
槙村さんの言われるように、この作品の場合は、昨日=生きてきた過去の時間の堆積、がうまく見えない、というのは、過去のことが分からなくなってとまどっている、のではなく、過去も明日も断定されない日常の中で指先にあつまってくる光を見出した、という主旨かと思います。
Posted by 花森こま at 2010年04月16日 11:14
最初に読んだ印象であわててコメントを付けましたが、植村さん花森さんのご意見を読むうちに「語順がややこし」くないことが分かってきました。
しかし、何度も読んでみると、「生きてきた」が「昨日」にかかっているようにも読めるし、「生きてきた」が独立しているようにも読めてきました。繰り返し読むうちに、不思議な感じがして、また読みに迷ってしまいます。
Posted by
近藤かすみ
at 2010年04月17日 00:11
お歌を声に出し何度も詠んでみました。二句切れの光のあと一息いれ、あとは早口で(?)結句まで続けて詠むと作者の心と響き合う事が出来ました。
力強い歌ですね。
朝 作者は指先を瞳にちかづけ光を感じている。今日も昨日のように、うまく見えないが、生きると。
昨日が暗く見えない朝としないところが、謎めいて何度も立ち止まってしまう。意図は精巧に成功しています。
最初昨日を明日に変えればわかりやすい等と考えてしまった私に苦笑してください。
Posted by 西五辻芳子 at 2010年04月19日 01:12
指先にあつまる光生きてきた昨日がうまく見えない朝も
おそらくはその瞬間現在、指先に光があつまっている、幻視のようなものがあったのだと思います。昨日がうまく見えない朝にも、その、指先に光があつまるのが見えた。その光に、希望を感じたのか、なにを感じたのかは、鑑賞者にゆだねる部分が大きいと思います。以下、分析しながら読んでみようと思います。
歌は、二句と三句で切れていると思います。そして倒置と、結句の言いさしをもって、切迫感などの効果をあげている。
「指先にあつまる光」は、かなりイメージ喚起力が強いと思います。
「生きてきた」は、ここで切れずに「昨日」にかかるかとも思ったのですが、昨日一日のことをもって、生きてきた、とすることは、わたしの感覚にはなじまなかったので、むしろ結句の言いさしと呼応した倒置、と読みました。
結句の言いさしは、言い切りなどにならないために、イメージを流してひろげる効果をあげていると思います。ここで倒置の、「生きてきた」も回収している。
「昨日がうまく見えない朝も」は謎が多い。「昨日がうまく見えない朝」というのは、なんだろうか。過去、しかも前日のことにかぎり忘却してしまうような事態が、朝に起こることがあるのだろうか。明日がみえない、などは、使い古されたものながら、なんとなくわかるが、この「昨日がうまく見えない」からは、あまり振り返りたくない前日、という想像ができるだけで、あまりピンとこなかった。
「うまく見えない」というのも変わっていて、つまり、ある程度は見えていると思われる。ともあれ、視界不良は、不安感をよびおこす。
「うまく見えない朝も」というように、「も」があるので、ふだんはうまく見える朝だから普通に(おそらくは)生きていられるのだけれど、うまく見えない朝であっても、生きてきたのだ、ということだと思う。初句と二句の「指先にあつまる光」は、最初に提示されているので、常に光があるとはかぎらず、おそらくは、昨日が見えない朝に、出現したものと思われる。
「うまく見えない」ですこしひっかかりました。わたしの感覚だと「よく見えない」と言うだろうし、音数をあわせるならば「あまり見えない」とすると思うので。しばらく、なぜ「うまく」なのだろうと考えたら、「うまくいかない」という言葉の延長線上にあるのではないかと思った。わたしは、見えるとか見えないとかは、状況をあらわしている、というか受動的状態に思っていたのだけれど、作中主体の感覚としては、恣意的行動に近いものがあるのかもしれない。見えないというのはあくまでも状況だけれども、そこに強い意志をこめているのかもしれない。
具体的な状況が表現されているわけではないので、そちらからの読みはできない。抽象的な感覚の受け渡しを読むことになると思う。下の句をどうとらえるかでつまづいて、一首をつらぬいた読みができるかというと、難しいと思う。ただ、初句と二句で強烈なイメージを放っていて、一首全体の構造がそれを支えるようになっているので、冒頭のイメージだけを読むことはできると思う。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年04月20日 17:02
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槙村さんの言われるように、この作品の場合は、昨日=生きてきた過去の時間の堆積、がうまく見えない、というのは、過去のことが分からなくなってとまどっている、のではなく、過去も明日も断定されない日常の中で指先にあつまってくる光を見出した、という主旨かと思います。
しかし、何度も読んでみると、「生きてきた」が「昨日」にかかっているようにも読めるし、「生きてきた」が独立しているようにも読めてきました。繰り返し読むうちに、不思議な感じがして、また読みに迷ってしまいます。
力強い歌ですね。
朝 作者は指先を瞳にちかづけ光を感じている。今日も昨日のように、うまく見えないが、生きると。
昨日が暗く見えない朝としないところが、謎めいて何度も立ち止まってしまう。意図は精巧に成功しています。
最初昨日を明日に変えればわかりやすい等と考えてしまった私に苦笑してください。
おそらくはその瞬間現在、指先に光があつまっている、幻視のようなものがあったのだと思います。昨日がうまく見えない朝にも、その、指先に光があつまるのが見えた。その光に、希望を感じたのか、なにを感じたのかは、鑑賞者にゆだねる部分が大きいと思います。以下、分析しながら読んでみようと思います。
歌は、二句と三句で切れていると思います。そして倒置と、結句の言いさしをもって、切迫感などの効果をあげている。
「指先にあつまる光」は、かなりイメージ喚起力が強いと思います。
「生きてきた」は、ここで切れずに「昨日」にかかるかとも思ったのですが、昨日一日のことをもって、生きてきた、とすることは、わたしの感覚にはなじまなかったので、むしろ結句の言いさしと呼応した倒置、と読みました。
結句の言いさしは、言い切りなどにならないために、イメージを流してひろげる効果をあげていると思います。ここで倒置の、「生きてきた」も回収している。
「昨日がうまく見えない朝も」は謎が多い。「昨日がうまく見えない朝」というのは、なんだろうか。過去、しかも前日のことにかぎり忘却してしまうような事態が、朝に起こることがあるのだろうか。明日がみえない、などは、使い古されたものながら、なんとなくわかるが、この「昨日がうまく見えない」からは、あまり振り返りたくない前日、という想像ができるだけで、あまりピンとこなかった。
「うまく見えない」というのも変わっていて、つまり、ある程度は見えていると思われる。ともあれ、視界不良は、不安感をよびおこす。
「うまく見えない朝も」というように、「も」があるので、ふだんはうまく見える朝だから普通に(おそらくは)生きていられるのだけれど、うまく見えない朝であっても、生きてきたのだ、ということだと思う。初句と二句の「指先にあつまる光」は、最初に提示されているので、常に光があるとはかぎらず、おそらくは、昨日が見えない朝に、出現したものと思われる。
「うまく見えない」ですこしひっかかりました。わたしの感覚だと「よく見えない」と言うだろうし、音数をあわせるならば「あまり見えない」とすると思うので。しばらく、なぜ「うまく」なのだろうと考えたら、「うまくいかない」という言葉の延長線上にあるのではないかと思った。わたしは、見えるとか見えないとかは、状況をあらわしている、というか受動的状態に思っていたのだけれど、作中主体の感覚としては、恣意的行動に近いものがあるのかもしれない。見えないというのはあくまでも状況だけれども、そこに強い意志をこめているのかもしれない。
具体的な状況が表現されているわけではないので、そちらからの読みはできない。抽象的な感覚の受け渡しを読むことになると思う。下の句をどうとらえるかでつまづいて、一首をつらぬいた読みができるかというと、難しいと思う。ただ、初句と二句で強烈なイメージを放っていて、一首全体の構造がそれを支えるようになっているので、冒頭のイメージだけを読むことはできると思う。