この記事へのコメント
「みだりがわしき」という結句に既視感を感じる。四句目までの展開は、良い感じなのに、着地が失敗してしまったようだ。結句を主観表現にする時は、やはり、ひとくふう欲しいと思う。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年04月07日 21:13
「実にみだりがわしき」は、読んで快くないですね。そこを考えてほしい。

「三月の雪はビニール傘に向け降りたり」ここでは作者がどこに居るのだろうかと訝っています。ビニール傘のなかには居ないようです。作者の位置はどこにいてもいいのですが、曖昧になる表現はまずい。その辺を推敲してみたらどうでしょう。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年04月16日 07:45
調べてみました。

みだりがわしい —がはしい 【▽濫りがわしい/▼猥りがわしい】(形)[文]シク みだりがは・し

(1)整っていない。いかにも乱れている。
「—・き我姿をつくらふ暇なきのみか/当世書生気質(逍遥)」

(2)秩序や作法に合わないさま。無礼なさま。

(3)好色めいている。
「—・い話」

(4)むやみである。思慮が足りない。
「いささかの事にも春日の神木、日吉の神輿などいひて—・し/平家 5」
[派生] ——さ(名)

なんで調べたかというと、わたしはこの「みだりがわしい」という言葉をこれまでの生涯にたぶん一度も遣ったことがなかったからです(意味は知っています、念のために)。
三月の雪というものを考えると、さらさらとした粉雪ではなく、傘に音がするほどぼたっと落ちてくるような気がしました。
それは、そのひとの住んでいる地域にもよるかと思いますが(わたしは横浜生まれの名古屋人ですが現在は仕方なく関西に住んでいます。関西人の方には悪いけれども、今も関西はきらいです)。
そういう、ぼたっと落ちてくる音に対しての違和感がこの歌の言いたいことなのかなと思いました。なので、よく言い表しているかと思いました。
「実にみだりがわしき」の部分が詩的言語として消化しきれていないような気がして、コメントをするのをためらっていました。
しかし、この雪のべとつき感、音を感じると、作者の住んでいる「世間」とかが「みだりがわしき」環境なのだなと共鳴します。「唾棄すべき」世間で生きている自分を、第三者的に詠んだのかも知れません。
なので、わたしとしては、この歌は、わりといいと思います。
Posted by 花森こま at 2010年04月16日 10:59