この記事へのコメント
事実をそのまま詠んでいるようですが、何を言いたいのか、歌にする動機がよくわかりません。
Posted by 近藤かすみ at 2010年04月09日 16:22
一見非常にそっけない、写実そのものの歌なのだが、実は最初からある引っかかりを感じていた。

「おり」、「呼ぶ」といちいち切れて分断される感じが、ある種のヘタウマ感とともに、そっけない“投げやり感”とでもいうか、虚無感を倍加している。

そして、わざわざ一字空けて強調された結句「ここにはいない」の威力であろうか、何者かに置き去りにされたかのような哀れな犬(・・・と「私」)の寂莫たる孤独感が、底光りするように立ち上がってくる。

きわめて大げさにいえば、「神の不在」、「神の死」といった観念も連想した。

・・・言いすぎだろうか(笑)

なお、一首中の文語と口語の混在は、異論はあろうが、私は全く気にならない方である。

また、初句は「ほの昏き」とか、表記にもうちょっと凝ってみたいところだが、これは全く私の個人的趣味にすぎない。
Posted by 坂本野原 at 2010年04月10日 13:03
西王です。坂本さんのコメントに尽きるかと思います。「神の不在」という大げさな(笑)観念にも共感します。

場面は、むろんペットショップではなく、狭く薄暗い犬舎のケージで、犬を虐待しながら飼育しているブリーダーの施設です。

佐賀県や愛知県のブリーダーの行いが、いわゆる地球生物会議などという団体によって告発されています。

ブリーダーを呼ぶ/ここにはいない

という殺伐とした応答がリアル。

なお、>坂本さん、もしこういう場面なら、「ほの昏き」より「薄暗き」のほうが残酷でいいと、私は思います。
Posted by 西王 燦 at 2010年04月11日 21:02
 すこしとまどいました。「犬舎」でとっさに犬小屋をイメージしてしまったので、そのあとに「ケージ」ときて、大きい「犬舎」に脳内修正しました。
 とても言葉を考えて使っていると思いました。もちろん歌そのものからは文章であらわされた部分しかわかりませんけれど、杜撰なブリーダーを想像してしまう。そのため、ただのペットと飼い主ではいけなくて、「犬舎」「ブリーダー」となっている。「犬舎」は動物の種類をあらわすとともに「ケージ」という凄みのある言葉をひきだすために使われている。
「ここにはいない」は唐突でぶっきらぼうな、呟き。ここをふつうの叙述にしてしまったら、こういう雰囲気はでない。おなじ呟きでも、「誰もいない」などにしてしまうと、状況がわかりすぎてしまう気がする。「ここにはいない」は非常に不安定な気がする。その不安定さのために、なおさらわたしは面食らって、なんだこれ? 変だ。と感じたのだけれど、なんどか読み返せば、これでよいのかもしれないと思った。不安定さは「ここには」にあると思う。「ここにも」では駄目。これで感覚が宙吊りにされる。
 上の句「犬舎のケージ」は「犬舎にケージ」のほうが、わたしはわかりやすい。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年04月12日 10:20
わたしも、この歌にひっかかりました。
「ブリーダー」は必ずしも悪徳とは限らないし、犬は薄暗いゲージのような狭い場所を好みます。
それでも「パピーミル」と呼ばれる劣悪な環境で犬を虐待する「悪徳ブリーダー」を告発している情景だと感じました。
ショッキングなニュースが「ブリーダー」という名詞に「悪徳」というイメージを貼付けたのでしょうか。
「ここにはいない」の中吊りが空気を作っている。という來宮氏の評に納得です。
Posted by 三田村まどか at 2010年04月12日 12:53
西王さん、ありがとうございます。

>「ほの昏き」より「薄暗き」のほうが残酷でいいと、私は思います。

ご指摘はおっしゃる通り、ごもっともです。
この文脈でしたら、より情緒を排した起句がふさわしいですね。



Posted by 坂本野原 at 2010年04月12日 18:29
ナイスボケ!!!
坂本春野氏って一体、誰?
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月12日 19:22
「犬舎のケージ」確かに「犬舎にケージ」ではないのかと、思ったのですが、それですとケージがそこにある、という事実を言うだけになりますね。憶測ですが、作者は、ブリーダーの家を訪ねて、犬舎を覗いた、と解釈すると、犬舎に置かれたケージが、そこだけ光を当てられたように目に入ってきたのかもしれない。と、これは親切すぎる解釈かもしれませんが。
ペットショップから、あるいはブリーダーから犬を買う、ということの是非を考えた場合、その犬が大きくなってもてあました、あるいは、ちがう犬種を買ってみたくなった、という安易な理由で殺処分されるペットたちの運命という構図が見えてきます。
「飼う」ではなく、「買う」です。
わたしの犬は、シェルティ(ミニコリー)の母犬が家族の留守中に野良犬との間に産んだ子です。
その母犬は、純血種としての価値がなくなったので、処分されてしまいました。
そんなことも、思いました。
Posted by 花森こま at 2010年04月12日 20:52
「犬舎にケージ」ではなく「犬舎のケージ」となっているのは作者の意図するところと信じたい。
<犬小屋として使われていたケージ>という意味での「犬舎のケージ」と解釈した。
つまり、大きな犬舎の中にケージがいくつか並んでいるわけではなくて、
ブリーダーの施設の敷地に野ざらしにケージがいくつも放置されたまま並んでいる光景。

どのケージも薄暗くて中の様子がよく見えない。一首からは犬の鳴き声も聞こえてはこない。
けれど、鼻をつくムッとした獣の臭い(あるいは死臭も混じっている?)を僕はたしかに嗅いだ。

ブツブツブツと切れた感じがこの歌の魅力なのかもしれないが、
「薄暗き犬舎のケージ並びおり ブリーダーを呼ぶ(ここにはいない)」
とするなど、表記で工夫してみてもよかった。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月22日 17:42