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第1回ネット歌会詠草/10
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2010年04月06日
第1回ネット歌会詠草/11
パブロフが犬を愛しめあしたには靴下をほしゆふべにたたむ
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posted by 短歌人会 at 00:00|
Comment(10)
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この記事へのコメント
靴下を朝に干して夕方に取り込んで畳む。作者は、そうした家事を
条件反射のように繰り返す自分の姿をパブロフの犬に重ねて自嘲しています。
その一方で、「愛しめ」という言葉には、そんな自分を労るような眼差しも感じます。
自嘲と自己愛のアンビバレンスが印象に残る一首。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年04月07日 02:04
生理学者のパブロフが犬と接したのは実験のため。「愛しい」という言葉とは合わないように思います。
また、条件反射は一定の条件下で、無意識のうちに生理現象が見られる(梅干しを見れば、つばがでる)ということなので、作中主体のルーチンワークとはちょっとずれを感じます。
Posted by 村田馨 at 2010年04月08日 12:55
私はこの歌意がわからないんです。「あしたには」以降はわかりますがその前にパブロフの犬について出てくるので。
自動的な行動というのとパブロフの犬の反射は違いますしね、確かに。そしてそのこういうをたぶん肯定的に取っているんだろうなとは思いますが…じゃあパブロフの犬ではいけないような気がします、ネガティブですから。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年04月10日 17:01
西王です。それぞれお書きのコメントを私なりに理解したうえで、この作品の含意みたいなものを楽しみました。
パブロフが犬の「が」は、我が家の「が」でありましょう。いわゆる連体助詞ですね。しかし「パブロフの犬」とせず、「パブロフが犬」としたのは、「が」に主格の働きを匂わせたかったのだろうと思います。
パブロフ(安易に置き換えれば、飼い主=主人)よ、このような私をもう少し愛しなさい、と。まあ、このような安易な置き換えはよくないのでありましょうが、、。
あしたには靴下をほしゆふべにたたむ
この表現は巧みだと思います。
「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり」という親鸞の言葉を遠く連想すると、さらに面白そう。
Posted by
西王
at 2010年04月11日 06:47
パブロフが犬を愛しめあしたには靴下をほしゆふべにたたむ
私もパブロフの犬と読みました。がとしたのは「の」としたときの明確さを薄めたかったのでしょうね。愛しめは、自分に対する軽い命令形でしょう。ふゆのゆふさんの言うことも分りますが、作者は上の句をある種気分的に書いているのですね。軽いわけです。
しかし、下の句がいいので、上の句は作者の思ったほどには、下の句に対応するほどには効いていない。私なら上の句は捨ててみますが。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年04月11日 09:44
「あしたには」以降は、良いと思います。パブロフの犬を持ってきたのも面白いと思いますが、つなぎがうまくいっていない感じがします。ここで一工夫ほしいです。
Posted by
近藤かすみ
at 2010年04月12日 20:14
「パブロフが犬を愛しめ」=パブロフの犬であるところのわたくし、を、わたしくはもっと愛しもうよ。
という意味にとりました。
あ、知哲さんと同じこと言ってる、かも。
下の句とのつながりは私はいいと思います。
そこはかとない自虐的な図が、夕日の中で翳りつつ存在感を増すようで、決して不幸じゃない。
Posted by 勺 禰子 at 2010年04月12日 22:44
親鸞の言葉をふまえ、作者は人生は親鸞の言葉のように無常なものではないと、平凡な生活をパブロフの条件反射から連想させ、平凡の幸福というものを肯定しようとしているのではないか。その平凡な生活を愛しもうとしているのではないか。つまらないように見えるが、この生活を大切にしたいと、そんな気持ちが。パブロフが犬は条件反射つまり平凡な生活の象徴と考えました。
Posted by 吉原俊幸 at 2010年04月13日 00:16
この歌の批評を忘れていました。
「パブロフの犬」が出てきますから、どうしても読者の意識はそちらに向ってしまうようです。
しかし、この歌のキーワードは「靴下」ではないかと思います。この靴下は多分、夫のものかと思われますが、まさか夫の靴下だけを毎日洗濯するわけではないでしょう。一日の洗濯物の中には、家族の衣類もあれば下着もあるはずです。
では何故、靴下だけを詠みこんだのか?
それは恐らく表面には出さない、夫への感謝と愛情の気持ちからなのではないでしょうか?。
夫はもしかすると営業マンか何かで日々、足を棒のようにして働いているのかもしれません。
一家を支える夫への敬意が、靴下だけを詠ませたように思えます。まさに内助の功、妻の鏡のような作者です。他のスレッド批評とダブるかもしれませんが、このような配偶者ならば死ぬまで「シンデクレ」などとは決して思わないことでしょう。
よって「パブロフの犬」の解釈は、吉原さんと同じく「平凡の幸福」と捉えるのが妥当かと思います。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月25日 19:08
貴重なご意見、ありがとうございました。
今回は、コメントをあまり書き込めずに失礼しました。
次回はがんばります。
Posted by 弘井文子 at 2010年05月01日 10:53
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あしたには靴下をほしゆふべにたたむ
この表現は巧みだと思います。
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私もパブロフの犬と読みました。がとしたのは「の」としたときの明確さを薄めたかったのでしょうね。愛しめは、自分に対する軽い命令形でしょう。ふゆのゆふさんの言うことも分りますが、作者は上の句をある種気分的に書いているのですね。軽いわけです。
しかし、下の句がいいので、上の句は作者の思ったほどには、下の句に対応するほどには効いていない。私なら上の句は捨ててみますが。
という意味にとりました。
あ、知哲さんと同じこと言ってる、かも。
下の句とのつながりは私はいいと思います。
そこはかとない自虐的な図が、夕日の中で翳りつつ存在感を増すようで、決して不幸じゃない。
「パブロフの犬」が出てきますから、どうしても読者の意識はそちらに向ってしまうようです。
しかし、この歌のキーワードは「靴下」ではないかと思います。この靴下は多分、夫のものかと思われますが、まさか夫の靴下だけを毎日洗濯するわけではないでしょう。一日の洗濯物の中には、家族の衣類もあれば下着もあるはずです。
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それは恐らく表面には出さない、夫への感謝と愛情の気持ちからなのではないでしょうか?。
夫はもしかすると営業マンか何かで日々、足を棒のようにして働いているのかもしれません。
一家を支える夫への敬意が、靴下だけを詠ませたように思えます。まさに内助の功、妻の鏡のような作者です。他のスレッド批評とダブるかもしれませんが、このような配偶者ならば死ぬまで「シンデクレ」などとは決して思わないことでしょう。
よって「パブロフの犬」の解釈は、吉原さんと同じく「平凡の幸福」と捉えるのが妥当かと思います。
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