この記事へのコメント
雨の中の桜の倦怠感と、作者の疲れ具合が微妙にマッチしている歌だと思います。「草臥れて」の表記がさくらという植物の伏線になっています。結句の「よく咲くさくら」は韻をふんでいて工夫が感じられます。
Posted by 近藤かすみ at 2010年04月08日 01:51
雰囲気のある面白い歌ですね。坂口安吾の「桜の森の満開の下」を思い出しました。「雨のにほひ」のする「よく咲くさくら」そして「溶けだすような」狂おしい疲れ。その疲れはよく咲く桜に、雨に溶けて降り注ぐその香りに気圧されたものなのか。
Posted by 吉原俊幸 at 2010年04月12日 23:49
漢字と仮名のつかいわけに気をつかった作品ですね。近藤かすみさんの発言どおり「草臥れて」という導入が効果をあげていると思います。世界がきちんとできすぎているので、批評者が発言しにくいのかもしれませんが、私は作者がかもしだそうとした雰囲気に酔うことができました。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年04月21日 22:50
西王です。

すでに前世紀の記憶ですが、「よくさくさくら」というフレーズは、あるサブカルチャーの瞬間的な流行だったと思うのですが、これらに詳しい藤原さんの言及がないのは、私の思い違いかも知れません。

さて、この作品、短歌の解釈は読み手依存だなあ、と思うところあり。とても面白く読んだのですが、私の読み方は、上記三人とはすこし雰囲気が違います。

作中人物は大阪(ふう)のおばさん。
「草臥れて溶けだすやうに座りたり」
これをお好みの地域の大阪弁で翻訳してください。

「はよ行かな、雨が降るさかい、ヨクサクサクラも散ってしまうがな〜」

つまり、溶け出すように座っているおばさんたちの上に、重い雨雲はかかっているが、まだ雨は降り出していない、と私は読みました。おばさんたちは、さすが人生の達人、「雨のにほひ」を感じているのです。
Posted by 西王 at 2010年04月22日 02:13
 ほぼ好評の作品ですが、僕は否定的です。「草臥れて」は言わずに感じられるようにした方がいいし、「(草臥れて)溶けだすやうに(座りたり)」も少し安易(な比喩)なようにおもいます。
 「雨のにほひ」は、並みの演歌によくある表現です。
 「よく咲くさくら」も西王さんの指摘されたとおりでしょう。
 「雨のにほひのよく咲くさくら」の4・5句目の繋がり方も、かならずしも成功してはいないとおもいます。
 結局、慣用表現にほぼ近い表現のみで作ってあり、短歌は、もっと具体的にこまかく見つめて自分の言葉で作った方が有効なようにおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2010年04月22日 09:11
「よく咲く桜」がサブカルチャーのある時期の流行というのはわたしは分からなかったので、調べたのですが、北野キイ(?)の「サクサクラ」という歌をさすのでしょうか?名前とか表記が間違っていると思うので、申し訳ありませんが。
もしこの歌だったとして、歌詞を見たり、動画を見ましたが、納得できませんでした。頭が悪いからかもね(笑。
 草臥れて溶けだすやうに座りたり雨のにほひのよく咲くさくら
「草臥れて」という措辞を許容出来るか出来ないかというと、それほど言うことでもないような気がした。
単に歩きつかれて、花見の茣蓙に辿りついて座ると、頭上には雨のにおいをまとった桜が咲いていた。と、それだけを歌にしたのだとしても構わないかと思う。
これを、たとえば、人生の苦難の末に、とまで読んでもいいけれども、それは、考えすぎなのではないかと。
雨のにおいの桜がきれいに、よく咲いてた、で、わたしは、いいと思った。
ふつうに、いい短歌だと思いました。
Posted by 花森こま at 2010年04月22日 22:56