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短歌人ネット歌会場
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2010年04月06日
第1回ネット歌会詠草/9
音もなく降る春雨のやさしさに滅菌済みのガーゼをあてる
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posted by 短歌人会 at 00:00|
Comment(9)
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この記事へのコメント
なんか妙に気になる作品であるが、意味がよく分からないのが難である。
表現はシュールであっても一向に構わないが、もうちょっと内面的な脈絡というか、イメージの連関がほしいと思う。
「音もなく降る春雨の」はいいとして、それに続く「やさしさに」が、いかにも陳腐な抒情感と言わざるを得ず、良くないんじゃないだろうか。
ここ、工夫の余地があるように思う。
Posted by
坂本野原
at 2010年04月08日 11:17
たぶん、「音もなく降る春雨のやさしさに(つつまれた私は)滅菌済みのガーゼを
あてる、というような意味なのでしょうが、「に」に相当な負担を強いていて、
そこがわかりにくい表現を生む理由になっているのではないでしょうか。
あと、こういう「ガーゼ」の使い方は、どうしても小池光さんのかの歌を連想させて
しまって不利なのではとも思いました。
Posted by 松木 秀 at 2010年04月08日 18:38
なんとなくモヤモヤとした読後感を抱かせてしまう歌かと思う。このモヤモヤが決して嫌いなわけではないのですけど・・・。
そのことは後々で解決することにして、先ず手始めに「音もなく」とか「滅菌済み」とかの修飾過剰と思われる言葉を整理したほうがスッキリ見えてくる。
ぶっちゃけ「春風にガーゼをあてる」それだけを言っとけばこの作品は良いと思う。
ただ問題は「それじゃ短歌になんないじゃん」ということだが、そこんところは、何でもいいから煩くなく差し障りのない言葉を見つけて来てその穴に埋めておけばいいだけのこと。(鬼)
いきなりそんな事言われてもすぐにはちょっと・・・こんなケースでお悩みの方にご紹介する取って置きの商品が、こちらの・・「曜日」!。なんと月曜から日曜まで七種類取り揃えており、しかもそれぞれニュアンスが微妙に異なるというスグレもの。本日に限りこの豪華七点曜日セットに、朝・昼・夕・夜の専用アタッチメントもお付けして特別にご提供させて頂きます。
・・てなわけで上句は「月曜の朝ふりだした春雨の」と仮にしておきましょうか。
さて、本題のモヤモヤ感を誘発する決定的な部分は「やさしさ」の使い方でしょう。
冬場の冷たい雨をやり過して、少し温かい春雨の「やさしさ」って感触でしょうか?
それを「春雨のやさしさにガーゼをあてる」とすると少しダフリ気味の感じがします。
どうでしょう、ここは素直に下句を当てにいってみては如何でしょう?
てなことを考えながら「月曜の朝ふり出した春雨にガーゼをあてるやさしさがある」この辺りで手をうたれたら如何なもんでしょうか?幾分はモヤモヤ感が減少するかと思います。
ただすっきりさせ過ぎて歌がつまんなくなるという弊害もありますので、降り出しにもどってもう一度考えてみるということが大切かと思われます。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月08日 20:00
初めて読んだ時からやや時を経まして、また両御所のご意見を拝読いたしまして、前言を若干修正します。
この歌は、ワケが分からないなら分からないなりに、シンプルで、ある意味象徴的なイメージを味読すればいいのだと思うようになりました。
特に、倉益さんの熱血評論文には笑えました。
・・・なるほど、これで分かった。
要するに、言わんとするところは「春雨じゃ、濡れていこう」と古来謳われた温かい春雨に、清潔なガーゼを晒してみたという単純な動作でしょうか。
そこには、けっこう深いものがあるような、・・・ないような。
現代美術や現代詩の最尖端なんて、本当にワケの分からない世界ですが、いうなればこの歌は、そうした読みを要求されるというか、虚心坦懐に受け止めればいいのかも知れませんね。
ただ、過剰に微温的な修辞、特に「やさしさ」というような言葉がなまぬる〜い感じを与えるのはちょっと願い下げだと、今もやはり思います。
深読みをすれば、この一首全体が、純粋培養的に育てられて根拠なきナルシシズムが蔓延しているという最近の若者気質を、遠まわしに批判している、社会心理学的な作品とも受け取れます。
・・・そりゃ無理か。
Posted by
坂本野原
at 2010年04月09日 12:07
「滅菌済み」というところが現在の社会の潔癖さを言い当てていると思う。
Posted by 間 ルリ at 2010年04月11日 08:26
「音もなく降る春雨」は「やさしさ」を導き出すための序詞
と考えればそれほど難解な歌でもないだろう。
我が子や愛する人の傷の手当をしている場面をイメージすればよい。
作中主体の相手をいとおしむ気持ち、
やさしさがしずかに伝わってくる秀歌です。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月11日 11:06
「春雨」とは、やさしく音もなく降るものでしょう。 そう考えると、やや過剰な修辞のようにも思えます。しかし四句以降との関係を考えると、これで漸くバランスのとれた歌になっているとも思えます。
ガーゼをあてている対象を特定することは難しいですが、歌全体から伝わるやわらかな感性に心が和む思いがします。
素敵な歌だと思います。
Posted by 村上 喬 at 2010年04月11日 21:41
伊波さんの序詞説には一応賛成です。が、その序詞のなかで意味が重なっているのがマイナス(ほぼ、音もなく降る雨=春雨、であるため)。序詞的な詞は、「やまどりのおのしだりおの」(新かな、ひらがなですみません)のように基本的に具体的であるのがいいのではないでしょうか。
主語も動詞の対象の人物も明記されていないので、対象の人物が、自分か他のひとかの両方にとれてしまう表現になっています。
松木さんが書いているように「ガーゼ」を使った短歌なら小池さんの作品の超パロディーか、小池さんの作品の上をいく作品を目指さないと弱いでしょうね。
「減菌済みの」も一首の中であまり生きていないようにおもいます。それ以上に「やさしさ」を使わずに、やさしさを感じさせれれば、いいとおもいますが、どうでしょうか。いじりすぎで、すみません。
Posted by 山寺修象 at 2010年04月11日 22:53
コメントを下さったみなさま、ありがとうございました。
さまざまなご意見を頂戴いたしましたが、私としては上の句=序詞のつもりでつくりました。
私の短歌と向き合っていただいたことに感謝申し上げます。
戴いたご意見は今後の作歌に役立てられるよう努力します。
次回のネット歌会にも是非参加したいです。
Posted by 今井ゆきこ at 2010年05月01日 22:41
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ここ、工夫の余地があるように思う。
あてる、というような意味なのでしょうが、「に」に相当な負担を強いていて、
そこがわかりにくい表現を生む理由になっているのではないでしょうか。
あと、こういう「ガーゼ」の使い方は、どうしても小池光さんのかの歌を連想させて
しまって不利なのではとも思いました。
そのことは後々で解決することにして、先ず手始めに「音もなく」とか「滅菌済み」とかの修飾過剰と思われる言葉を整理したほうがスッキリ見えてくる。
ぶっちゃけ「春風にガーゼをあてる」それだけを言っとけばこの作品は良いと思う。
ただ問題は「それじゃ短歌になんないじゃん」ということだが、そこんところは、何でもいいから煩くなく差し障りのない言葉を見つけて来てその穴に埋めておけばいいだけのこと。(鬼)
いきなりそんな事言われてもすぐにはちょっと・・・こんなケースでお悩みの方にご紹介する取って置きの商品が、こちらの・・「曜日」!。なんと月曜から日曜まで七種類取り揃えており、しかもそれぞれニュアンスが微妙に異なるというスグレもの。本日に限りこの豪華七点曜日セットに、朝・昼・夕・夜の専用アタッチメントもお付けして特別にご提供させて頂きます。
・・てなわけで上句は「月曜の朝ふりだした春雨の」と仮にしておきましょうか。
さて、本題のモヤモヤ感を誘発する決定的な部分は「やさしさ」の使い方でしょう。
冬場の冷たい雨をやり過して、少し温かい春雨の「やさしさ」って感触でしょうか?
それを「春雨のやさしさにガーゼをあてる」とすると少しダフリ気味の感じがします。
どうでしょう、ここは素直に下句を当てにいってみては如何でしょう?
てなことを考えながら「月曜の朝ふり出した春雨にガーゼをあてるやさしさがある」この辺りで手をうたれたら如何なもんでしょうか?幾分はモヤモヤ感が減少するかと思います。
ただすっきりさせ過ぎて歌がつまんなくなるという弊害もありますので、降り出しにもどってもう一度考えてみるということが大切かと思われます。
この歌は、ワケが分からないなら分からないなりに、シンプルで、ある意味象徴的なイメージを味読すればいいのだと思うようになりました。
特に、倉益さんの熱血評論文には笑えました。
・・・なるほど、これで分かった。
要するに、言わんとするところは「春雨じゃ、濡れていこう」と古来謳われた温かい春雨に、清潔なガーゼを晒してみたという単純な動作でしょうか。
そこには、けっこう深いものがあるような、・・・ないような。
現代美術や現代詩の最尖端なんて、本当にワケの分からない世界ですが、いうなればこの歌は、そうした読みを要求されるというか、虚心坦懐に受け止めればいいのかも知れませんね。
ただ、過剰に微温的な修辞、特に「やさしさ」というような言葉がなまぬる〜い感じを与えるのはちょっと願い下げだと、今もやはり思います。
深読みをすれば、この一首全体が、純粋培養的に育てられて根拠なきナルシシズムが蔓延しているという最近の若者気質を、遠まわしに批判している、社会心理学的な作品とも受け取れます。
・・・そりゃ無理か。
と考えればそれほど難解な歌でもないだろう。
我が子や愛する人の傷の手当をしている場面をイメージすればよい。
作中主体の相手をいとおしむ気持ち、
やさしさがしずかに伝わってくる秀歌です。
ガーゼをあてている対象を特定することは難しいですが、歌全体から伝わるやわらかな感性に心が和む思いがします。
素敵な歌だと思います。
主語も動詞の対象の人物も明記されていないので、対象の人物が、自分か他のひとかの両方にとれてしまう表現になっています。
松木さんが書いているように「ガーゼ」を使った短歌なら小池さんの作品の超パロディーか、小池さんの作品の上をいく作品を目指さないと弱いでしょうね。
「減菌済みの」も一首の中であまり生きていないようにおもいます。それ以上に「やさしさ」を使わずに、やさしさを感じさせれれば、いいとおもいますが、どうでしょうか。いじりすぎで、すみません。
さまざまなご意見を頂戴いたしましたが、私としては上の句=序詞のつもりでつくりました。
私の短歌と向き合っていただいたことに感謝申し上げます。
戴いたご意見は今後の作歌に役立てられるよう努力します。
次回のネット歌会にも是非参加したいです。