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2010年04月06日
第1回ネット歌会詠草/4
学校と縁切れてより久しくて「春休み」はただ年度末なり
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Comment(7)
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この記事へのコメント
3月、ひたすら忙しい「年度末」をすごす作者は・・・たぶん会社員。
学校を卒業して「久しい」年齢。
働き盛りなのでしょうか。でも、仕事が面白いというより、
ちょっと疲れも見える気がする「ただ」のことば。
学生の頃の「春休み」の、
先のことは分からないまま明るいわくわくするようなエネルギーに満ちた時期。
そこへは戻れない、大人の自分。
でも、まだなにかを諦めているふうではない。
こんなふうに拝読しました。
そこはかとなく哀感があって、好感が持てました。
Posted by 梶崎恭子 at 2010年04月06日 12:06
多忙な年度末を送っている方だと思います。だから、リタイアして久しい方になると、これさえ郷愁になりますが。
リタイアもしてませんが暇な社会人でも、春休みの実感はもうないです。子供がいるお母さんはまた別の感慨があるでしょう。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年04月07日 19:12
作中主体は現在「年度末」を意識する状況にあるのですね。学校との縁は、学生だったのか、それとも学校関係者だったのか。確率としては学生の可能性が高そうですね。
「春休み」という部分からは、いわゆる年度末という時期を「春」や「三月」ではなくて「春休み」だなあと感じているということと、「ただ年度末」という部分からは、その時期に関して「春休み」に感じたような感覚が失われた状況である、というおそらくは残念な気持ちがあるように思われます。これら下の句の部分は、叙述的であるせいか少し余韻に欠けると思います。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年04月11日 20:26
われにある季節感は十二年の学校生活に因るところなり 花山周子
という歌を思い出しました。
現在の生活を、過ぎ去った学生時代を尺度にして
把握するというのは誰にでもあることで、
多くの人が共感しやすいところを一首に掬い取っています。
詠い出しの「学校と縁切れて」という表現が少しきつく感じました。
四句目の「春休み」は、「学生時代には春休み期間中だった三月」
ということを要約したものでしょうけれど、ちょっと無理があるように思います
(言わんとすることはよくわかるのですが……)。
詠い出し、上の句をバッサリ捨てて、
息子の春休みは私にとってはただの年度末だ、
というような歌意にしてみるのも一つの手かもしれません。
Posted by 伊波虎英 at 2010年04月14日 11:49
そろそろオーラスに近づいたようなので最期のコメントを極めて真面目に、しかも誰にでも分かりやすい形で入れさせて頂きます。
この歌は恐らく下句の、「春休み」はただ年度末なり、のフレーズが最初に出来上がったのでしょう。それはママあることですが・・。この下句に繋げるため、あるいは整合性をつけるために上句を後ヅケしたのではないかと私には思えます。どこかモタモタした感じが上句の打ち筋から見えてきます。これで仮にリーチをかけたとしても、すでに序盤でミエミエな手を読まれてしまっている以上、もはや自模ってくる他にはアガリ筋はなく、ここで放銃を期待するのはとても難しい局面かと思われます。この場面は、伊波さんがお書きのように「詠い出し、上の句をバッサリ捨てて」という英断が求められるように思います。
ではどうしたらよいのか?。問題は年度末の満貫狙いか、「春休み」の倍満狙いでゆくかということに集約されてくるのではないでしょうか。ここは敢えて自重して満貫狙いでいきたいものかと僭越ながら考える次第でございます。
思えば、学生時代には「春休み」なんてあまり印象に残らない出来事だったのではないでしょうか?
やはりメインは夏休み、続いて冬休みではなかったではないでしょうか?。
ここで極めて個人的な見解を述べさせて頂けるのならば、なんで夏休み及び冬休みにそれほどのトラウマ的な印象深い思い出が残っているのか?・・それは宿題があったからです。(きっぱり)
今でもあるのかは知りませんが、私の幼少の頃は「夏の友」・「冬の友」という絶対にこいつ等だけは友達にしたくないと言うエゲツナイ課題を渡されたものでした。しかるに、春休みに関してはそのような宿題もない、とても脳天気なお休みだったように記憶しております。その上、卒業とかクラス変えなどあったりして・・・愛しい彼女と離れ離れになる悲しみや、やっとこさ腐れ縁が切れて新しい出会いにかけられる喜びや・・それはそれは清濁併せ持った刺激的なシーズンだったようにも思えます。しかし今にして思えば、あくまで学校サイドの年末調整を兼ねたお休みだったかもしれませんね。
さてこの歌、どう決着をつけましょうか?。ここは「春休み」で上がると見せかけて実は確実に「年度末」で勝負したいところように思えます。
そうと決まったら「春休み」を3句目に持ってゆきたい。3句切れという実に厳しい選択ですが、敢えて自らにプレッシャーをかけてゆきたい。そうして、その前後を煙に巻くオノマトペとかセンチメンタルな言葉を配しながら最期は「年度末」でアガリって寸法です。如何でしょうか?。とりあえず試しにやってみましょう。
「ふわふわと浮かれ過しし春休み刹那に思う年度末なり」
どんなもんでしょう?裏ドラ期待のリーチって感じでしょうか?
ほな、サイナラ。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月24日 22:06
倉益さん、長文で大分苦労されましたが、僕は、改作作品より元歌作品の方をとりたいです。
伊波さんの指摘のように1、2句目は、推敲の余地がありそうです。
Posted by 山寺修象 at 2010年04月26日 07:59
有意義なコメントをありがとうございます。
自分の歌があまりにも凡庸で、コメントをひとつもいただけないのでは?と思っていたので、とても嬉しかったです。
鬱々と学生時代を過ごしてしまった私は、そのツケがまわってか仕事に追われる毎日。「春休み」という言葉にチクリとした感覚があるので作ったものです。コメントを参考に、表現方法を考えてみます。
今回はじめてネット歌会に参加させていただきました。時間をかけて作品を読む事ができるところが良いですね〜。本当にたくさんの事を教えていただきました。
スタッフの皆様に大感謝です。
Posted by 三田村まどか at 2010年04月30日 08:34
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「春休み」という部分からは、いわゆる年度末という時期を「春」や「三月」ではなくて「春休み」だなあと感じているということと、「ただ年度末」という部分からは、その時期に関して「春休み」に感じたような感覚が失われた状況である、というおそらくは残念な気持ちがあるように思われます。これら下の句の部分は、叙述的であるせいか少し余韻に欠けると思います。
という歌を思い出しました。
現在の生活を、過ぎ去った学生時代を尺度にして
把握するというのは誰にでもあることで、
多くの人が共感しやすいところを一首に掬い取っています。
詠い出しの「学校と縁切れて」という表現が少しきつく感じました。
四句目の「春休み」は、「学生時代には春休み期間中だった三月」
ということを要約したものでしょうけれど、ちょっと無理があるように思います
(言わんとすることはよくわかるのですが……)。
詠い出し、上の句をバッサリ捨てて、
息子の春休みは私にとってはただの年度末だ、
というような歌意にしてみるのも一つの手かもしれません。
この歌は恐らく下句の、「春休み」はただ年度末なり、のフレーズが最初に出来上がったのでしょう。それはママあることですが・・。この下句に繋げるため、あるいは整合性をつけるために上句を後ヅケしたのではないかと私には思えます。どこかモタモタした感じが上句の打ち筋から見えてきます。これで仮にリーチをかけたとしても、すでに序盤でミエミエな手を読まれてしまっている以上、もはや自模ってくる他にはアガリ筋はなく、ここで放銃を期待するのはとても難しい局面かと思われます。この場面は、伊波さんがお書きのように「詠い出し、上の句をバッサリ捨てて」という英断が求められるように思います。
ではどうしたらよいのか?。問題は年度末の満貫狙いか、「春休み」の倍満狙いでゆくかということに集約されてくるのではないでしょうか。ここは敢えて自重して満貫狙いでいきたいものかと僭越ながら考える次第でございます。
思えば、学生時代には「春休み」なんてあまり印象に残らない出来事だったのではないでしょうか?
やはりメインは夏休み、続いて冬休みではなかったではないでしょうか?。
ここで極めて個人的な見解を述べさせて頂けるのならば、なんで夏休み及び冬休みにそれほどのトラウマ的な印象深い思い出が残っているのか?・・それは宿題があったからです。(きっぱり)
今でもあるのかは知りませんが、私の幼少の頃は「夏の友」・「冬の友」という絶対にこいつ等だけは友達にしたくないと言うエゲツナイ課題を渡されたものでした。しかるに、春休みに関してはそのような宿題もない、とても脳天気なお休みだったように記憶しております。その上、卒業とかクラス変えなどあったりして・・・愛しい彼女と離れ離れになる悲しみや、やっとこさ腐れ縁が切れて新しい出会いにかけられる喜びや・・それはそれは清濁併せ持った刺激的なシーズンだったようにも思えます。しかし今にして思えば、あくまで学校サイドの年末調整を兼ねたお休みだったかもしれませんね。
さてこの歌、どう決着をつけましょうか?。ここは「春休み」で上がると見せかけて実は確実に「年度末」で勝負したいところように思えます。
そうと決まったら「春休み」を3句目に持ってゆきたい。3句切れという実に厳しい選択ですが、敢えて自らにプレッシャーをかけてゆきたい。そうして、その前後を煙に巻くオノマトペとかセンチメンタルな言葉を配しながら最期は「年度末」でアガリって寸法です。如何でしょうか?。とりあえず試しにやってみましょう。
「ふわふわと浮かれ過しし春休み刹那に思う年度末なり」
どんなもんでしょう?裏ドラ期待のリーチって感じでしょうか?
ほな、サイナラ。
伊波さんの指摘のように1、2句目は、推敲の余地がありそうです。
自分の歌があまりにも凡庸で、コメントをひとつもいただけないのでは?と思っていたので、とても嬉しかったです。
鬱々と学生時代を過ごしてしまった私は、そのツケがまわってか仕事に追われる毎日。「春休み」という言葉にチクリとした感覚があるので作ったものです。コメントを参考に、表現方法を考えてみます。
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