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短歌人ネット歌会場
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2010年04月06日
第1回ネット歌会詠草/1
酔いどれて蜂のムサシは天へ行きしたたか打たれてもどれりと聞く
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この記事へのコメント
この歌で二つの歌を思い出しました。
『ハチのムサシは死んだのさ』平田隆夫とセルスターズ(1967)
『帰ってきたヨッパライ』フォーク・クルセダーズ(1967)
この二つの歌をミックスした情景が浮かんできました。
私の連想が正しいとすれば作者はある程度の年代以上の人だと思います。
若い方はこの歌を読んでも私が抱いたようなイメージは浮かべないだろうと思います。
私としてはとても懐かしく感じたのですが、古い歌の記憶なしにこの歌を読んだ時、この歌の面白さはどれほど伝わるのかちょっと疑問です。
Posted by 海野 雪 at 2010年04月06日 22:19
訂正です,すみません。
『ハチのムサシは死んだのさ』平田隆夫とセルスターズ(1967)
1967年は間違いで、1972年でした。
Posted by 海野 雪 at 2010年04月06日 22:57
海野さんの言われるとおりですね。ただ、これだと「みんなにわからない」と言うか「知ってる人は知ってる」となるのかは答が別れると思います。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年04月07日 19:01
私は、知っている人だけにしかつたわらない歌があってかまわないと思います。現に、疑問を出している海野雪さんは、きちんと、下敷の歌を提示してくれている。わかってくれているわけです。私も同世代なので、「蜂のムサシ」というだけで、セルスターズの唄がよみがえってきます。この下敷をしらない人につたわらないことは、まったくかまわない。他世代の人につたわらないかもしれないからといって、自分の表現をぬるくすることはまちがいだと思います。文学とは本来、自分勝手なものなのですから。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年04月10日 10:16
この作品の良し悪しを言うとするなら、わたしには、さほどの秀作とも思えないのですが、それとはべつに、固有名詞とかの使い方として、誰もが知っていることを詠むべき、あるいは、分かるように表現すべき、という考え方は、やや、間違っていると思います。
陳腐なたとえですが「美空ひばり」だって、もう、知らない世代はいると思いますし。
でも、「美空ひばり」と歌に詠み込んだからといって、作品の価値が下がるということはないでしょう。
ちなみに、わたしの娘はつい先日22歳になったばかりですが、この「ハチのムサシ」の歌が大好きで、たまにカラオケで歌っています。
TVの歌番組やユーチューブなどで情報は入ってきます。
なので、時代を共有することは可能だと思いました。
Posted by 花森こま at 2010年04月10日 13:54
「ハチのムサシ・・」も「帰ってきたヨッパライ」も、いわゆるナンセンスソングの範疇に属する音楽だろう。
その他の代表的な曲を思い浮かべてみると、1969年に知らず知らずカビが湧いたようにヒットした「左ト全とひまわりキティーズ」の「老人と子供のポルカ」がある。
「やめてケレ、やめてケレ、やめてケーレ、ゲバゲバ」この手の意味不明の歌詞が延々と続き、最後は「かみさま かみさま 助けてパパヤ」で終る。今で言うところの認知症のたわごとで、意味もへったくれもない、ただ勢いだけのゲテモノ音楽であった。
今にして思えば当時の我々一般大衆は、誰も画期的なシーンを求めていたようだ。新しいスタイルがブームへと発展する。その新しさを求めて試行錯誤してゆくうちに、時にグロテスクなイメージを生み出してしまうことも、少なくなかった。画期的という言葉は、誰も考えないほどバカバカしい・・と同一の意味を兼ね備えるという単純明快な事実を当時の大衆の多くが忘れていたようである。その線から言うと、1972年に「どうにも止まらない」でフルモデルチェンジした山本リンダも、きっと冒険だったと思う。
さて、この歌で(やっと短歌作品に戻ります)とても残念に思われるのは結句の「聞く」。最後の最後に保険をかけて、一般常識人の立場から報告してもらってもナンセンスの意味がない。(少し変?)
やはり初心貫徹、刺し違える覚悟をもって力強い断定で結句を締めて頂きたいと思う次第であります。
Posted by 倉益 敬 at 2010年04月12日 17:01
わたしもどちらの歌もよく知っています。
倉益さんの言われるように、最後で「聞く」としたのが惜しい。「もどってしまった」という結末にすればよいと思います。
Posted by
近藤かすみ
at 2010年04月12日 19:58
1972年、聴いてはいたでしょうが何を思っていたのかは不明です。1967年、聴いていたかどうかの記憶がありません。
親が聞いていた世代まで下がるとナンですが、知っている世代と親の世代から受け継いだ世代。いろんな世代がありますね。
最後の「聞く」私ならどう動かそう?エンドレステープみたいなナンセンスさ、出したいんですけど
Posted by ふゆのゆふ at 2010年04月13日 17:04
この二つの歌をとにもかくにも耳にしていましたが、1972ねん、私は7才になる年で「帰ってきたヨッパライ」の声が非常にへんてこなので真似ばかりしていました、「蜂のムサシ」の歌はかっこいいのですが、どういう具合でか、中学生前には完璧にこの二つの歌が頭で合体してしまい、多分、合体したまま人生を送っていくと思います。
一番好きな歌は「ピンポンパンのテーマ」でした。何でも踊って歌っていました、そんなもんです。何を考えていたのか、一番自分が「聞きたい」ですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年04月28日 20:01
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倉益さんの言われるように、最後で「聞く」としたのが惜しい。「もどってしまった」という結末にすればよいと思います。
親が聞いていた世代まで下がるとナンですが、知っている世代と親の世代から受け継いだ世代。いろんな世代がありますね。
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