この記事へのコメント
暑くなってきて、エアコンや扇風機で工夫してもなかなか寝苦しい夜があります。
二句切れの歌で、寝苦しき・・からあとは素直に読めます。
寝室に呻く声が、だれの声なのか、いろいろ想像できます。作者がその寝室にいるのか、隣の部屋にいるのか。
具体的なものが寝室だけなので、どんな寝室か、だれが呻くのか、寝苦しいのか・・・。ポイントとなる言葉があればもっと魅力のある歌になるのではないでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2010年07月09日 09:55
>寝苦しき夜はそのまま朝につながる

これを引き出す前の句が

>寝室に呻く声あり

というのは、少し大げさに感じます。
「呻く」理由があったのかもしれませんが、
それに関する取っ掛かりが下句「寝苦しき」
では、少々無理があるように感じました。
過剰なドラマ設定はいらないと思いますが、
何かしら上句を支える物語であってほしいものです。
Posted by 勺 禰子(しゃく ねこ) at 2010年07月13日 14:08
寝室に呻く声あり寝苦しき夜はそのまま朝につながる

西王です。

「寝室に呻く声あり」という記述から私たちが受け取るイメージは、「寝室はひとつである」ということです。寝室A寝室Bということを想定させない記述であります。

ここがもっとも大きなポイントだと思います。

「寝室に呻く声あり」といえば、作品主体は当然、寝室以外にいる。

寝室以外に、この家にはどのような部屋があるか。たとえば、主たる寝室とは区切られた子供部屋の可能性。あとは、ダイニングというか、いわゆるオープンスペースですね。

読み1

作者は子供部屋の二段ベッドにいる思春期の少女。寝室から両親の呻き声が聞こえてくる。寝苦しい。

読み2

マンションの「寝室」は、田舎から来た姑の部屋になっている。私たち夫婦はダイニングルームで寝る。夫は今夜も出張で帰って来ない。「寝室」からは姑の呻き声が聞こえてきて寝苦しい。

読み3

夫は末期がんである。そのことが判明して、病院から見放されて退院(正しくは放院)した。寝室から夫の呻き声が聞こえてくる。いったい私になにができるというのだろう、毎日毎晩、寝苦しい夜が朝に繋がってゆく日々である。

作品の読解としては、(作者の意図とは別に)3が正解のような気がします。
Posted by 西王 燦  at 2010年07月17日 20:56
最後の七・七で、まさにみごとにリアルになっている。
状況は詠み手によって色々でしょうが、まさに、昨日そうでした。 私(わたし)
私の場合は乾燥機をかけたまま、悶々と、結局 朝まで気になったのですが、明け易しで、五時半に階下におり、たたんで、七時まで寝ました。
何だと思うくらい大きく詠い始めたところが、多分、どうってことないことを、歌にしあげている。勉強になりました。ありがとうございます。
Posted by 西五辻芳子(にしいつつじよしこ) at 2010年07月27日 18:09
西王です。

寝室に呻く声あり寝苦しき夜はそのまま朝につながる

この作品についての西五辻芳子さんの解釈はは、作者を甘やかしています。

「私の場合は乾燥機をかけたまま、悶々と、結局 朝まで気になったのですが、明け易しで、五時半に階下におり、たたんで、七時まで寝ました。」

これが西五辻さんの解釈です。

「私は二階の寝室にいる。一階の、浴室・トイレ・洗濯室から乾燥機の呻く声が聞こえてきて寝苦しかったが、朝早く、それらの洗濯物を畳んで、もういちど寝て7時に目覚めた。」

とても親切な解釈ですが、無理です。
こういう解釈をしていると、この作者の成長にならない。他方、読み手(西五辻さん)のためにもならない。

「寝室に呻く声あり」と書かれたとき、それがどこから発せられた声(音ではない)であるかを作者も読者も冷静に考えないといけない。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月29日 23:17
わたしの感じたことを述べますと、この歌の場合は、呻いていたのは作者ではないかと思いました。寝苦しい夜の中で朝になっていく時間を見ている作者なのだと。
ただ、表現方法があいまいな感じがするので、誰がうめいているのかと、読者は迷いますね。横に寝ている配偶者であっても構わないですね。

*「私の場合は乾燥機をかけたまま、悶々と、結局 朝まで気になったのですが、明け易しで、五時半に階下におり、たたんで、七時まで寝ました。」

これが西五辻さんの解釈です。*

と、西王さんが書かれていますが、西五辻さんは、ご自分の場合を言っておられるだけで、この歌の解釈を書いてはおられないように思います。「私の場合は」というのは、あくまで西五辻さんの場合はこういうことがありました、ということなのではないでしょうか。
西王さんは、あまりにドラマティックに状況を作って解釈されますが、前回も、勺さんの歌を援助交際と断定されたような書き方をされていましたが、わたしは、まったくそういう鑑賞の仕方は、方向を誤っておられると思います。
それぞれにいろいろな解釈の仕方があるので、西王さんはそういう解釈をされたいのかも知れませんが、西五辻さんへのコメントに限らず、暴走を感じるのはわたしだけでしょうか?
もっと、作品に添った素直な鑑賞をしたいと思っています。
Posted by 花森こま at 2010年07月30日 12:25
有り難うございます。
寝室に呻く声あり寝苦しき夜はそのまま朝につながる

「寝室に呻く声あり」は、詠み手それぞれの解釈でいいと思ったのです。言葉が不充分でした。
私は、同じ部屋に寝ている妻の酷暑の夜更けの夢に呻く声と考えました。大上段にはじまり、諧謔をこめて詠った。
 「寝苦しき夜はそのまま朝につながる」に私が同感する私のことを述べました。

作者の立場にたって、その歌を詠む事が、私の信条ですが、確かにその詠みが大変相違した経験もありますので、作者の声をお聞きしたいです。

Posted by 西五辻芳子 at 2010年07月30日 13:57
西王です。

寝室に呻く声あり寝苦しき夜はそのまま朝につながる

この作品について、

西王さんは、あまりにドラマティックに状況を作って解釈されますが、前回も、勺さんの歌を援助交際と断定されたような書き方をされていましたが、わたしは、まったくそういう鑑賞の仕方は、方向を誤っておられると思います。

と、花森さんがお書きです。「暴走を感じる」とお書きのところには、おそらく不愉快を感じられたのでありましょうから、お詫びします。

ただ、念のため書きますと、私の暴走的解釈(笑)は、この作品の作者にひそなかアドバイスを与えていると思います。この作品の場面設定に足りないところ。余計なところ。勺さんの場合も同様です。

短歌作品とは、名詞=既存の事柄の引用+助動詞=方向性+助詞=傾き+動詞=それらの動き、の組み合わせで成り立っています。
これを解釈する場合は、その組み合わせを凝視することしかないのです。

(西五辻芳子さんの言い方を引用してごめんなさい)、あらかじめ作者の立場に立って、この組み合わせを崩して読むことは、作者を甘やかすことになり、ひいては読み手が作品に甘えることにもなります。

作者の立場に立たず、読み手の側の事情にも頼らず、文脈の微妙な組み合わせのみから導かれた解釈の可能性を大切にしたいと私はいつも考えています。

なお、私の解釈や批評は、作品そのもに対するものであり、作者を非難するものではありません。あたかも作者を非難したように受け取られれると、暴走的解釈と言われるのですが(笑)。

作者と作品を切り離して読むこと。これが大切なのですが、あさっての短歌人夏の会でも、「作者読み」=作者の立場に立って読むことや、「読み手読み」=読み手の都合に合わせて読むことが、横行していることでありましょう。

なお、くどいようですが、私がしばしば「経験的読み」と述べるのは、たまたま読み手の私がこうだった、という意味ではなく、あらゆる経験の可能性を想定した読み、という意味です。作品を解釈する場合、私はいつもバイセクシャル(笑)です。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月30日 22:04

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