この記事へのコメント
下の句「やや褐色の夫の背中」に、省略された「象のような」が掛かっている、一種の直喩法(シミル)といっていいのでしょう。

この関係は分かり易すぎるほど分かり易いですが、けっこう素朴でイノセント(無邪気)な面白さがあって、個人的には好きです。

加えて、下の句は、たぶん閨(ねや)か褥(しとね)の男と女の描写でしょうか、微妙なエロティシズムが漂っているのも、艶っぽくて想像を逞しゅうさせて、ナイス。

倦怠感に包まれた、けっこうベテランのご夫婦ですか?
早めの暑中お見舞いを申し上げます。

「ふるさとを遠く離れて」というような常套句があると思いますが、もしかして作中主体のご主人の故郷は「象の耳はためく国」ですか〜? ・・・それは考えすぎか。

それと、少なからぬ方が同意してくださるのではないかと思うが、やっぱり作者の方は、ホムホム穂村弘さんをちょっと意識しました?

どうしても、衝撃の名歌「サバンナの象の・・・」を連想してしまうのは、ホムホムの凄さの再認識ですな〜。

まあ、この場合、どちらかというとインドか東南アジアと見ましたけどね。

そんなこんなで、全く考えがまとまらずまことに申し訳ありませんが、大変面白かったことだけは表明しておきたいです。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月08日 11:20
「象の耳はためく国」と「やや褐色の夫の背中」が微妙にからまりあって、好きな歌だなあと思いました。
Posted by 楠田よはんな at 2010年07月10日 09:46
私もインドの象さんだと思いました。

海外に単身赴任している「夫」を恋しく思っている短歌と読ませていただきました。

坂本様のコメントを読むまで「やや褐色の夫の背中」に「象」が掛かっているとは思いもよらなかったので、びっくりしました。
Posted by 三田村まどか at 2010年07月10日 11:31
三田村さん、あ〜そうでしたか。

僕は、これはほとんど直喩に近いあからさまな比喩と見たんですけど、やはり隠喩(メタファー)というべきなのかも知れませんね。

東南アジアかインドに単身赴任している夫を偲んでいるという読み方も新鮮でした。

なるほど、ありえますね〜。
私の同級生にもけっこういます。

ある種のメルヘンチックな感じもあって、楽しい歌だと思います。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月10日 13:14
象の耳はためく国は遠くしてやや褐色の夫の背中

わたしは、象の耳がはためく国、インドやタイのような、エキゾチックな国を、作者はあこがれているのかと思いました。
一度も行ったことのないその国を遠望しつつ、もしかしたらそこにあるだろう、信仰とか、永遠性とかを深くあこがれつつ、一生のうちに行けないかもしれない今の自分と、自分に背中を向けている夫の無心な背中を見ているのではないでしょうか。
それは、拒否でも肯定でもなく、静かな日常として、そこにある、と感じました。
Posted by 花森こま at 2010年07月10日 15:29
花森こまさんの「静かな日常として、そこにある」、に共感します。

上の句の情景から夫の背へとうつる視点の移動、いまだ見たことがないであろう場所から夫の背と言うしごく近いものへの移動、距離感、がよいと思います。
Posted by 弘井文子 at 2010年07月11日 10:21
象の耳はためく国というのが、具体的には書かれていませんが、インドかアフリカか都会ではなく自然状況の厳しいところ。そこへ出張している夫の背中を、やや褐色だったなあと懐かしんでいる歌と、読みました。

花森こまさんお書きの「自分に背中を向けている夫の無心な背中を見ているのではないでしょうか。
それは、拒否でも肯定でもなく、静かな日常として、そこにある」という解釈に共感します。

夫は無視しているのではなく、無心なのでしょう。きっと。
仕事への野心には満ちていて。
Posted by 近藤かすみ at 2010年07月12日 19:11
ひとさまの意見に反論というのではなく、今一度書かせていただきますと。
象が出てきたから穂村弘、を喚起していけないとはいわないけど、それは、あまりに短絡的ではないでしょうか。
わたしは穂村氏のその短歌には、着想の面白さは買いますが、それ以上の広がりを受け止められないので、それしか言わないことにしますけど。
そして、単身赴任、と受け取っても別に構わないのですが、実際作者はそういう立場のひとかもしれませんから。
でも、くりかえしますが、わたしは、「象の耳はためく国」につよい憧れを抱きながら、ついにそこに行かないままに、今、ここにいるわたし、と、そのわたしに、褐色の背中(健康な肉体と健全な労働の証として)を向けて、安らかな寝息をたてている夫との、かすかな距離を思いました。
でも、作者と夫は、日常の中で、微妙に距離があったり、なかったりしながら、均衡を保ちつつ、ともに暮らしていると、思ったのです。
作者の、遠い国への憧れに気づかないままの夫を、きっと、作者は、愛していて、優しい目でみている。こころには、憧れを秘めたままで。そういう作品として、好感を持ちます。
今回の作品群の中では、わたしにとっては、もっとも共感できるものでした。
Posted by 花森こま at 2010年07月13日 01:37
23. 象の耳はためく国は遠くしてやや褐色の夫の背中

夫との距離を感じている妻が、最近すっかり見ることのなくなった夫の背中の
皮膚の色を想起したことで、象の皮膚へとイメージが広がり、そこからさらに
遠い国で耳をはためかせゆうゆうと大地を歩く象の姿へと思いを馳せているのだろう。
遠い国でゆうゆうと生きている象が、夫の鈍感さ加減、そして妻との心の距離感と重なります。
この遠さは、やはりアフリカ(そしてアフリカ象)でなければならないでしょうね。

夫が海外へ単身赴任や出張中と解釈するよりは、妻の心象のイメージとしてとらえたほうが
魅力的な歌だと思いました。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年07月13日 12:08
 僕には、「象の耳はためく国」の「象の耳はためく」がとれません。たぶん、イメージなのでしょうが。
 「はためく」の「はた」は「旗」ではなく、擬音語の「ハタ」であり、「風で旗がはためく」の「はためく」というのは、広辞苑の「はためく」の(2)に「ばたばたと動く」とあるように、(風などにあおられて)ばたばたと音をともなって動く意、なので、何トンもある象の耳は、象自身の意思によっては動いても、はためかないとおもいます。ヘリクツかもしれません。
Posted by 山寺修象 at 2010年07月13日 20:57
すいません、水曜までコメント可とのことですが書き込ませていただきます。

*穂村弘さんははまったく頭にありませんでした。

*自分でも最初は<はためく>は気になっていますがあえて<はためく>としました。

*<象の耳はためく国>と<やや褐色の夫の背中>との関係が表現できなかった
のでしょうか単身赴任は頭にありませんでした。

自分の表現したかったことを的確に読んでいただけさらに工夫して行きたいと思います。

Posted by ソガ・カナメ at 2010年08月05日 14:39

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