この記事へのコメント
面白い歌だと思いました。
ただ、
>昨夜は深く入れた唇
エロティックな歌い方が上手くいっているかどうか以前に、ここが不正確な気がします。実際の動きを想像してみると、滑稽で残念。普通唇は入らない。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月11日 09:08
同じくおもしろい歌だと思いました。
ただ、長谷川さんと少し違うのは、「深く入れた唇」。
ハイヤ節を「ほそぼそと」「呟く」など、かなり細心の注意で言葉を選ばれていそうですから、ここは
「(私の舌〔一般的な想定内として。後は各自で〕を〔私が〕)深く入れた(あなたの)唇」と補われるのではないでしょうか。
「呟く」のは「唇」ですし。
そうなると下句は不用意ではなく周到に用意されたものだと思えます。
Posted by 勺 禰子(しゃく ねこ) at 2010年07月11日 21:34
ぼそぼそとハイヤ節など呟くか昨夜は深く入れた唇


 呟くことと、唇によって一首がつながっている。しかし今一歩、この歌を感受することが難しい。
 呟いているのは、いつ、どんな状況なのだろうか。「入れた唇」というのは、作中主体が相手の唇を認識していて、昨夜深く入れたなあ(何を入れたかわからないが)、ということなのだろうか。読めばわかるとはいえ、唇を入れたのではないか? と、一瞬とまどってしまう。
 ハイヤ節は全国にあるようですけれど、おそらくは九州から各地の港を中心にひろまったもののようですね。海の男たちが伝えた。
「昨夜深く入れた唇」が「ハイヤ節を呟く」と、どう感じられるのでしょうか。それを、わたしは読み取れません。
 また、「ぼそぼそと」は推敲の余地があるように思います。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年07月12日 11:23
先行評にある「唇」については、勺禰子さんが書かれたように、「〔私が〕)深く入れた(あなたの)唇」と違和感なく読めました。

昨夜はそんなにも官能的であった唇で、今「ハイヤ節を呟」いているのだろうか、あなたは。
きぬぎぬののちに相手を思い出している。

わたしも來宮有人が書かれたように初句に「ぼそぼそ」はあんまりかと思ったのですけれど、これがあることで、エロティックすぎることをセーブして、日常がでてくるので、ぼそぼそで良かったのか、などと思い始めています。
大人であります。
Posted by 弘井文子 at 2010年07月13日 17:21
ぼそぼそとハイヤ節など呟くか昨夜は深く入れた唇



「ハイヤ節」の歌詞で、次のようなものがあるそうです。
作者は、このあたりの歌詞を念頭に、詠われているの
ではないでしょうか。

「ハイヤハイヤで今朝出た(出した)船は 
どこの港へサーマ着いた(入れた)やら」

私も、「呟く」と「唇」の主は同一であると受け取りました。
後朝の歌であるけれども、相手に贈るというよりは、
昨夜の恋の相手を想うモノローグのように思います。

ハイヤ節の歌詞からとれるこの恋人同士の関係は、
燃え上がる恋心というよりは、官能的で物憂く、
苦さ寂しさも混じるような印象を受けます。

ただ、下句の官能的な表現があまりに直截なため、
逆にエロティシズムを感じさせない・・・方向へ働いて
しまっている気がします。


Posted by 梶崎恭子 at 2010年07月18日 17:05
ハイヤ節と言えば、牛深ハイヤ節。名前は知っていましたが、聞いたことはなかったので、ネットで動画を見てみました。歌も踊りもずいぶん激しい民謡で、「ぼそぼそと」「呟く」という感じではありません。すると、別の曲なのかもしれません。それとも、この相当激しい曲を「ぼそぼそと」「呟く」のでしょうか?その落差に面白みがあるのだとも考えられます。
下句については、「何か(この歌からは何だか分からない)を『昨夜は深く(受け)入れた』相手の『唇』が、今は『ぼそぼそとハイヤ節など呟』いている」という意味に取りました。
おそらく後朝。作中主体と相手とは、まだ同じ場所にいるのだと思います。
作中主体は相手(の唇)を見ているが、相手はどこかよそを向いて、「ぼそぼそとハイヤ節など呟」いている。
ゆったりと歌いだされた上句が、三句以下、四つの「く」音の連続によって、下句に至って俄かに加速しているような韻律を感じました。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年07月20日 16:35
西王です。

コメント、ありがとうございます。

別のところ、27の作品について、作者と作品の分離とか、ごちゃごちゃ書きましたが、そういう意味で、私なりに好きな作品です。

勺さんの、

「(私の舌〔一般的な想定内として。後は各自で〕を〔私が〕)深く入れた(あなたの)唇」と補われるのではないでしょうか。

梶崎さんの、

どこの港へサーマ着いた(入れた)やら」

というところは、狙い通りなので、作者は喜んでいます。
また、「唇を入れる」という解釈があろうことも想像していました。最近、このテクニックが、普及しています。

ある短歌系のイベントで、能登和倉の加賀屋「あえの風」という旅館に泊まりました。石田比呂志さんとゆっくり話をする機会が持てて、はいや節→「あえの風」→あいや節のこと、また、牛深のこと(さらに競輪のこと)を話し合いました。面白かった。

さて、入れた者が、作者=私=西王であることは、短歌としては仕方ないことか?
Posted by 西王 燦 at 2010年07月30日 23:04

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