この記事へのコメント
オー・ヘンリーの短編『最後の一葉』から題材を取った歌かと思いました。
「落ちてくる時間そのとき」が、瞬間でなくやや長い時間を思わせるので、ほかに瞬間を表す言葉があれば、、読者の気持ちをパッとつかむのではないかと思います。
Posted by 近藤かすみ at 2010年07月12日 19:32
若々しい相聞の歌でしょうか。

近藤かすみさんが書かれたように、「落ちてくる」「時間」「そのとき」と時間に係わる言葉が錯綜していますので、その辺りをもう少し整理されてはと、わたしも思います。
そして、何かもっと情景が見えることばにした方が、読者に訴えるのではないか、と思うのですが、如何でしょうか。
Posted by 弘井文子 at 2010年07月13日 17:39
西王です。

いちまいの蔦の葉の落ちてくる時間そのとききみは分つてくれる

この作品についての「時間」についてのコメント、面白く読みました。たしかに「瞬間」でなく「長い時間」を感じさせ(近藤さんのコメント)、時間に係わる言葉が錯綜して(弘井さんのコメント)います。

これらを参考にしながら、いったい、どのような話をして「分ってくれる」と思ったのだろう、ということを想像してみました。

たぶん、それは「別れ話」です。「蔦の葉の落ちてくる」という場面設定から、おそらく。

「申し訳ないが、しばらく会わないでおこう。最近、妻の様子がヘンだ」(逆もあり)
などということをノウノウと喋りながら、ふと見上げると、いちまいの蔦の葉がフワフワと落ちて来ている。時間をかけてゆっくり落ちてくる。「そのとききみは分ってくれる」と私は思った。

この二人の関係にはさまざまな組み合わせがありましょうが、ほぼ、こういう場面です。

「いちまいの蔦の葉」が落ちてくるのを眺めているのは、二人のなかの片方だけ。もうひとりは俯いたまま。

このように読んで、「分ってくれる」などと思うのは身勝手というもの。たとえば、広井さんのお書きのように(これから関係が始まる)相聞歌だとしても、「分ってくれる」というのは、あきらかに身勝手な想定。

作中主体に対して厳しい書き方をするようですが、そんなに簡単に「分って」くれたりはしないものなのです。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月19日 04:06
この歌の場合、わたしは、願望を詠んでいると思いました。

 いちまいの蔦の葉の落ちてくる時間そのとききみは分つてくれる

蔦の葉が枝を離れてゆっくりと風に舞いながら地面に落ち切るまでを見ている作者が、わたしには、はっきり見える気がします。「そのとき」は、必ずしも今このとき、を言っているとは限らない気がしました。きみに向き合う、いつかの、そのとき、きっと、分かってくれるはずだ、との想いではないのかと。
それなら、「とき」は錯綜しているとは思いませんでした。素直ないい歌だと思います。
Posted by 花森こま at 2010年07月25日 02:42
西王です。
作者名が出た上でのコメントです。

いちまいの蔦の葉の落ちてくる時間そのとききみは分つてくれる

花森さんの解釈は作品に好意的に、無理を通していると思います。

「きみに向き合う、いつかの、そのとき、きっと、分かってくれるはずだ」というのは、やはり無理です。

そもそも私の解釈でも無理を通してくれ、という理不尽な要求を出している作品ですから、無理を通した読みも可能かもしれませんが、作品を読むとき、書かれていないこと、この作品の場合は、花森さんが想像する「別の時間」を継ぎ足して読むのは読み手側の過剰だと思います。

どのように文脈を刻んでみても、「そのとき」は「蔦の葉の落ちてくる時間」としか読めません。
さらに、「蔦の葉の落ちてくる(時間)」を眺めながら「分ってくれる」ことを待つ男と、俯いたままの女の姿しか私には想定できないのであります。(女の姿は私の経験的余剰読みかもしれませんが、、、笑)

短歌作品は、しばしば「場面の提出(提案)」であります。結果(結末)は読者に委ねられることもあります。
この作品の場合、

結末は「分ってくれなかった」ことだと思いますが、、、いかが?
Posted by 西王 燦 at 2010年07月26日 20:00

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