この記事へのコメント
私にとって一番インパクトが強い作品はコレ!
飛びましたか、『笑うアルパカ』まで!!という感じです。アルパカだから楽しい気分になるんでしょうね。
『自由』という語句が2回使われているのは、気になりました。『言うほどに』としてしまえば、前の『自由』はいらなくなってしまいますよね。それとも繰り返すことで強調したかったのでしょうか?
Posted by 三田村まどか at 2010年07月08日 11:34
三田村さんがインパクトが強い作品と書いておられますが、私も一番ひかれた作品です。
あのアルパカの風貌、表情を思い浮べ、のほほんとした様子のアルパカにほんまに自由なんかと茶化されたような感じです。
アルパカの「パカ」の音が馬鹿にも似てそうで、人間世界でせかせかしている自分を言われたみたいで、グッときました。
印象深いいい歌だと思いました。
Posted by 山根洋子 at 2010年07月08日 19:24
 アルパカは、どこにいるのか。作者は、どこにいるのか。ということを考えてしまいます。一般論として、頭の中でけで作った歌なのでしょうか。
 笑う、と言う行為・表現は高度に文明的・文化的なものなので、ちょっと無理がある、と私には、おもえます。
 「人間社会」を「われ」などにすれば、作品上の作者の立ち位置は、はっきりしそうです。
Posted by 山寺修象 at 2010年07月08日 23:04
記憶が不確かなのですが、アルパカ、なぜか今ブームというのか、人気があるようで、CMに登場したりしていますね。
画面のこちら側に向かって、とぼけた顔をして見せるアルパカは、癒し系というのでしょうか。思わずくすりと笑わされます。
作者がそれを踏まえてこの歌を詠んだのかどうかは分かりませんが、CMのアルパカから発想を得たような気がします。
だったら、人間社会へのプチ・メッセージとして、たしかに、アルパカは笑っているようです。
Posted by 花森こま at 2010年07月11日 02:13
13. 自由だと言うほど自由でなさそうな人間社会を笑うアルパカ

人間社会が自由だ、なんて言ったのはいったい誰なのか。
人間の側がそう言っているのに対して動物のアルパカが嘲笑っていると、
まあそういう諷刺の歌なのでしょうけれど、人間社会が自由だということを
当然の前提のように作者が提示して詠い出していることに違和感を覚え、
いきなりつまずいてしまいました。人間社会なんかよりも、
アルパカのほうがよっぽど自由でのほほんと生きていて、だからこそ
そのような姿にわれわれが癒され、ブームにもなっているんじゃないでしょうか。

社会諷刺は、現実をしっかりと把握し、独自の鋭い視点で詠わないと
的外れとなって読み手の共感を得ることはできないと思います。

藤原新也の『メメント・モリ』にある「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」という言葉を思い出しました。
人は、元来それほどまでに自由な存在なのだということに彼はインドを訪れて気付かされたわけですが、
日本で生活していると様々なものに縛られなかなか自由に行かない社会生活があっての言葉なのです。


山寺さんが、

>「人間社会」を「われ」などにすれば、作品上の作者の立ち位置は、はっきりしそうです。

と仰っていて僕も同感です。
「人間社会」と一般化するのでなく「われ」に引き寄せた歌であれば、
他者から時間的にはすごく余裕がありそうに見える学生や、リタイアした人の作品として
共感をもって読むことができたでしょう。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年07月11日 14:34
一読、論理的に分かりやすい、理が勝った社会・風刺詠の趣旨なのだと思いますが、どうもその論理自体に違和感があり、乗れないなと思いました。

その違和感の正体を、山寺修象さん、伊波虎英さんがはっきりと解き明かしてくれました。

「人間社会が自由」だなんて、一般論としても、現在の社会情勢で見ても、到底僕にも首肯できせんので、まず上の句から全くピンと来ません。

強いていえば、「『僕は自由だ』と強弁し、叫んでいる不自由な若者の自画像』といった戯画的自虐的なニュアンスでしょうか。これなら理解できます。

その辺りについては、すでに伊波さんが分かりやすく批評して下さいました。

そこで、僭越の極みながら、この際私は、このモチーフで私ならこう詠むかな〜という実例を書いてみようかと思います。

自由だと嘯(うそぶ)くほどに自由でもなさげなわれを笑うアルパカ

「なさげ」が、文法的には若干おかしいかも知れませんが、今風でしょ?(笑)
Posted by 坂本野原 at 2010年07月13日 12:08
アルパカは笑っていないと思います。
たしかにそのように見えることはわかりますが・・・。
人間が見て、笑っているように見えるだけ。笑っているように見えるということに、人間の自意識過剰が感じられます。
Posted by 近藤かすみ at 2010年07月13日 13:10
この歌、哲学の徒が読んだら、初句の「自由」と2句目の「自由」は同じ「自由」という言葉でありながら次元が違う、などと言うのかも知れません。が、あまりそういうふうに解いてしまうのはおもしろくなさそうです。ひとえに「アルパカ」という語の語感のおもしろさに賭けた歌なのではないかと思いました。

「笑う」ということについては、山寺さんの評に共感しました。先日(7月11日)の日経歌壇に、《原初から猿は笑ったことがない笑うことなど何もなかった》(菅沼貞夫)という歌がありましたが、「自由」をめぐってはこの猿の歌の方が深く哲学しているように感じました。
Posted by 斎藤 寛 at 2010年07月21日 15:36
すみません、さきほどのコメントで引いた日経歌壇の菅沼さんの歌、引用の際に表記のミスがありました。「猿」は正しくはカタカナ書きで「サル」です。
Posted by 斎藤 寛 at 2010年07月21日 15:56
>自由だと言うほど自由でなさそうな

ここが曖昧なのが1首を弱くしるのだと思います。
誰がいっているのか? アルパカか作者か? 一般論を借りてきて言っているのか、作者の批評なのか? しかし、「なさそうな」がいかにも弱い。 ちょっと批評にはなりそうもない。

結局気分で考えた言葉の域を出ていないということでしょうか。

アルパカをもってきたのは面白いのですから、一考を。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月22日 01:05
アルパカは、ユーモラスな風貌から自由に生きている印象がありますが、現実は、人間が毛を得るために品種改良によって作り出した家畜です。
人間が思っているほど人間自身は自由ではないのではないかと、人間によって生存そのものを管理されているアルパカが笑う。救いのない内容ですが、アルパカのイメージをもってくることで、印象を軽くしています。

「自由だと言うほど自由でなさそうな」が、人間社会を修飾しているようにも、アルパカを修飾しているようにも読めるので、意味がはっきりしません。そこをマイナスとする評価があると思いますが、私はむしろ支配と被支配の関係がくるくると入れ替わる、だまし絵のような感覚が表現されているようで、面白いと思いました。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年07月24日 02:48

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