この記事へのコメント
作者の庭を詠われたものだと思います。
自生した草と、作者が栽培した花とが生い茂っている裏庭でしょう。それを近所の人が「モネの庭」と呼ぶ。おしゃれな隣人ですね。「裏庭モネ」とつながっているのが気になります。「裏庭を」と「を」を入れるとわかりやすくなると思います。しかしそれでは下句がだらだらと長くなりすぎかもしれません。ここに一工夫ほしいです。
Posted by 近藤かすみ at 2010年07月07日 17:45
雑草と栽培している花とが入り混じって生い茂っている私の家の裏庭は、「まるでモネの庭のようですね」と、通りがかりの人が言う、そのような状態であります。

「モネの庭」というブームを、自分の家の裏庭に重ね合わせた作品で、むしろ、そのように人に言ってほしい、というような気分も伝わる作品です。

ただ、「あら草と培ふ花と生い茂る裏庭」という記述の、「培う花と」の「と」は、かなり危険な使われ方をしています。

あら草/培う花/生い茂る裏庭

これらの三つのものが並列になるような誤解を与えます。

あら草と培ふ花との生い茂る
あら草と培ふ花とが生い茂る

などと、いろいろ考えられますが、下句の「の」の多さからして

あら草と培ふ花が生い茂る

でいいのではないかと思います。

あと、一首のなかに「庭」という語が繰り返されていますね。
こちらのほうは、ちょっと思案すればクリアできることではなく、文脈をかなり入れ替えないと避けることができないかもしれません。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月07日 19:44
>あら草と培ふ花と生い茂る裏庭モネの庭と人の云ふ

ちょっと自分のお庭を自慢なさっている。西王さんの批評につきると思いますが、自慢だけですと、どうしても浅くなってしまう。もっと描写に力が傾いたほうが、庭の面白さが出て来るように思いました。
モネを外すと可能性が高くなる気がしました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月15日 00:15
この歌の良いところは韻律だと思います。あるべき助詞が省略され、「庭」が続く点など、たしかに瑕疵ではあるのでしょうが、そうした妙に屈曲したような物言い、(助詞など抜いて)言葉をぎちぎちに詰め込んだような表現が、逆に効果を上げているような気がします。
特に下句、口籠ったような、舌っ足らずのような感じが、面白いと思います。良い方に解釈すれば、自分の庭をストレートに自賛するのをためらうような含羞が、この韻律の屈曲で表されていると考えられないこともありません。自賛しているように読めてしまうのを覚悟の上で、敢えてこのような表現が取られたのだとしたら。
以上、作者がご自分の庭のことを詠ったという前提で書きましたが、もしかしたら、誰か他の人の庭のことを詠っているのでしょうか? もし、そうなのだとしたら、また話は違います。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年07月20日 16:15
「裏庭」を「荒れ庭」と訂正したかったのですが、間に合いませんでした。普段、裏庭はあまり人目につかないので、偶さか火災報知機を取り付けに来た中年女性が「モネの庭みたいですね」といった言葉が新鮮に感じられ、嬉しくてできた歌です。姑から受け継いだ裏庭は、球根や多年草の根茎がたくさん埋まっていて、季節の移ろいに従っていろんな花を咲かせます。しかし油断すると、カタバミ、どくだみ、半夏生、シロタデなど生命力の強い草が蔓延りすぎて、希少価値のある花が淘汰されてしまいます。本当は球根など掘り返して植えなおしたり、丁寧に手入れをすべきなのですが、とても手が回らず、成り行き任せで、時折蔓延りすぎたあら草と、孤軍奮闘しています。そんな私にとって「モネの庭」は元気づけられる言葉でした。いろんなご意見を頂きありがとうございました。改めて言葉選びの大切さを実感しました。と同時に皆様の博学ぶりに驚きました。
Posted by さとう ひろこ at 2010年07月26日 06:47
西王様
筆名をかな書きに変えましたが、以前、添削でお世話になりました佐藤です。
その節はご親切なご指導を頂きありがとうございました。
今回も貴重なご意見を参考に、自分なりに推敲してみました。ご指摘の点はクリアできたでしょうか?

雑(あら)草と培ふ花が生ひ茂る荒れ庭を人はモネの庭とふ

それから「モネの庭」がブームってほんとうですか!?
絵本作家の「ターシャの庭」ならわかりますけど・・・

コメントの締め切りまでにお目に留まることを祈りつつ

Posted by さとう ひろこ at 2010年08月04日 11:19

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