この記事へのコメント
 基本的には、この歌は、もう変更の余地は、ない歌であろう。私自身の文体(もし、あればだが)にある意味では、一番近い歌でもある。近いだけに、すこしの違いが、気になりもする。自分の歌として考えれば、「他につけようがない」を言わないで一首にしたい。
 しかし、ストイックさのレベルは、いろいろあると考えられるとおもう。
Posted by 山寺修象 at 2010年07月05日 19:45
「他につけようがない」を言わない、ということは、その通りだなと思うとともに、もしかしたらあえて「他につけようがない」という、どうしようもない感のある言い方をしているのかな、とも思ったりする。

 韻律が気になる。二句が一音足らないまま三句に跨っているせいか、読むとつかえてしまう。また「あんまりな名」や「つけようがないイタイイタイ病」の「な」や「い」の重なりは、読みにくいと思う。
 読みにくさが効果になっているようにも思えない。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年07月05日 20:24
<他につけようがない>
このように言われてみて、はじめて「ほんとうにそうだったのか?他につけようがあったのではないか?」と思わされることは確かですね。
そのような意味においては、この歌が喚起させるものは大きいと思います。
が、そこまで裏読みさせることが最初から意図されていたのか、までは正直疑問符がつきます。それはきっと初句の
<あんまりな名>
と(安易に)言い放っている作中主体の気持ちに寄り添うことが難しいからだと思います。初句が定型に収まったことでより適切な言葉を探すことをやめてしまったようにも思えます。57577をまったく無視すれば一応31音ですが、だからOKといっていいかどうかも少し保留にしたいです。
<あんまりな名>→<(でも)他につけようがない>…。これだけでは本当に詠みたい(はずの)ところまで届いていない、と思います。
Posted by 勺 禰子(しゃく ねこ) at 2010年07月05日 21:36
このような現に人が苦しんでいる難病を歌に詠うにしては、あまりに傍観者的な表現かと思った。

>だと思うけど
>他につけようがないイタイイタイ病

考えも意識も本質的に自由だけれど、この歌の表現に運ばせている作者の意識が俗だ。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月06日 00:04
イタイイタイ病を患っている人には、癇に障る歌ですが、この病名って、患ってる人がつけたわけでないんですよね、当然。

でも、こういう無神経な名前のつけ方ってよくありますね。まあ、そこをついていると甘めに解釈してみることにします。本気でつくなら連作になります。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年07月10日 04:29
イタイイタイ病は、安易に触れられないことと思うので、基本的には長谷川さんの意見に同調する。

あんまりな名だと思うけど他につけようがないイタイイタイ病

「あんまりな名だと思うけど」は、言葉足らずな感じで、ふつうは「あんまりな名と思うけど」かと思うのだが、作者はあえてこのように書いたのだろうか。
わたしは阪神淡路大震災に罹災して、人生が大きく狂ってしまい、今以って困難の中に暮らしているので、こういう歌を読むと、あまり、気分がよくない。
作者の想いがどこにあるのか分からないけれども、風刺となり得たかどうかというと、気軽な物言いが、気軽な考え方に見えてしまうと思った。むつかしいですね、こういう作品は。
Posted by 花森こま at 2010年07月10日 15:44
住んでいる土地柄と、自身が小児喘息だった、で、今また成人喘息を起こすことがある私は四日市喘息のことなら、よくわかります。でも、同じく公害病のこととして学校で学んだほかの病気については、確かにあの時ショックを受けましたが、患ったとか、周りにそういう人がいた、という人たちよりうんと意識は希薄です。

変に感嘆してはいけない、ということを踏まえますが、距離と時間の遠さが、こんなに言葉に出るとは、と思っています。たぶん作者は真剣に何かを伝えたい〈要するに名前の安易さと、無意味さとか〉のは確かでしょうね。でもこうして「俗」とか「気軽」といわれるということは、やはり言葉は恐ろしいですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年07月10日 20:08
ふゆのさんの

>たぶん作者は真剣に何かを伝えたい〈要するに名前の安易さと、無意味さとか〉のは確かでしょうね。でもこうして「俗」とか「気軽」といわれるということは、やはり言葉は恐ろしいですね。

に同じ思いです。

公害病など、その原因がよくわからない段階でつけられる名前は、「水俣」など地名だの、病状の特徴から付けられますが、「イタイイタイ病」は年数が経っても、「カドミウム○○症候群」と呼ばれるわけでもなく
そのままにされている。恐ろしくて大変な病気なのに…

最近、「イタイ」と言うと「痛いニュース」とか「痛い人」とか、揶揄する意味で使われるじゃないですか。
対して、絶望的で悲惨な病、患者の「イタイイタイ」と壮絶に苦しむ姿から、これ以上ないという病名であることもまた事実。

作者はそこを言いたかったのでしょうが、やはりこういったものを題材にするのは難しいですね。
Posted by 三島麻亜子 at 2010年07月12日 14:36
弁解するわけではありませんが、文章をきちんと読み取ってくださいね

「気軽な物言いが、気軽な考え方に見えてしまうと思った。むつかしいですね、こういう
作品は。」

と、書いていますのでね。
この作者が、気軽に考えて気軽に書いた、と断定してはいません。言葉足らずなために、そう見える、と、言いたいです。
深刻なことを深刻な言い方で言う、ということ、すなわちよい、とは限らないと思っています。
でも、やはり、この歌の作者は、もう少し、推敲をされた方が、と思わずにいられません。
なぜかというと、「あんまりな名」というあたりが、作者の立場が傍観者的に見えるからではないでしょうか。
Posted by 花森こま at 2010年07月12日 17:50
6.あんまりな名だと思うけど他につけようがないイタイイタイ病

「作者の意識が俗だ。」という長谷川さんのコメントと同じ感覚を僕も持ちました。
本当に「他につけようがない」と当事者でない者が言い切ってしまえるものなのでしょうか。
ずばり断定して、それで読み手を納得させてしまうような歌はあるし、
それが短歌の持つ力のひとつでもあると思いますが、この歌の場合は成功しているとは言えません。 

たとえば「アイスクリーム頭痛」と呼ばれる症状や、「あんまりな名」の動植物を題材にして詠えば、
おもしろみがあってもう少し共感を呼ぶことのできる作品になったのではないでしょうか。

韻律的には、2句と3句は「名だとは思う/けど他に」としたいです。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年07月13日 01:34
 1回目は、技術評としてだけ書いたので、再度書かせてもらいます。
 僕は、三島さんに近い感想をもちました。作者は、「イタイイタイ病」の人に対しては、何も言っていなくて、この名称をそのままにしている厚生省や、NHKをはじめとするテレビ・新聞等・社会全体・社会のありようを傍観者的に指摘している歌だとおもいます。
 ちなみに「イタイイタイ病は、僕が持っている電子辞書(広辞苑第五版)には載っています。僕自身も三島さんのように「慢性カドミニウム中毒症」(よくわかりませんが)とかの名称に変えるべきなのだとおもいます。患者側(の団体)が、あえて、その名称を使い続けることを支持していたら、別でしょうが。
 使用している言葉や「行間」から患者に対する無神経さ、無理解さなどが感じられるとしたら、作者や歌人は、考えなければ、いけないことでしょう。短歌は、ある意味では、一首にも、作者の世界観・価値観やもっと言えば、生きる姿勢・短歌(・文学・芸術)に対する姿勢が必ず出てしまうので、作る全ての歌で、返していくべきなのだとおもいます。
 
Posted by 山寺修象 at 2010年07月13日 08:46
(単純な)訂正
 「カドミニウム」は打ち間違いです。「カドニウム」でした。言葉に関しての歌なのに、間違えてすみません。
Posted by 山寺修象 at 2010年07月13日 10:20
技術的に
高度な印象をもちました。

では素直に共感できるかと言えば、
とげとげで飲み込むのにとても
骨が折れます。

けれども、たとえば
世論は「後期高齢者」の
ネーミングには、即怒りを表明しました。
が、「イタイイタイ病」は、
既に辞書にまで載っています。
それは
「ほかにつけようが無いよね」と
世間が認めたから・・・

辞書に載るというのは、
それがその社会で多くが認めた
市民権を得た言葉であることを意味します。

世間の、つまり私たちが
直接自分のことでなければ、
どれほど無神経になれるかを
ずばり言い当てている歌と
受け止めました。

この歌にふくまれる棘と、
その切っ先の毒に、
痛み覚えつつ、
敬意を表したいと感じます。
Posted by 梶崎恭子 at 2010年07月19日 18:26
 いろんな人からのマイナスな意見もふまえつつ、僕自身も若干書きましたが、あえて一首を選ぶとしたら、僕はこの歌を押したいです。
 他の人の歌だとおもいましたが、とても文体を感じさせる歌ですし、僕にとっては、今後注目したい作者と感じさせる歌でした。
Posted by 山寺修象 at 2010年07月27日 21:33

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