この記事へのコメント
いったいいつの時代の歌なんだ!?とか、憎まれ口のツッコミなどひと言入れたくなってしまうのは、とりもなおさず気になる歌だからであろう。
もし、これが最近の出来事だとしても、それを詠んだこの歌はノスタルジックである。
・・・う〜む、抒情だなあ。

髪型には詳しくないが、「きりさげ髪」というのは、いわゆるフツーにいう、「お下げ髪」とか「おかっぱ」のことだろうか。英語でいえば「ボブ」が近似?
麻丘めぐみ以来の「お嬢様カット」にも相通じ、清楚の代名詞か。
いずれにせよ、「きりさげ髪」という言葉はいいなと思います。

わたくしごとだが、生まれ育った家の庭には枇杷の木があって、毎年初夏になるとたわわな実を付けた。梅雨入り前から、ちょうど今頃である。
ちなみに、昨夜スーパーで見てみたら、5個入りパックで580円で売られていた。けっこう高級感がある果物である。

酸っぱい(未熟な)枇杷の実というのは食べたことがないが、もしその実を食べて思わず顔を顰めたら、なるほど少女は笑ってしまうであろう。

そしてそれは、まさに甘酸っぱい記憶に残るであろう。歌になるであろう。
かくしてこの歌は生まれたのであろう。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月05日 12:32
「枝もぎ」という言葉があるのかどうか?少々乱暴な言い方かも?と思いつつ、韻律が良いので、一読して覚えてしまいました。二句目「ひとつ枇杷の実」の「ひとつ」が韻律として効いています。「わらふよ」の「よ」も良いと思います。すぐに、斎藤茂吉「赤光」の
「木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり」を思い浮かべました。
しかし、一読したときには何の引っかかりもなくすっと納得して読んだのですが、よく読んでみると、この歌には、「枝もぎ」以外にも、どうも気になる言葉遣いがあるようです。「すゆければ」の「すゆし」と「きりさげ髪」です。
まず「すゆし」。大辞林、広辞苑、大辞泉などには項目が立っていなかったので、図書館で小学館「日本国語大辞典」をし引いたところ、ありました。
「『すい(酸)』に同じ」として、三例目に、吉井勇「酒ほがひ」から
「つれなくも稲佐少女はことさらに酸(スユ)き木の実をわれに与ふる」と挙げられていました。(筑摩書房「現代日本文學体系25」を見たところ、「酸(すゆ)き木の果」となっていました。底本が違うのか?どちらが正しいのでしょう?困りました。括弧内はルビです)
ついでに小学館「日本方言大辞典」というのを引いてみましたら、地方によって「すゆい」という言い方はあるようです。
「すし」を表すのに「すゆし」が歌語?として一般的なのかどうか(用例がある以上、アリということなのかもしれませんが)、詳しい方がいらっしゃったら教えていただければと思います。しかし、斎藤茂吉といい(上記、茂吉歌は「すし」ですよね)、吉井勇といい、「未熟な酸っぱい果実ー少女」というのは組み合わせとしてありがちなのかなとも思いますが、作者は、「枇杷」を出してきたところが面白いように思いました。私も、未熟な枇杷(色は枇杷色になっていたので熟れていると思った)を食べてしまったことがありますが、本当に枇杷とは思えないほど酸っぱかったです。何だか話が長くなってきましたので、続きは、また明日にでも書かせていただきたいと思います。この歌、好きなので。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年07月05日 20:22
「もぐ」も「酸い」も「笑う」もは漢字の方がいいと思いますが、「もぐ」は(古い言い方だが)文字化けするかもしれません。
「わらふよ」の部分で回想であるかどうかを明示することもできたでしょう。

大峯さんが詳しくお書きの「すゆければ」というところについて、「酸ゆければ」と読んで違和感のなかった方も多いのではないでしょうか。
大峯さんのコメントは斉藤茂吉と吉井勇の作品を例示するなど、とても面白いと思います。
以下は私の仮説です。
「酸し」という形容詞、「酸し」はいいのだが、「酸ければ」や「酸き」というのは、口語感覚的には落ち着きがわるい。「酸し」の口語は「酸い」で、「ゆ」という音は登場しないはずなのだが、おそらく関西の口語として「酸ゆし(い)」という語が人知れず流布した。それが(おそらく関東に戻り)現代語の「酸っぱい」に変化していった、のではないか。
「酸ゆし」という言い方の背後には「饐ゆ(える)」というヤ行の動詞があるのではないか。現在の広辞苑では「飲食物が腐ってすっぱくなる」と書かれているのですが、初版広辞苑では「飲食物が腐って酸くなる」とあります。初版当時「酸くなる」をどう読んでいたのか、私には不明です。

Posted by 西王 燦 at 2010年07月06日 06:34
確か、河野裕子さんの比較的近作の歌集(のクライマックス的な位置)に「すゆし」を使った歌があると記憶しています。

歌集「歩く」か「体力」に収められています。

今、手元に資料がないのですが、近く図書館で調べてきます。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月06日 09:55
 「すゆければ」について、僕は、生まれも育ちも西日本なので、まったく違和感がありません。
 古語「酸し」が現在使われている「酸い」になり、方言伝播の一つ(二音の形容詞は三音に変りやすい?)として「酸いい」になり、(「行(い)く」が歌などの時に、ほとんど「行(ゆ)く」になるように)「酸ゆい」になったという説はどうでしょうか。
 その「酸ゆい」を文語にすれば「すゆければ」「すゆき」になるのではないでしょうか。万葉当時の人は使っていなかった日本語でしょうが。
 「濃し」が「濃い」になり、(「濃いい」?)「濃ゆい」にもなったのと同様?
 歌についてのコメントでなくてすみません。
 
Posted by 山寺修象 at 2010年07月06日 10:29
「すゆし」についての皆様のコメント、興味深く拝見しました。ありがとうございます。
さて、昨日の続きです。「きりさげ髪」について。私もいわゆる「おかっぱ」のことなのかなと思ったのですが、辞書を引くと、時代劇などでよく見る未亡人の髪型のことを言うようです。
一方、「きり髪」というのが、「少女の髪型で、肩のあたりで切りそろえたもの。振り分け髪。例)万葉集3307」(大辞林)を表すようです。但し、「きり髪」は、未亡人の髪型である「きりさげ髪」のことも表すらしく、調べながら大いに混乱し、そうこうしているうちに、この作品の少女の髪型が「おかっぱ」(前髪を切り揃える)なのか、「振り分け髪」(前髪を切り揃えず真ん中で分けた髪)なのか、イメージがはっきりしなくなってきました。おそらく、「うなじから肩のあたりで切り揃えた少女の髪型」ということで、前髪はどうでも良いのかもしれませんが、作者の中にははっきりしたイメージがあるのではないかというような気もします。この歌は、少女の映像を読者に思い浮かべさせるような歌ですから。
「枝もぎ」、これはどうも辞書には載っていないようで、俗語、口語としては流通しているのかもしれませんが、昨日の冒頭に述べたように、歌にすると、少々乱暴な感じがしないでもありません。「枝からもいだばかり」というのを短く言い表すことが出来て、便利だとは思うのですが。
「すゆし」「きりさげ髪」については、私も言葉として使ってみたいなと思ったので、調べました。いろいろ述べましたが、私が引いた辞書に載っていなかったからと言って、使われている言葉を否定しているわけではありません。実際、この作品のままで十分意味は伝わるのですから。私はこの歌が好きですし、良い歌だと思います。この一首からだけでは、作者と少女の関係性は読み取れませんが、どういう間柄なのか知りたくなるような一首です。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年07月06日 20:52
追伸
「すゆし」は、やはりどちらかというと関西方面の言葉なのでしょうかね。当地・関東の日常語では全く耳にしません。

なお、河野裕子さんの「すゆし」を用いた歌は確かに存在すると思いますが、収められているのはあの名作歌集「母系」、または最新歌集「葦舟」だったかも知れません。

大ファンなのですが、記憶がゴッチャになっておりまして、今のところ図書館にも調べに行けてませんので、すみません。

どなたか、ご教示くだされば幸甚です。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月08日 10:24
私が一人、小うるさく主張しておりました河野裕子さんの歌とは

梅干の二つを舐めて歌作るああ酢うなどと言ふ余裕なく(歌集「母系」2008年)

であると判明しました。昨夜、不意に思い出しました。のみならず実は、畏れ知らずにも本誌月例作品で「本歌取り」したこともありました(昨年11月号掲載。筆名を名乗る前)。

・・・「すゆい(酸ゆし)」ではなく、なんと「酢う」でした〜っ!

何か一席ぶつたびに粗忽の地金が出てきまして、太宰とは別の意味で恥多き生涯を送っておりますが、まあそれはご容赦願うことに勝手にいたします(笑)

ともあれ、関東ではまずありえない言い回しですので、強く印象付けられていました。

これは古語「すし」の連用形「すく(あり)」の音便ではないかと思いますが、さらに「ゆ」の発生したメカニズムについても、一つの仮説を温めております。

・・・が、今9月号詠草の最終推敲で火〜吹いている真っ最中ですので、明日以降改めて書き込みます。

河野さんはご承知の通り九州のご出身で、関西、とりわけ京都を第二の故郷としておられる方ですから、「酸し(酸い)」以外の活用や類似語は、やはり近畿から西日本の言葉遣いだと思われる傍証となりうるでしょう。

さて、スレッド/エントリーの歌については、大室さんの問題意識はもっともであると同意いたします。
きわめて魅力的なモチーフであるにもかかわらず、全体に亘って細かい表現に「瑕疵」といえるほどの難点(平たい言葉で言えば「突っ込みどころ」)がちりばめられているようですね。

なお、このほかの歌につきましては、すでに怱々に言いたいことは言いたい放題、ほぼ言い尽くしましたので、残余の期間はこの歌への批評に集中したいと存じます。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月09日 10:03
皆様の博学ぶりに感心します。

「なるほど」と受け止めたうえで、この歌から自分が感じたことを書きます。

枝ごともいだ枇杷の一枝を頂いたので、その実を食べていると、幼いころの記憶がよみがえった。、一つの実の酸っぱさがタイムスリップを起こして、幼いおかっぱ髪の少女が可笑しそうに笑っていた。幼友達のようでもあり、私自身かもしれなかった。

熊本では「酸ゆい」という言い方をしますので違和感はありませんでした。。
Posted by さとう ひろこ at 2010年07月12日 11:08
5.枝もぎのひとつ枇杷の実すゆければきりさげ髪の少女わらふよ

坂本さんの仰るようにノスタルジックで甘酸っぱい歌ですね。映像が浮かびます。
解釈が難しいようですが「きりさげ髪」という言葉も魅力的です。  
おかっぱ頭の幼い少女というよりは、
16歳くらいの前髪はもうちょっとおしゃれなショートヘアの少女をイメージしました。

初句と2句、僕なら「枝もぎの枇杷の実ひとつ」とします。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年07月14日 17:35
伊波さん案の「枝もぎの枇杷の実ひとつ」と「枝もぎのひとつ枇杷の実」とどちらが良いのか考えていたのですがなんとも判断がつきません。
二十二番の歌の「妻の寝る頭にとおく」と「寝る妻の頭にとおく」もどちらが良いのか考えてみましたがやはり判断がつきません。うーん、短歌ってなんて難しんだろう。
ただし好き嫌いで言うなら二十二番のほうは伊波さんと同じく「妻の寝る頭にとおく」のほうが好きです。そしてこちらのほうは伊波さんと違って「枝もぎのひとつ枇杷の実」のほうが好きです。好き嫌いなどとごまかすことなく伊波さんのようにどちらを取るかはっきり言えるようになりたいのですが。
前から書きたいと思っていたのですが二十二番の伊波さんのコメントに勇気をもらってやっと書くことができました。ありがとうございました。
Posted by 永井秀幸 at 2010年07月23日 17:07
盛会だった「短歌人・第2回ネット歌会」のコメント受付期間も、いよいよ明日で千秋楽となりましたので、言い足りなかったことなど、この際ひとつふたつ。

数日前に立ち寄ったスーパーで、絵に描いたようなお下げ髪の、小学校3〜5年ぐらいの姉妹を目にしました。

思わず彼女たちを眺めながら、「これを『切り下げ髪』と言えるか?」と自問自答しましたが、僕の答えは「諒」です。

確かに辞書的な意味、言葉の来歴としては「未亡人の髪型」などとなっており、多少不正確なのかも知れませんが、まあ詩的許容(ポエティック・ライセンス)の範囲内と思います。

ちなみに、この歌から僕が連想するのは、林静一の「小梅ちゃん」です。
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4DAJP_jaJP250JP250&q=%E6%9E%97%E9%9D%99%E4%B8%80%20%E5%B0%8F%E6%A2%85%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi

伊波虎英さんの推敲案「枝もぎの枇杷の実ひとつ」に賛成です。文意が明確になり、響きもいいと思います。

果物を詠み込んだ歌がいくつか連想されます。

斎藤茂吉「ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり」(「白桃」昭和17年)

佐藤通雅「幼子はいたく笑ひぬ夜の淵にありて白桃食べをへしとき」(「水の涯」昭和54年)

若山牧水「児等病めば昼はえ喰はず小夜更けてひそかには喰ふこの梨の実を」
「こほろぎのしとどに鳴ける真夜中に喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ」(「黒土」大正10年)
Posted by 坂本野原 at 2010年07月24日 15:59
掲載歌をめぐって、そもそも「すゆし(すゆい)」という言葉(形容詞)が存在するのかという疑問が呈されていますが、言葉オタクたるべき歌詠みの端くれとしては、ひと言持論を開陳すべきかと存じます。

味覚の中でも、とりわけ酸味(酸っぱさ)は、生命維持のための自己保存本能により、食物の腐敗や未熟な果実などの毒性を感知するために発達したらしく、きわめて根源的で鋭敏です。

そのため、その概念を表わす古語形容詞「酸し」や、これと語源(語幹)的関係があると思われる「酢」も、非常に単純で古い形をしていますので、実際に活用語として用いる際に、先人達は苦労したのでしょう。

そこで、いつごろか知りませんが、「酸っぱい」という単語が出来ました。
これはおそらく「しょっぱい」などの類推で出来たのでしょう。

「しょっぱい」の語源は古語「しははゆし」で、「唇が刺激されて赤くなるような感じ」を言い、「塩」とは関係ありません。この「はゆし」を含む“単語家族”は、ほかにも「面映い」(照れて顔が赤くなるような感じ)や「眩(まばゆ)い」(目に刺激的な感じ)、「かほはゆし→かわゆい、可愛い」(原義は「顔が赤くなるほど恥ずかしい、みじめだ」)などがあります。

一方で、「酸い」から「酸ゆい」という“誤用”の流れもあったのでしょう。
これにも、上記の「〜はゆい」系の語群や、「痒い」という形容詞の語感の影響もあったのではないでしょうか。

当地・栃木県では、「酸っぱい」ことを「酸っかい」という年配者が少なくありません。「酸っぱくて口がかゆくなるような感じ」と思われます。
これはたぶん方言でしょうが、この問題をめぐって示唆的と思われます。

まあ、しろうと講釈はこの辺で擱きますが、ともあれ「すゆし、すゆい」という形が生まれる土壌はあったのだろうと思われます。
現に、少ないながらも短歌での用例があるそうです。

この歌の場合、そんなこんなで、総合的にぎりぎりセーフじゃないでしょうか。
Posted by 坂本野原 at 2010年07月24日 16:40
枝もぎのひとつ枇杷の実すゆければきりさげ髪の少女わらふよ

情景がはっきりと浮かぶ、よい歌だと思います。
枇杷の実を食べたのは、少女自身と解釈しました。少女は、あまりの酸っぱさに、「すっぱあい」と言いながら、思わず笑ってしまったという場面が浮かびました。

作者は、一緒に枇杷を食べながら、少女の笑顔とおかっぱの髪型を見て、ノスタルジックな感情を喚起されたのではないでしょうか。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年07月25日 00:01
永井さん、
僕の場合も、自分が詠むならこうするというだけで、説得力ある言葉で
うまく説明することはできないですし、好き嫌いとあまり変わりないです。
自分ならこう詠むという最初の形を推敲の段階でわざとくずしてみたり
することも実際ありますし、短歌って本当にむずかしいですね。
「枝もぎのひとつ枇杷の実」も、22番の歌の「妻の寝る頭にとおく」も、
作者の明確な意図があっての表現なのでしょうね、きっと。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年07月25日 01:35
たくさんの歌評、ありがとうございました。
これからの、歌作の糧としたいと思います。

わたし自身は、途中で息切れして、全部の歌にコメントできなくて、申し訳ありませんでした。次回はもう少し書けるようにがんばります。

「ひとつ枇杷の実」と「枇杷の実ひとつ」については、「枇杷の実ひとつすゆければ」と、平仮名が続くと読みにくいかと思い、漢字と平仮名の並び方を考えて、「ひとつ枇杷の実すゆければ」にしました。

次回も、ぜひ参加させていただきます。
ありがとうございました。
Posted by 弘井文子 at 2010年07月28日 22:18

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