この記事へのコメント
難聴に伴う耳鳴りと、恋愛関係(夫婦関係)とを連関させて描こうとした作品だと思います。

きみは、しきりに(あるいはデートの日)蝉時雨が聞こえる、と言った。あれは、きみの幻聴だった。
あれから十数年、私の内耳には(いつも)低い潮騒の音が聞こえている。

このように解釈してみました。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月05日 23:07
少し、題材もうるさい感じがしますが、初句、「は」破調にしてまで入れる必要があるのかなあ?我のものならいらないけれど、君のものだからいるのかもしれません。

ちなみに評者は風邪のときによく耳鳴りを起こします。高音でキーンと言うのです。潮騒のような耳鳴り、少しだけ体験したい。余談ですね。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年07月10日 04:24
>蝉時雨はきみの幻聴いつよりか内耳は低く潮騒を聞く
下の句の主語がこのままでは、やはり不分明であるような気がします。好意的にとれば西王さんのようにはなりますが。

それと、低く聞くというとき、音量ですか、音程ですか?高く聞く、でも同じですけれども。細かいことを言うようですが、ぼくは引っかかりました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月15日 00:05
4.蝉時雨はきみの幻聴いつよりか内耳は低く潮騒を聞く

詠い出しの「蝉時雨はきみの幻聴」というのは、
君が蝉時雨のような幻聴をきいているということではなくて、
今年の蝉時雨をきいて過去の君との夏の思い出がよみがえってきた私が、
今年の蝉時雨を「きみの幻聴」だと言っている隠喩なのでしょう。
そして、さらに具体的に君との海での思い出がよみがえってきて、  
「いつよりか内耳は低く潮騒を聞く」とこの歌は展開しているのでしょう。

隠喩がちょっとわかりにくいからなのか、最初読んだ時は、
1首に「蝉時雨」と「潮騒」という音の要素が2つも含まれていて混乱しました。
詰め込み過ぎな感じがするので、思い切って「蝉時雨」は捨て「潮騒はきみの幻聴」として、
3句目以降で忘れられない海での思い出を具体的にあげたほうがよかったのではないかと思います。
 
Posted by 伊波虎英 at 2010年07月15日 12:04
下句の「内耳は低く潮騒を聞く」は素敵なフレーズだと思います。
ただ、長谷川さんお書きのように主体がわかりません。
「蝉時雨」「潮騒」というインパクトのある音にかかわる言葉が二つ出たのは、どうでしょう。どちらか一つでもよかったのでは?
Posted by 近藤かすみ at 2010年07月15日 12:47
4.蝉時雨はきみの幻聴いつよりか内耳は低く潮騒を聞く


ふたりとも年老いて
日常に耳は「幻聴」を聞くようになった
君は、それは「蝉時雨のようだ」といふ
わたしの耳にきこえるのは「潮騒のような」音なのだ
君と私、お互いに
こんな幻聴をきくような年齢になったのだね

という、しみじみとした夫婦愛の歌
と読みました。

上句の「は」は、限定の助詞「は」と取りました。
「Aは田中さんへのプレゼント、Bは山田さんへのプレゼント」
の中の「は」が限定の「は」です。

蝉時雨はきみの幻聴で
潮騒はわたしの幻聴だ
なら明快ですが、
内容的には対である下句を
複雑に表現したために
対であることが、ややわかりにくくなったとも思います。

が、全体に抑えた表現が
年を経た筆者の人生の、控えめで
ゆったりと豊かなイメージを感じさせて、好感が持てました。



Posted by 梶崎恭子 at 2010年07月15日 20:46

この記事へのトラックバック