この記事へのコメント
いい作品だと思います。

私なら、以下のようにするかもしれません。

  3Dテレビのなかに奥深く眠れる神へ手をさしいだす
Posted by 西王 燦 at 2010年07月05日 23:00
3Dテレビのなかの奥深くねむる神へと手をさしいだす

3Dテレビのなかに奥深く眠れる神へ手をさしいだす(西王 燦さんが、わたしならこうするかも、とおっしゃったかたち)

わたしの見解では、作者は、テレビの中に眠る神、ではなく、テレビの奥深くにいるわたし、が、眠る神に手を差し出そうとすることを言っているような気がしました。
作者も神も、3Dテレビという現実のようでいてヴァーチャルな世界で呼吸している。それを「ねむる」という措辞であらわしているようです。ねむる、という行為は、生きているようで死んでいるともいえる不確かな存在を想像させます。
Posted by 花森こま at 2010年07月10日 15:37
上手いと思います。

3Dというと、飛び出すことばかりに目が行きがちですが、奥行き感に着目していることです。
奥深い世界に住む「神」という存在にまで行き着いて、3Dテレビという文明との対比になっている。
Posted by 三島麻亜子 at 2010年07月12日 14:14
>神へと手をさしいだす
「と」が一首の命を奪っている。
そこを作者はよくよく考えて欲しい、そんなことを勝手に考えました。

批評で、上手いと思います、と列記されていますが、この助詞一字が命を造るか奪うか分かれ目ですから、上手いとは思えない。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月14日 23:58
念のため。

長谷川さんが

>批評で、上手いと思います、と列記されていますが、この助詞一字が命を造るか奪うか分かれ目ですから、上手いとは思えない。

私(西王)は「いい作品」だと書きましたが、「上手い作品」とは書いていません。

3Dテレビのなかに奥深く眠れる神へ手をさしいだす

花森さんには軽い異論がありましょうが、この作品はこのように仕上げるべきです。
長谷川さんがお書きのように「と」は上手・下手という意味では、あきらかに下手です。
こういう、(長谷川さんがお書きの)論理ではうまく説明できないようなデリケートな感触が好きなので、私は40年間、短歌と付き合ってきたようなところがあります。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月16日 19:21
書き方が不正確でした。
申し訳ありません。

3Dテレビのなかに奥深く眠れる神へ手をさしいだす

この案と、西王さんのコメントに賛成します。花森さんの解釈もわかりますが、この歌のままではもう一歩弱い気がしました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月17日 14:57
コメントありがとうございました。

はじめて3Dテレビを見た時、こちらに飛び出て来る映像は想像通りだったのですが、
箱庭みたいに小さな別世界が画面のなかにあるような奥行き感のある映像にはびっくりしました。
その驚きからイメージをふくらませて詠んだ歌です。

西王さんの改作案

  3Dテレビのなかに奥深く眠れる神へ手をさしいだす

を参考に、

  3Dテレビのなかの奥深くねむれる神へ手をさしいだす

と改作し「短歌人」9月号に送稿してみました。

3回目のネット歌会も楽しみにしています。
Posted by 伊波虎英 at 2010年08月01日 00:53

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