この記事へのコメント
私(作者)は今朝旅行に出発する。庭先の柊の葉に降りていた露が私の腕に触れてころげ落ちた。これは、あたかも私の旅先での魔を払ってくれるもののように私は思った。

この作品には「柊は魔除け」という風習(俗信)が根底にあります。
節分の「柊と鰯」というフィギュアは、お盆の「茄子と胡瓜」のフィギュアより面白いと思います。

しかし、やや俗信(あるいは類似霊感)を信頼しすぎた印象があり、意外性には乏しいかもしれません。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月05日 22:53
この歌は、
 A「柊の葉にある露のころげ落つ」
 B「魔を払うごと」
 C「今朝の旅立ち」という三つの部分に分かれてしまっています。

この3つの部分の関係性こそが、この歌の述べようとしていることなのではないかと思うのですが、作者は3つのフレーズを投げ出したように置くことによって、それを断ち切ってしまっているように見えます。散文にすれば、CBAの順番になるはずで、語順がまったく逆になっている点も、そうした印象を強めています。

また、BはAに掛かる形容と思われますが、Aの終わり(上句)で一旦切れて、BとCがつながっているように読めてしまうので、そうなると、何だかCに掛かっているようでもあり、不思議な感じです。

作者は、何らかの意図によって、こうした構造を取ったのかもしれませんが、その意図が私にはよく分かりませんでした。

「柊の露」というのは、あまり見たことがないようで、新しい感じがしました。とげとげした柊の固い葉と露との組み合わせも面白いと思います。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年07月08日 15:31
確かに、少しぶつぶつした印象を受けますね。まあ違和感のない程度ですが。

柊につゆが転げる、私は旅立つ。

柊には魔よけという意味は、かなりの共通認識がありますから、この二つで構成してもいいような気はします。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年07月10日 04:17
>葉にある露の
にある、が説明ですね。

>魔を払うごと
これが無用な比喩だと感じました。ないほうがなんぼか余韻が出る可能性がでると思いました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月14日 23:54
長谷川さんのコメントに同感。

特に「葉にある露の」の「ある」という語、音数合わせのために入れたのかと思いますが、この一語のゆえに一首全体が散文的な印象になってしまったように思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2010年07月15日 05:20
「魔を払うごと」が無い方が良いという前評者の意見に賛成です。
Posted by 永井秀幸 at 2010年07月15日 16:54

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