スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第2回ネット歌会詠草/2
|
TOP
|
コメント受付開始
>>
2010年07月05日
第2回ネット歌会詠草/1
山また山のみちの果てにし現れぬ念仏踊りを伝ふる集落(むら)は
※括弧内はルビ
【関連する記事】
第2回ネット歌会作者名発表
第2回ネット歌会詠草
第2回ネット歌会開催要項
作者名発表まであと3日です
コメント受付開始
第2回ネット歌会詠草/2
第2回ネット歌会詠草/3
第2回ネット歌会詠草/4
第2回ネット歌会詠草/5
第2回ネット歌会詠草/6
第2回ネット歌会詠草/7
第2回ネット歌会詠草/8
第2回ネット歌会詠草/9
第2回ネット歌会詠草/10
第2回ネット歌会詠草/11
第2回ネット歌会詠草/12
第2回ネット歌会詠草/13
第2回ネット歌会詠草/14
第2回ネット歌会詠草/15
第2回ネット歌会詠草/16
posted by 短歌人会 at 11:55|
Comment(4)
|
TrackBack(0)
|
第2回歌会
|
|
この記事へのコメント
私(作者)は「念仏踊り」を伝え残している集落を訪ねようとした。その集落は「山また山のみちのはて」に(ようやく)現れたことだ。
念仏踊りといえば、法然が雨乞い踊りを眺めながら思いついた、という香川県綾歌郡綾川町滝宮を想起させますが、ここは高松空港から車で10分。おそらく作者が訪ねたのは、もうすこし山深い村の念仏踊りでありましょう。念仏踊りが変形した「はねそ」のような踊りかもしれません。
柳田國男のフィールドワークには、たとえば「山人」の女は色が極端に白く陰毛が長い、というような、かすかな差別意識があります。この作品にもそれを感じるとまでは言いませんが、「村」と書けばいいのに、わざわざ「集落」と書き、(むら)というルビを振る。「路」を「みち」と書き、「未知」を暗示させる。いかにも難儀して辿り着いたことを強調するための、「し」という助詞、など。
柳田國男には差別意識を帳消しにするような、民俗(庶民の風習)に対する強い愛着がありました。この作品には旅行見物者(ツーリスト)の視線を感じます。
Posted by 西王 燦 at 2010年07月05日 22:45
念仏踊りというものの正確な意味を、前評者の解説で知りましたが今、こういう何とか踊りという伝統的な踊りを伝える村は大変な苦労をしています。高齢化、限界集落化があるのです。
この歌には、ひとつのリアルな光景と、ひとつの幻想が同居しているように思えます。全く不思議なることなく。私はそこがいいと思います。
なお「現れぬ」の<ぬ>について私はようやっと、とうとう現れたと解釈していますが、それでよいのかご教示ください。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年07月10日 04:13
>山また山のみちの果てにし現れぬ
ここが、リアリティーの欠如を端的に表しているところかと思いました。
この表現ですと、苦労して越えて来た道の先に現れたと取れますが、作者の労苦がそこに在る気がしない。
言葉と現実の剥離があるように感じました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年07月14日 23:49
コメントをいただいた方ありがとうございました。短歌は難しいことを改めて痛感しました。
Posted by 永井秀幸 at 2010年08月04日 17:36
この記事へのトラックバック
検索
<<
2019年12月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第40回ネット歌会詠草/24
⇒ 川上幸子 (12/10)
⇒ 肥塚しゅう (11/17)
⇒ 斎藤 寛 (11/17)
第40回ネット歌会詠草/17
⇒ 馬淵のり子 (12/09)
⇒ 鎌田章子 (12/09)
⇒ 加藤隆枝 (12/08)
⇒ 馬淵のり子 (12/07)
⇒ 津和 歌子 (11/23)
⇒ 鎌田章子 (11/21)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/16
⇒ 肥塚しゅう (12/09)
⇒ 庭鳥 (11/20)
第40回ネット歌会詠草/9
⇒ 山中 もとひ (12/09)
⇒ 笹渕静香 (12/01)
⇒ 津和 歌子 (11/23)
⇒ 海野 雪 (11/16)
⇒ 庭鳥 (11/16)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/22
⇒ 加藤隆枝 (12/08)
⇒ 木村昌資 (11/27)
⇒ たかだ牛道 (11/18)
第40回ネット歌会詠草/25
⇒ 加藤隆枝 (12/08)
⇒ 鎌田章子 (11/21)
⇒ 斎藤 寛 (11/19)
⇒ たかだ牛道 (11/17)
⇒ たかだ牛道 (11/17)
第40回ネット歌会詠草/21
⇒ 津和 歌子 (12/08)
⇒ 馬淵のり子 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/19
⇒ 鎌田章子 (12/07)
⇒ 斎藤 寛 (11/20)
⇒ たかだ牛道 (11/19)
⇒ 肥塚しゅう (11/17)
⇒ 斎藤 寛 (11/17)
⇒ 斎藤 寛 (11/17)
第40回ネット歌会詠草/7
⇒ 庭鳥 (12/07)
⇒ 加藤隆枝 (11/30)
⇒ 弘井文子 (11/16)
第40回ネット歌会詠草/14
⇒ 川上幸子 (12/07)
⇒ snowdrop (12/07)
⇒ 鎌田章子 (11/21)
⇒ 瑞坂菜 (11/16)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(12/01)
第40回短歌人ネット歌会作者名発表
(11/02)
第40回ネット歌会参加者一覧
(11/02)
第40回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(5)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2020年01月
(1)
2019年12月
(1)
2019年11月
(29)
2019年05月
(23)
2019年04月
(1)
2019年03月
(1)
2019年02月
(27)
2019年01月
(1)
2018年11月
(27)
2018年10月
(1)
2018年09月
(1)
2018年08月
(35)
2018年07月
(1)
2018年05月
(34)
2018年04月
(1)
2018年02月
(40)
2018年01月
(1)
2017年11月
(34)
2017年10月
(1)
2017年08月
(32)
念仏踊りといえば、法然が雨乞い踊りを眺めながら思いついた、という香川県綾歌郡綾川町滝宮を想起させますが、ここは高松空港から車で10分。おそらく作者が訪ねたのは、もうすこし山深い村の念仏踊りでありましょう。念仏踊りが変形した「はねそ」のような踊りかもしれません。
柳田國男のフィールドワークには、たとえば「山人」の女は色が極端に白く陰毛が長い、というような、かすかな差別意識があります。この作品にもそれを感じるとまでは言いませんが、「村」と書けばいいのに、わざわざ「集落」と書き、(むら)というルビを振る。「路」を「みち」と書き、「未知」を暗示させる。いかにも難儀して辿り着いたことを強調するための、「し」という助詞、など。
柳田國男には差別意識を帳消しにするような、民俗(庶民の風習)に対する強い愛着がありました。この作品には旅行見物者(ツーリスト)の視線を感じます。
この歌には、ひとつのリアルな光景と、ひとつの幻想が同居しているように思えます。全く不思議なることなく。私はそこがいいと思います。
なお「現れぬ」の<ぬ>について私はようやっと、とうとう現れたと解釈していますが、それでよいのかご教示ください。
ここが、リアリティーの欠如を端的に表しているところかと思いました。
この表現ですと、苦労して越えて来た道の先に現れたと取れますが、作者の労苦がそこに在る気がしない。
言葉と現実の剥離があるように感じました。