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2010年10月22日
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てきせつな言葉をさがしあぐねつつ神戸焼売のえびのぷりぷり
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posted by 短歌人会 at 00:39|
Comment(10)
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この記事へのコメント
面白い。オリジナリティーがあります。
ただ、「神戸焼売のえびのぷりぷり」は実情表現だとは思いますが、言葉だと思えば(そうも思える)とても適切な言葉を見つけているではないかという自家撞着がある気がします。しかしそれも、私自身批評をしているのか褒めているのかすれすれで、それも含めて好感を持ちました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年10月22日 23:22
「てきせつ」を漢字にして「言葉」をひらがなにしてはどうでしょうか。
「てきせつな言葉をさがしあぐねつつ」が、単純にえびの食感を言葉でさがしている、という意味と、短歌作品にしようと苦吟して言葉をさがしている、という意味の二つにとれるとおもいます。作者は歌人なので、おそらく後者でしょうが。
Posted by 山寺修象 at 2010年10月23日 07:02
とても美味しいものを食べたとき、私などはとりあえず無言で泣いて食べてますが、テレビのグルメ番組の影響で何か語りたくなるときがあります。
でも食べつけないものを食べたか、いつものものを食べたかすると適切な言葉が出ません。「神戸えび焼売」がどんな味か伝えたいもどかしさは伝わります。
表記は上のニ氏と同様難がありますね。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年10月24日 19:47
「てきせつな」:私も初めは、「適切な」と表記すべきだと思ったのですが、
この歌の場合は、この「てきせつな」という、妙に間延びしたような導入が、口中の「神戸焼売」を舌や歯で探りつつ、ああでもない、こうでもないと「言葉をさがしあぐね」ている様子をうまく表しているように思われてきて、このままでも良いのではないかと思うようになりました。
ぴったりの形容ではないけれど、取り敢えず「えびのぷりぷり」と言って置こう、
という、変な余裕のようなものが感じられる面白い歌です。
余裕があるのは、美味しいものを食べているからなのでしょう。
美味しいものを食べているので、それ以上考えるのが面倒になってしまったのかも知れません。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年10月27日 15:01
表記のことが話題になっています。一首の中で、漢字は「言葉」と「神戸焼売」。これを作者は言いたくて漢字にしたのかと思いました。
結句で「ぷりぷり」にたどり着いて、ほっと一息という感じです。「ぷりぷり」は漢字に出来ませんね。
Posted by 近藤かすみ at 2010年10月28日 18:53
歌人らしく自らの言葉で味や食感を表現しようと試みたものの、グルメ番組のタレントと同じように
「えびのぷりぷり」としか言えず、さらに歌にする際もいろいろ考えはしたものの、結局は
「えびのぷりぷり」と食べた時の感覚そのままを歌にするしかなかった作中主体。
短歌でありきたりなオノマトペを安易に用いるのは御法度ですが、
それを逆手にとったような所があっておもしろい歌です。
僕なら、「適切な」と漢字に、「えび」はカタカナにします。
Posted by 伊波虎英 at 2010年10月29日 01:02
てきせつな言葉をさがしあぐねつつ神戸焼売のえびのぷりぷり
上句は、山寺さんの意見に同感です。
下句への跳び方も面白いし、
結句のオノマトペ「ぷりぷり」も
確信犯的な余裕を感じます。
ただ、私がひっかかるのは
「つつ」なんですが・・・
読み返すほどに、
この「つつ」が、しっくりこなくなっているのですが・・・
Posted by 梶崎恭子 at 2010年10月29日 22:03
てきせつな言葉をさがしあぐねつつ神戸焼売のえびのぷりぷり
おもしろいうた。
「つつ」とあるので、「言葉」をまだ捜しあてて
いないのでしょうね。
作者は今もって言葉をさがしながら
とりあえず「えびのぷりぷり」を楽しんでいる、と
読みました。
つまり、宙吊り状態で、まあ、楽しむところは
楽しもうと。
「えびのぷりぷり」にアマエタ感があるので「てきせつな」で
最初と最後にアマエタ感を出すよりは、ここは普通に「適切な」と
するほうがいいかな、と思います。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月29日 22:48
てきせつな言葉をさがしあぐねつつ神戸焼売のえびのぷりぷり
神戸シュウマイにはプリプリの海老が入っているのですね。こちらでは崎陽軒が有名ですが、海老は入っていなかったと、少なくとも歯触りに残る形では入っておりません。ですからまず食べてみたいと思いました。
さて、先ず考えたのは、この作中主体は、何を表現したくて「てきせつな言葉」を探しているのだろうということです。
二通りの解釈が出来るかと思います。
(1)シュウマイの味を伝えようとしている。
(2)シュウマイを食べながら、誰かと会話をしていて、伝えるべき適切な言葉を探している。
僕の読みは後者に傾いています。しかし「さがしあぐねて」シュウマイの海老の歯触りに気を向けている。その前にシュウマイを食べながら話をしているという状況から、その話はさほど深刻なものでは無いようです。それが結句の表現となっています。
すなわちこの歌は日常のさりげない場面をユーモラスに詠んでいるところに工夫があると思います。
Posted by
村上 喬
at 2010年10月30日 03:30
たくさんのご意見を頂戴いたしましてありがとうございました。
作者として伝えたかった歌意は村上喬さんご指摘の(2)でした。
でも、いろんな解釈ができるところに短歌のおもしろさがあるのだと思います。
次回もぜひ参加したいです。
Posted by 今井ゆきこ at 2010年11月18日 20:33
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「てきせつな言葉をさがしあぐねつつ」が、単純にえびの食感を言葉でさがしている、という意味と、短歌作品にしようと苦吟して言葉をさがしている、という意味の二つにとれるとおもいます。作者は歌人なので、おそらく後者でしょうが。
でも食べつけないものを食べたか、いつものものを食べたかすると適切な言葉が出ません。「神戸えび焼売」がどんな味か伝えたいもどかしさは伝わります。
表記は上のニ氏と同様難がありますね。
この歌の場合は、この「てきせつな」という、妙に間延びしたような導入が、口中の「神戸焼売」を舌や歯で探りつつ、ああでもない、こうでもないと「言葉をさがしあぐね」ている様子をうまく表しているように思われてきて、このままでも良いのではないかと思うようになりました。
ぴったりの形容ではないけれど、取り敢えず「えびのぷりぷり」と言って置こう、
という、変な余裕のようなものが感じられる面白い歌です。
余裕があるのは、美味しいものを食べているからなのでしょう。
美味しいものを食べているので、それ以上考えるのが面倒になってしまったのかも知れません。
結句で「ぷりぷり」にたどり着いて、ほっと一息という感じです。「ぷりぷり」は漢字に出来ませんね。
「えびのぷりぷり」としか言えず、さらに歌にする際もいろいろ考えはしたものの、結局は
「えびのぷりぷり」と食べた時の感覚そのままを歌にするしかなかった作中主体。
短歌でありきたりなオノマトペを安易に用いるのは御法度ですが、
それを逆手にとったような所があっておもしろい歌です。
僕なら、「適切な」と漢字に、「えび」はカタカナにします。
上句は、山寺さんの意見に同感です。
下句への跳び方も面白いし、
結句のオノマトペ「ぷりぷり」も
確信犯的な余裕を感じます。
ただ、私がひっかかるのは
「つつ」なんですが・・・
読み返すほどに、
この「つつ」が、しっくりこなくなっているのですが・・・
おもしろいうた。
「つつ」とあるので、「言葉」をまだ捜しあてて
いないのでしょうね。
作者は今もって言葉をさがしながら
とりあえず「えびのぷりぷり」を楽しんでいる、と
読みました。
つまり、宙吊り状態で、まあ、楽しむところは
楽しもうと。
「えびのぷりぷり」にアマエタ感があるので「てきせつな」で
最初と最後にアマエタ感を出すよりは、ここは普通に「適切な」と
するほうがいいかな、と思います。
神戸シュウマイにはプリプリの海老が入っているのですね。こちらでは崎陽軒が有名ですが、海老は入っていなかったと、少なくとも歯触りに残る形では入っておりません。ですからまず食べてみたいと思いました。
さて、先ず考えたのは、この作中主体は、何を表現したくて「てきせつな言葉」を探しているのだろうということです。
二通りの解釈が出来るかと思います。
(1)シュウマイの味を伝えようとしている。
(2)シュウマイを食べながら、誰かと会話をしていて、伝えるべき適切な言葉を探している。
僕の読みは後者に傾いています。しかし「さがしあぐねて」シュウマイの海老の歯触りに気を向けている。その前にシュウマイを食べながら話をしているという状況から、その話はさほど深刻なものでは無いようです。それが結句の表現となっています。
すなわちこの歌は日常のさりげない場面をユーモラスに詠んでいるところに工夫があると思います。
作者として伝えたかった歌意は村上喬さんご指摘の(2)でした。
でも、いろんな解釈ができるところに短歌のおもしろさがあるのだと思います。
次回もぜひ参加したいです。