この記事へのコメント
母親を看病する娘の慎ましく穏やかな日常を感じます。恵まれた昭和の母と娘の姿ですが、時は容赦なく過ぎてゆきます。今朝の雨で、母の好きな白いバラが庭に散り敷いている。抒情とは身近な人に対する思いやりの延長にあるのではないかと、この歌を味わいながら思ったことです。
Posted by さとう ひろこ at 2010年10月23日 12:46
一首の言葉のつらなりのなめらかさが心地よく感じられます。ただ、上の句に病床の母、下の句に散りゆく薔薇という配合は、ちょつと平凡な気がします。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年10月24日 21:23
病気で臥せっていらっしゃるお母さんの多分好きな薔薇が散ってしまった。
ただそれが惜しい悲しいという気持ち以上に散るという言葉にお母さんの今後に対する不安を感じました。
病床の母、散る薔薇の取り合わせ・・・なんとなく既視感があるのですが。。
Posted by 海野 雪 at 2010年10月26日 20:18
素敵な作品だと思いました。
お母様のご病気、散るバラ、どちらも自分ではどうすることもできない事象を並べているのに、絶望的ではなく、淡々としている。「目覚めのおそき」「白いばらだけ」と観察する冷静さがまだ残っている。そこで踏みとどまっている作者の緊張感が伝わります。
Posted by 三田村まどか at 2010年10月27日 22:37
せつないうたを読んだ、という気がします。
「白い薔薇だけ散ってしまえり」に雨に散る白ばらの
さびしさと、お母さまに白ばらを見せられなかったと
いう無念さがよく出ています。

「臥す母」はかなり固いので、「病む母」くらいの
ほうがいくらかやわらかくなりそうな。
「目覚めの遅き」も固いので「遅く目ざめた」くらいの
ほうがいいような気もします。

漢字の多さと均一なリズムで漢字が表れるのが
気になります。
「目覚め」は「目ざめ」、「朝」は「あさ」と開くほうが
うたらしい表記になるのではないでしょうか。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月29日 23:44
とても印象に残りました。白いバラが散ったことに、死を予感させます。
今日、母はようやく目覚めたけれど、明日はちゃんと目覚めるのだろうかという不安な気持ちが現れていると思います。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年11月14日 22:33
たしろゆう と申します。

入会したばかりで、いきなり参加させて頂きました。ありがとうございます。

実の母が、高齢のうえにパーキンソン病を患っておりまして、「病む母」かとも迷いましたが、症状としては軽い方でもあるし、自分の中では「臥す」くらいがいいのかなと思った次第です。本田様のコメントにありますように、老いた母が今朝も元気よく目覚めますようにという気持ちは、常にあります。雨の朝の薄暗い中、ベッドの母がしんと深い眠りの中におりますと、ついつい確認をするということもままあります。手入れの悪い薔薇でありますけれど、返り咲きするものがあります。晴れた日などには、母が「綺麗じゃねえ(だねえ)」と嬉しそうに眺めたりしていてるものですから、雨に打たれて散ってしまう薔薇の花びらに少し感傷的になってしまったかもしれません。

いとも単純な歌ですが、コメント付けていただいて、大変嬉しかったです。ありがとうございました。
Posted by たしろゆう at 2010年11月16日 09:43
前評者の解釈に加えて、たしろさんご本人からの解説を読ませていただき、歌の内容をより深く知ることができました。透明な寂寥感とお母様への深い愛情が静かに伝わってきました。好きな一首です。
Posted by 村上 喬 at 2010年11月20日 14:27
下の句は言葉が無駄なく繋がって、詩性もあり作者の気持ちが充分あらわれていると思います。一方、上の句は無理な繋がりが重なって、推敲が待たれる分、まだ作者の気持ちが表れるまでに至っていない、そんな気がいたしました
Posted by 長谷川知哲 at 2010年11月21日 21:38