この記事へのコメント
面白いけれど、奇をてらった分、差し引きマイナスが大きい、そんな印象をもちます。
上の句も下の句もフィクションでこてこてになってしまった印象でしょうか。事実はどうあれ。
どれかに絞って抑制を効かせたら、本当の面白さが出たのではないでしょうか。
Posted by 知哲 at 2010年10月22日 23:28
それほど奇をてらっているとは思いませんでした。
そう思わなかったのは、清めの塩を「盛り上げる」という行為のせいだと思います。
塩をふるのではなく、儀式の用に(というかあきらかに儀式として)盛り上げる。
そこまでして殺す必要があったのか。
殺されたナメクジにも、使われすぎた塩にも、そのために時間を費やした自分にも
その行為の必然性はあったのだろうか。
滑稽でいて静粛な映像の中に、輪廻転生は自然に受け入れられるようにも思いました。

ナメクジはひらがなのほうがよかったように思います。
Posted by 勺 禰子(しゃく・ねこ) at 2010年10月23日 17:23
ナメクジがいたので、何気なく塩をかけて殺した。
その日の「午後」、「輪廻転生」を「夢見」た。
不用意にナメクジを殺してしまったために、来世で、私があのナメクジに、あのナメクジが私に生まれ変わったら、どうしよう。
そうなると、とても困るような気がする、何とかしなければならないと思った。
そうだ、お清めをしよう。そうすれば、大丈夫かもしれない。
死んだナメクジのところに行って、「清めの塩を」さらに「盛り上げ」た。

このように読みました。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年10月27日 14:20
とてもインパクトがありますね。
わたしは作者が「輪廻転生」を「夢見」たことを自戒するために、ナメクジに塩を盛ったのだ、と読ませていただきました。
現世を逃げたとしても、転生してナメクジになるかもしれないぞ!と現実逃避しようとする自分に言い聞かせるように。
「盛る上げる」から「盛り上がる=テンションを上げる」を連想した、勝手な読みかもしれません。
Posted by 三田村まどか at 2010年10月27日 22:24
ナメクジに清めの塩を盛り上げる輪廻転生夢見し午後に


午後に清めの塩を盛るという習慣は、おそらく開店時間が夕刻の店ではないかと思います。客を迎える前に、店の前を掃き、水を打って清めの塩を盛る。そんな古風な町屋の風景が浮かんで来ます。そこにたまたま這い出てきたナメクジの上に塩を盛り上げた。しかも輪廻転生の夢をみた後に…
作中主体は、何を思って塩を盛り上げたのでしょうか。今生をナメクジとして生きる命の輪廻転生を願いつつ、僅かに罪悪感を持ちながらも塩を盛り上げたのではないでしょうか。そんな静寂の中にも、命を巡る葛藤を暗示する歌と読ませていただきました。
そんな物語が浮かんでくるのです、これもまた飛躍に過ぎる解釈でしょうが。

Posted by 村上 喬 at 2010年10月31日 01:34
 下句の四字熟語が気になります。四字熟語(2字ずつに分けても)やことわざや慣用句などは、人生や社会のありようをコンパクトに表現(ある意味では平凡・あたりまえ過ぎる)したもので、個性的・独創的とは、ベクトルが反対なので、基本的には短歌のなかで有効には使えない確率が高いとおもいます。
 ここでも、四字熟語を使わずに一首をつくりたいところです。
 僕は、「清め」も使わないで作りたいです。直接言うのではなくて、感じて欲しいところだとおもいますので。
Posted by 山寺修象 at 2010年10月31日 06:19
四字熟語や成句は、それを使って効果的な歌を作るのは難しいという山寺さんの意見に同じです。
なので一番最初の知哲さんのコメント通りの「奇をてらった分、成功していない」という感想が生まれてきます。

輪廻転生をなんとなく信じている作者が、生まれ変わり…生まれ変わりのループからの脱出、
つまりもう何者にも生まれ変わりたくはない、と願い「ナメクジに清めの塩を盛り上げる」暗示的な行為を呼び起こした。少しくらいの塩ではナメクジは死なないそうです。
(一時的にナメクジの水分が塩によって出ていくだけで、時間が経てば戻ることを前提に)
大量の塩ならばナメクジは復活できない…と知った作者が、生まれ変わりを拒絶する心象を表現されているのだと読みました。

ところがもしそうなら「清めの塩」がわからない。
作者は「清めの塩」という言葉をどういう意味に使っておられるのか?
こういった言葉にはひとことであらわせない深いものがありますから。
安易に使うのではなく、輪廻転生の苦しみや畏れを感じさせて欲しいと思いました。

ところがやはりそんな深い読みではなく、何人かの方が書いておられるように、
「不用意にナメクジを殺してしまった」「転生してナメクジになったらどうしよう」と、
もう少し愉快な歌として読むほうが自然なのか?と
私の考えは無限ループしております。
Posted by 三島麻亜子 at 2010年10月31日 09:21
上の私のコメントに追加です。

それと今はこの歌が、午後の(睡眠中に)輪廻転生の夢を見た という前提で評が進んでいますが、
「夢見る」には、そうなりたいという願望の意味もあります。

「輪廻転生の夢見し午後」なのか「輪廻転生を夢見し午後」なのか?
によっても、歌の意味が変わってきます。

インパクトがある分、迫ってくる歌ですが、考察するとわからなくなる歌でもあります。
Posted by 三島麻亜子 at 2010年10月31日 09:45
ナメクジに清めの塩を盛り上げる輪廻転生夢見し午後に

「輪廻転生」とは、仏教などで使われる東洋思想の用語で、
生物が生死を重ねて、生きかわり死にかわりして永遠に
生命をつないでいく、という考え方。
命にはいろいろ等級があって、人間はいちおう一番上の階級に
ランクされているそうです。
ナメクジはたぶんかなり下の方。

ある午後のこと、私は輪廻転生を夢に見た。
(どう見たかがこれではわかりませんが)
そのあとナメクジに出会い、いつものように塩をかけて
殺してしまった。
ああ、ひとつの命を断つとは、なんということを
してしまったのだろう、という慙愧のこころでナメクジを見つめて
いるうちに、このナメクジもまた生を受けて再び
この世に現れるのだ、と気づく。
来世ではこのナメクジがなんとか少しでも上の階級に、できれば
人間に生まれ変わりますように、というナメクジをいとおしむ気持で
お清めの塩を盛大に盛り上げました、といううた、と
読みました。

やさしいような残酷なような不思議な読後感があります。

「輪廻転生」というような大掛かりな言葉は、
よほど具体性がわかるような文脈でしか使えない、と思いますが
このうたの場合は対象が「ナメクジ」というちょっとユーモラスな
ものなので、案外うまく効いているような気もします。

漢字がやや多くて硬いので、可能なところはひらがなに
変える方が。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月31日 17:08
指摘しようかどうか迷っていたのですが、この歌にはどこかオウム真理教の「ポア」(上の階級に生まれ変わらせるため、と言って殺人を正当化する思想)を連想させるところがあって、好きになれませんでした。
作者の方には、そんなつもりは全くなかったと思うし、歌の解釈に道徳性を持ちこむのはあまり好きではないのですが、一つの意見として書かせて下さい。
Posted by 木嶋章夫 at 2010年11月13日 23:16
見かけたナメクジに塩をかけるという行為は、さほど特別なことではなく、日常的な風景の中にある行為だと思います。ただそれが夢に見たという「輪廻転生」という言葉に結びついたところから、宗教的な色彩を帯びた歌と解釈されていますが、作中主体は命を奪うことへの若干の罪の意識とそれを補う転生への願いを持って塩をもったもので、さほど宗教的に深く解釈せずともよいのではないかと思います。命を巡る小さな心の揺れといった印象を持ちました。
Posted by 村上 喬 at 2010年11月18日 09:45
 たくさんの貴重なコメントをいただきありがとうございました。
 正直に言うと、当人としてはこの歌に対していろいろと解釈していただいたような深いところまで考えもせず、気軽な気持ちで幼き日の印象の強い出来事に少しの脚色をして詠んでみただけのつもりでした。
 ただ、表現の狙いとして確かにナメクジに塩をかけるということへのインパクトと罪悪感、そして少しのノスタルジーが皆さんに伝わればいいなと言う意識が強くありました。
 少し言い訳がましくなりましたが、これからもネット歌会で自分が気がつかない部分を教えていただければと思います。
またよろしくお願いします。
 
Posted by 照井夕佳詩 at 2010年11月21日 17:10