この記事へのコメント
「窓下」は「まどした」あるいは「そうか」と読むのでしょうか。「そうか」にすると字足らずなので、やはり「まどした」?良い光景なのですが、何か具体物を詠み込むと、もう少し、心に迫ってくるような気がするのですが。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年10月25日 22:36
日の出が少しずつ遅くなり、それでも作中主体はいつもと同じ時間に目覚める。
そこで秋を見つけたのですが、それが「窓下に明けきらぬ光は見えて」そう思った、
というのが秋の気配を伝えていていいと思いました。
「見て」もしくは「見つけて」という意志的なものではなく「見えて」という表現も、
その光の生態からくる当然の表現のようにも思います。
ただ「とぞ思ふ」はどうでしょうか。この歌の結句としてはすこし鈍重な感じに思いました。
「秋は○○」などのほうがいいのか…と勝手に思ったり。

などと言いつつ、これからは窓下の光がどんなのか、いつも気になってしまいそうですきな歌です。
Posted by 勺 禰子(しゃく・ねこ) at 2010年10月26日 00:11
ちょっとした風景ですが、さわやかな感じの歌だと思います。

辞書で「窓下」を調べると「そうか」で出ました。手紙の脇付の一。へりくだる意を表す、ともありました。
わかりやすくするのなら「窓の下」がいいかもしれません。
結句、「秋とぞ思ふ」はやや弱いのではないでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2010年10月26日 09:36
明け方の光のわずかな違いに季節の推移を感じた爽やか一首です。でも「窓下」の具体的な映像が浮かびません。マンションの窓下、木造平屋の窓下、同じ構造でも田舎と都会の違いもあるし、、、、それから下句に「明けきらぬ」とありますから、「目覚めれば朝、」は必要かしら?
Posted by 庭野摩里 at 2010年10月26日 21:33
目覚めれば朝、窓下に明けきらぬ光は見えて秋とぞ思ふ

「窓下」がやはり一番ひっかかり、わからない言葉です。
ふつう「窓下」とか「窓の下」とあると、
自分の居る建物、または窓から見える別の建物の
窓の下の壁または空間か、と考えてしまいますが、「明けきらぬ光は見えて」とあり、
「明けきらぬ光」が「窓の下の空間まはた壁にある」情景がどう考えても
よくわかりません。

高層マンションの上階の窓から下を眺めると、もう秋なので
いつもの目覚めの時間なのにまだうすぼんやりしていて、明けきらない明るさ、
つまり光が見える、という情景でしょうか。

その場合は「窓下」ではなく、ふつう「眼下」といいます。

「明けきらぬ光」というのはちょっと不思議な響きがあって
いいと思います。

最初の評にあるように、一首に具体物がまるでないので、
せめて「目覚めれば朝」の代わりに午前――時くらいに
するのがいいのではないでしょうか。

「秋とぞ思ふ」も「秋は来にけり」くらいにするほうが
くっきりすると思います。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月31日 21:25