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短歌人会の公式なネット歌会会場です。
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2010年10月22日
posted by 短歌人会 at 00:29|
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並々ならぬ技量の持ち主であるとお見受けします。
緊密な一文(センテンス)で、すっきりすんなりと詠っていますが、選び抜かれた言葉によって、一つの限定的な瞬間の完璧なイメージが写し取られていると思います。
「響(とよ)む列車の首尾」なんて、なかなか思いつかない表現だと思います。
ところで、作中主体は相当な精神力の持ち主と思います。鉄橋の下の電車の通過音は100デシベル程度とされており、かなりうるさいです。会話も聞き取れないほどです。並の人間では「半眼で」「列車の首尾を行かしむ」ことなどままならないと思われます。
歌の解釈・鑑賞にも関係しますので、一言します。
私は田舎育ちで、子供の頃は町はずれの川に架かった鉄橋で、悪ガキ仲間と、この歌に描かれたぐらいのことはしょっちゅうやっていました。
もっと危ないことも、平気でやっていたような気がします。
特に強靭な精神力は必要としませんでした^^;
・・・が、今思うと、確かにそれはちょっとした冒険だったのかも知れません。
この歌の情景は非常にリアルで懐かしいですし、緊密な表現の行間に深いノスタルジーも感じております。
いうなれば、スティーヴン・キングの名作小説「スタンド・バイ・ミー」みたいな感じです。
・・・作者はいったいどなただろうかと、最も気になっている作品です(^^)
「半眼」は悟りとか諦めの表情を連想してしまうからです。
期待や恐れやわくわく感のある表情=半眼 なのでしょうか。
「半眼で」に、最初は河川敷のブルーシートの住人の状況と読んでしまいました。
鉄橋とは多くの場合川を渡って架けられています。ですから鉄橋の下で屈んだ姿勢の半眼の先に見えるものは、おそらく川の流れではないでしょうか。するとこの作中主体は川面を見つめながら、電車の通過する音を聞いている様です。
また鉄橋は、高さもまちまちですから、潜り込む様なものから、数十メートルの頭上にある場合もあるでしょう。
こうして考えていくと多様な読みを孕んでいる一首の様にも思えてきます。
やはり「半眼」が気になります。
そういう目で見ると、「かがみて」もじじむさい。
作中主体は何かこころに鬱屈するものをかかえて鉄橋の下にかがんで、
重量感のある列車の通過音を聞いているのかなあ、と読みました。
「列車の首尾を行かしむ」はいいですね。
「現在、作者(大室ゆらぎ)本人が、鉄橋の下にかがんで、列車の通過音を聞いている」という歌でした。
なぜ半眼(はんがん)なのか?
半眼とは、外界と内界とを半々に認識している状態で、
それは、他ならぬ「歌」の生まれる場所でもあります。
ちなみに、鉄橋は、東北本線元荒川第一橋梁です。