2010年10月22日

第3回ネット歌会詠草/14

棄てられし子供の島よ淡路島それでも人は神と祭るも
posted by 短歌人会 at 00:27| Comment(6) | 第3回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この歌が古事記のイザナギ、イザナミの国産み神話のことを詠っているのは解りました。
しかし内容でつまづいてしまってうまく鑑賞できないでいます。
「棄てられし子供の島よ淡路島」を普通に読むと「棄てられし子供の島」=「淡路島」となります。
しかし棄てられたのは最初に生まれて体が不完全だった蛭子で、淡路島は3番目に生まれた最初のちゃんとした子供です。
蛭子をまつった神社が淡路島にあるので「棄てられし子供をまつってある島」=淡路島という意味なのだろうと思います。
この点がとても解りにくいのですが。。
Posted by 海野 雪 at 2010年10月22日 21:43
続きです。
蛭子は海に流され西宮の浜に流れ着いて恵比寿(戎)として祭られるようになりました。
作者は生まれてすぐ身体に欠陥があるため親神から捨てられてしまった蛭子と現代の世相を重ねているのかも知れません。
親神から捨てられた蛭子を人は神として祭ります。
そこに作者はいくらかの救いを感じたのかもしれません。
Posted by 海野 雪 at 2010年10月23日 08:19
私も記紀、特に古事記は大好きで、岩波文庫版や、福永武彦の現代語訳版などで親しんできました。

海幸山幸(塩椎・豊玉姫)説話やヤマトタケル神話なども、本邦上古のロマンティシズムが溢れていて、とてもいいですね。
原文のいにしえのやまとことばの響きも本当に美しいです。

イザナギ・イザナミ神話を愛するあまり、「なりなりてなりたらざるをなりなりてなりあまるもてふたぎてめをと」という歌を作ったこともあります(本誌2009年10月号掲載作品)。

http://kiryu0.fc2web.com/koziki/01.html

この歌についての感想は前評者・海野さんとほぼ同じで、屋上屋を重ねることになってしまいますが、しみじみとしたかなしみの情感があって、いい歌だと思いました。

ただ、テキスト考証的な見地で、海野さんと同じ疑問も抱きましたが、「葦舟に入れて流し去(う)て」られた「水蛭子(ひるこ)」が後に「恵比寿(蛭子)」と同一視されて淡路島に祭られているという事実を今回初めて知り、たいへん勉強になりました。

http://hachi-style.jugem.jp/?eid=225

この歌が、現代の世相にまでからめて詠まれているのかどうかは微妙なところだと思いますが、確かにそういった読み方も可能かも知れませんね。
そう解釈する場合は、かなり辛辣な社会批評的含みもあるのかも知れません。

なお、この歌はこのままでいいと思いますが、初句の別案として、古事記原文の上古語を生かして、「去(う)てられし」、「棄(う)てられし」もありかなと思います。
ちなみに「棄(う)つ」は、意思的・情意的完了の助動詞「つ」の語源といわれます。
Posted by 坂本野原 at 2010年10月24日 11:26
恵比寿神だったのですか。実は古事記そのものには当たってなくて書いたので、その辺りはミスですね。

あの二方の神様は、「結婚の誓い」に相当することを間違えていて、かなり蛭子さん産んでます。それで、神とカウントしてないんですね。

神代の国産みの神様に腹を立てても仕方ないんですが、現代にも都合よく子供を捨てる人がいますね、なら作るな、って怒りはあります。
Posted by ふゆのゆふ at 2010年11月15日 08:07
ふゆのふゆさん、おはようございます。
ふゆのふゆさんのコメントを読むと結句の神は私が思ったように蛭子のことではなく、蛭子を捨てたイザナギ・イザナミのことですね。
体が完全でないという理由でわが子を捨てても両神は人から神としてまつられている、それと現代の世相を重ねて・・・その辺りがテーマというのでいいのでしょうか?

私も古事記が好きで繰り返し読みましたが、初めて読んだ時に蛭子が捨てられるシーンは現代感覚では残酷で悲しくなりました。
正しい国産みの儀式を言うための前振りではあるのですが。

朝投稿を試みましたがうまく行きませんでした。
再度試してみます。
重複していたらすみません。
Posted by 海野雪 at 2010年11月16日 10:54
むしろ現代は悪くなってますね。人間がすることですから殺したりして。

当時からたぶん戦後進駐軍が来るまで、それからしばらくはこう言うことを是としていたかと思うと、憤りますね。貧しさもあるかもしれません。でもだから、やっていいとも思えないのです。

蛭子は棄てられてもどこかでやさしい民に愛されていたのではないかと思います。

Posted by ふゆのゆふ at 2010年11月16日 18:44