この記事へのコメント
作者が電話をかけている相手は、友達なのでしょうか。だからその家族までは知らない。
あちらは家族の笑い声が聞こえていることに作者はさみしさを感じている気がします。

小池光の歌「笑ひ声絶えざる家といふものがこの世にあるとテレビが言ひぬ」という歌を思い出しました。

わが知らぬ声が聞こゆる・・・で二句切れなのでしょうか。内容から考えるとそんな気がします。
それとも「聞こゆる」は「聞こゆ」の連体形で家族にかかっているのでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2010年10月23日 00:03
面白い謎がある歌として受け取りました。近藤さんの「友達」説ももっともですが、「恋人」もしくは「好意を持っている人」が電話をかけているととってみたい気もします。二人は親しくとも、相手(彼または彼女)には、私の知らない家族との関係がある。笑い声が疎外感を浮き立たせているように思えます。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年10月27日 22:39
日常の一こまを捉えようとした作者の気持ちには好感をもちます。
最初の声は誰の声なのでしょうか?
受話器ごしに、と助詞が要るように思います。
聞こゆるではなく、この場合聞ゆ、が正しいように思いますが。
うからという読みは、自分の家族をへりくだって言う語感があるように感じますがどうでしょうか?他人の家族をそういうかどうか? この場合素直にかぞくと詠んだ方がリアリティーがあるように感じますがどうでしょう。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年11月01日 23:48
 わたしは自分の親族との電話だと思っていましたが、近藤さんの「友達」説を読んで、たしかに自分の親族に特定はできないなと思いました。
「家族」の字で「うから」となっていますが、わたしの感覚では「親族」にあてたい言葉でした。ここで「家族」ということは、その電話相手のご家族なのでしょうか。
「聞こゆる」は長谷川さんのおっしゃるように「聞こゆ」のように思います。「聞こゆる」だと言いさしになると思います。
 初句は「受話器ごしに」というように「に」を入れたほうがスムーズになるように思います。
 この歌に表されているようなことは、わたしにも思い当たります。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2010年11月02日 20:27
僕は古語大好き人間ですが、この歌の場合、家族はかぞくと読ませた方が長谷川さんの言われるようにリアリテイが増すと思います。
二句切れですから「聞こゆ」が正しいとは思いますが、はっきり二句切れと分かる歌ですから連体形での二句切れも語数のうえから有りかな、とも思います。
Posted by 永井秀幸 at 2010年11月04日 17:22
「家族」は「かぞく」の方が具体性があっていいと思います。
わたしもこの家族は恋人または友人の家族かなあと読みました。

「受話器ごし」はちょっとひっかかります。
「ごし」というと、何か物を越して見るとか聞くとかするもの、
たとえば「壁ごしに聞く」などの場合に使う接尾語で、
「受話器」はまさに声を聞くためのものでそこを通って
声がきこえるもの。
単純に「受話器から」でいいのではないでしょうか。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年11月06日 01:16
ミステリー小説の犯人みたい!と面白く読ませていただきました。「受話器ごし」という表現は小説などでよくみかけるので、花鳥さんのご指摘は「目から鱗」でした。「受話器をもって電話を受けている相手を越して」ということになりますね。
「うから」という言葉は知りませんでした。
Posted by 三田村まどか at 2010年11月06日 05:50
一読、胸に突き刺さってくるような切ない歌でした。
好意を抱いている相手との電話中に、自分の知らない、相手の家族の笑い声が聴こえてしまう。
その笑い声は、作中主体の胸に、刃物のように突き刺さってくる。自分以外の人間と幸福を分かち合っている相手のことを思うと、心がちぎれそうになるのでした。
断言は出来ないのですが、「家族」と書いてあるところに、不倫を連想させるものがあります。
気持ちも凄くよく分かるし、しびれるような歌でした。
今回はこの歌が一番好きでした。
Posted by 木嶋章夫 at 2010年11月14日 00:50
 この歌も好評ですが、僕には、平凡なメロドラマそのもののような短歌だとしか感じられません。「不倫、電話」から思い浮かぶ第一イメージの内容のようにおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2010年11月14日 03:25
最初に読んだときは、留守番電話に録音された未知の他人からのメッセージを聞いている場面を想像しました。

でも、「わが知らぬ家族(うから)の笑ふ声も」の助詞「も」があるので、
やはり知人、友人からの電話との解釈の方が適切なんだろうと思います。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年11月14日 23:27
いろいろなコメントを頂きありがとうございました。2句目はやはり「聞こゆ」です。「うから」も「かぞく」のほうがいいでしょうね。「受話器ごし」は三田村さんがおっしゃったように「電話をうけているている相手を越して」という意味合いもありました。「に」を入れなければ意味が通らないということもないので「に」は要らないと思います。
内容についてはどれも正解です。何気ない日常に題材を得ても、31音でドラマを感じさせる歌を詠みたいと思っています。読み手それぞれの想像力を刺激するような・・・でもなかなか難しいですね。

「受話器ごし声が聞こゆわが知らぬかぞくのわらふこゑが混じりて」


と変えてみましたがいかがでしょうか。

ネット歌会はコメントのやり取りで、解らなかった歌も、なるほどそういうことかと分かったり、目から鱗ということもよくあり、楽しいし勉強になります。
手厳しいコメント歓迎という気持ちと、お手柔らかにという気持ちとでわくわくします。
Posted by さとう ひろこ at 2010年11月17日 18:04
改作歌の二句目「声が聞こゆ」ですが六音はやはりかなり気になります。
斎藤茂吉に、
山すげのみだれふしたる一谷(ひとだに)に湧くこもりづの音はきこゆる    『白桃』
という歌が有ります。この最後は正確には終止形で「音は聞こゆ」だと思うのですが音数から斎藤茂吉はあえて連体形の「聞こゆる」を選んだのだと思われます。古典から現代歌まで、たとえば「見ゆ」「暮る」などを音数上から「見ゆる」「暮るる」にして終わっている歌はいくらでもあると思います。
問題は途中の句切れのところで、このように使っていいのかということですが、いま例を引くことができませんが多分有るのではないかと考えられます。
いろいろ言いましたが僕個人としては「聞こゆ」よりは「聞こゆる」のほうがいいと思います。
Posted by 永井秀幸 at 2010年11月18日 17:07
永井さん ありがとうございました。

私も結句を連体形にすることはよくありましたので、何も考えず、字数やリズムの感じで今回も作っていました。何人かの方に終止形であるべきでは?とのご指摘を受け、そういえば確かにそうだと思い変えました。
永井さんが句切れのところで連体形もありだといってくださったのでしたね。文法に強くないので揺れましたが、作者としては初めの「聞こゆる」に戻したいと思います。
Posted by さとう ひろこ at 2010年11月19日 12:08
さとう ひろこさん
僕の意見を取り入れていただきありがとうございました。嬉しく思うと同時に責任を感じています。
Posted by 永井秀幸 at 2010年11月22日 16:29
三句切れで連体形で切れている歌が有りました。

夕さればいにしへ人(びと)の思ほゆる杉はしづくを落しそめけり    中村憲吉 『しがらみ』

最澄を詠った四首連作の一首目の歌です。杉がいにしへ人を思っているわけではなく、明らかに作者がいにしへ人・最澄を思っているわけですから終止形「思ほゆ」で切れるのが本来のわけですが、五音にするために連体形「思ほゆる」をつかって三句切れにしているのだと考えられます。探せば他にも例は有りそうな気がします。
Posted by 永井秀幸 at 2010年11月23日 16:57