この記事へのコメント
一首の歌に漢語が四つ。
漢語を使うことで、小さな出来事を大袈裟に詠う面白さを狙ったのかと思われますが、「饂飩」は「うどん」で良いのではないでしょうか?
カレーうどんという、ごく普通の何でもない食べ物に「陳腐なる抒情」を触発され、あまつさえ、その「抒情」に(心ならずも?)「惑溺」してしまったという歌、と読みましたので、その方が、より対比の効果が出るのではないかと思いました。いかがでしょうか?
それと、「はつか」。厳密に言えば、ナリ活用の形容動詞なので、連用形は「はつかに」となるのでは??
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年10月24日 12:11
なぜか郷愁を覚えるのです。この作者も同じくらいの年代かもしれません。「陳腐な抒情に惑溺」が、古びた自分を揶揄しているようにも感じます。枯れることで軽くなっていければいいなと思っています。違っていたらごめんなさい。
Posted by さとう ひろこ at 2010年10月24日 12:45
自虐の詩ですね。
こういう内容は、俳句にも小説にもならないでしょう。短歌でしか表現できないことを表現しえたという点で、私はこの作品を買います。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年10月25日 22:26
「ゆきずり」「陳腐」「抒情」「はつか」「惑溺」と何やらたたみかけてくるように言葉が過剰というか、
文語体である所ももちろん、いかにも短歌を作りましたという感じのする歌だなというのが第一印象。
藤原さんの「短歌でしか表現できないことを表現しえたという点で、私はこの作品を買います。」という評に
なるほどと思いましたが、これが20代、30代の若い人の作品であれば僕は評価できません。
Posted by 伊波虎英 at 2010年10月27日 11:50
変な歌だなあ、と思いました。おもしろい、ってことですけど。
「カレー饂飩」にただよう「抒情」とは一体何なのか。
作中主体は今のカレー饂飩を食べているときに、昔のカレー饂飩を想ったのだと読みます。
もちろん「今のカレー饂飩」と「昔のカレー饂飩」の間に、横たわる時間があります。
この時間をたぐりよせる感覚、一種のノルタスジアが作中主体の抒情でしょう。
しかしそれを陳腐だとも言っています。
作中主体は、このノスタルジアの甘さを苦く思いつつ、しかし惹かれてもいる。
この気持ちの在り方は、実に人間的です。

またこのノスタルジアには、艶がありますね。
それはもちろん「ゆきずり」という言葉からです。そういう匂いのある歌です。
この匂いの立つところが「カレー饂飩」であるところに、外しがあり、作者の短歌に対する意識がうかがえます。
Posted by 渡口航 at 2010年10月29日 21:22
 僕は、伊波さんが最初に挙げられている五つの語のうち、一つだけを使って、元の歌に近い(内容の)歌をつくりたいです。 ある意味では、80パーセントも消すことになりますが、自分でやる時の推敲は、そのようなものでもあるとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2010年10月30日 00:53
ゆきずりのカレー饂飩の陳腐なる抒情にはつか惑溺したり


カレーうどん、カレー南蛮ともいいますか?何れにせよ、今も現役の好みのメニューとして、月に数回は食べております。
作者が僅かに惑溺した抒情は、過去に味わって記憶に残る「懐かしい」カレーうどんとの出会いへの郷愁であり、それは言い古された陳腐な感情だけれども、関連する当時の記憶とも相まって、暫し心を奪われたのだろうと解釈させていただきました。
いい歌だと思います。


Posted by 村上 喬 at 2010年10月30日 02:56
「カレーうどん」に「陳腐なる抒情」は
あまりに陳腐なのではないでしょうか。

「華麗なる抒情」でも「端正な抒情」でも
「めくるめく抒情」でもなんでもいいのですが
「陳腐なる抒情」は避けた方がいいと思いますが。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年11月05日 23:00