この記事へのコメント
暑かった夏も過ぎ、作者は日暮れのススキの原に立っている・・実景とも読めますが、この歌全体が陰喩として読めます。
それは「すでにおもひで」という言葉により奥の意味が喚起されるからでしょう。
「あつき日」とは誰かを熱く愛した日々とも取れ、すでにその恋は終って寂しい心象風景の中に作者は立っている。
そこには時の移ろいを象徴する風が吹くばかり。

そんな印象を受けた歌です。
Posted by 海野 雪 at 2010年10月22日 20:28
前評者と重なりますが「あつい」が「暑い」とも「熱い」ともどちらにも解釈できて、夏の暑さか恋愛なのか、曖昧になっていて、読者を迷わせます。私はどちらかはっきりさせた方が良いと思います。

下句、風をながめることは不可能で、薄が揺れるから風が見えるわけですが、「風をながめる」としたところに詩があります。
Posted by 近藤かすみ at 2010年10月24日 00:11
今年の夏の暑さは異常な程で「酷暑」という言葉を頻繁に耳にしました。その暑い夏は九月に入っても中々おさまらず、誰もが秋風をこれ程までに待ち望んだ夏はなかったのではないでしょうか。
漸く、毎日を暑さに耐え忍んだその夏も去り、夕暮れの薄の原を前に秋風に吹かれて思い出している作者の後ろ姿が目に浮かびます。そしてこの歌には何か大切なものをなくしたような寂寥感も漂っているように感じます。結句の(薄を揺らして吹く)風を見るという表現に惹かれました。

Posted by 村上 喬 at 2010年10月24日 02:57
「あつき日」はやはり落ち着きが悪いのではないでしょうか。
「熱き日」か「暑き日」か。

「すでに」と「おもひで」は意味が重なるので、どちらかを活かして
他方を変えるべきでしょう。

「薄が原に風をながめる」はいいのですが、「西日差す」は
いかにも暑そうで、夕暮れどきを示す他のことばに
変えるべきでしょう。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月28日 21:44
そうですね。あつき日と西日が意味が重複している感じも受けますし何か他の表現にすれば美しくまとまるような気がします。
Posted by 佐々木ゆか at 2010年11月14日 16:17