スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第3回ネット歌会詠草/26
|
TOP
|
第3回ネット歌会詠草/24
>>
2010年10月22日
第3回ネット歌会詠草/25
つぶやけどつぶやけど短歌にならざりし呟きばかり積もりてゆきぬ
【関連する記事】
第3回ネット歌会作者名発表
第3回ネット歌会詠草
第3回ネット歌会開催要項
コメント受付開始
第3回ネット歌会詠草/1
第3回ネット歌会詠草/2
第3回ネット歌会詠草/3
第3回ネット歌会詠草/4
第3回ネット歌会詠草/5
第3回ネット歌会詠草/6
第3回ネット歌会詠草/7
第3回ネット歌会詠草/8
第3回ネット歌会詠草/9
第3回ネット歌会詠草/10
第3回ネット歌会詠草/11
第3回ネット歌会詠草/12
第3回ネット歌会詠草/13
第3回ネット歌会詠草/14
第3回ネット歌会詠草/15
第3回ネット歌会詠草/16
posted by 短歌人会 at 00:16|
Comment(7)
|
第3回歌会
|
|
この記事へのコメント
共感を呼ぶ歌かと思いますが、
つぶやいても短歌が出来ないと言いながら、ちゃんと一首できているじゃないですか!
こういうのをメタ短歌というらしいです。
結局、一首できたのだから、出来ないという嘆きとしては説得力に欠ける気がしました。
Posted by 近藤かすみ at 2010年10月23日 00:08
この種の短歌は、言ってるこことやってることの自家撞着が背後に付きまとうという弱さがあるのは致し方ない。
饒舌すぎてそれが残念な気がします。3度目の呟くは無用な重なりですし、もうすこしシンプルに言えれば、ちょっと啄木調で、いくらか説得力もある歌になると思います。ならざりし、という表現も悠長か。
Posted by 長谷川 at 2010年10月23日 09:34
石川啄木の有名な歌
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
や、藤原龍一郎氏の秀歌
とりあえず「つらき日暮」と書きてのち言葉さがせどさがせどあらず
あたりのパロディ、ポスティッシュの意趣があると読み取れます。
これらの歌では、個人的な愚痴や自嘲までが普遍性を帯びつつ結晶し、永遠の輝きを放ってしまっています。
天賦の発露とは、まさにこういうことなのでしょう。
・・・が、こちらの歌では、下の句「呟きばかり積もりてゆきぬ」に、飛躍・意外性がなく、凡庸の謗りは否めません。
率直に言うと、「だからどうした?」という感じしかしません。
さらに、厳密にいうと、ここで完了の助動詞「ぬ」を使うのも、意味的に少し変なのではないかと思います。
全体的に、表現に対してちょっと無頓着な印象ですね。
Posted by 坂本野原 at 2010年10月23日 10:28
全くの私ごとで恐縮ですが、今回の常軌を逸した未曽有のタバコ大幅増税・値上げに伴い、御多分に洩れず私もついに毎日40本吸っていたタバコの断煙を決意するのやむなきに到り、現在禁煙大作戦(ミッション・インポッシブル)を七転八倒で遂行中であります。
ニコチンの禁断症状特有の、非常に気が滅入りつつ極度のイライラに苛まれるという、最悪な抑鬱的精神状態の渦中におります。
この歌への前回のコメントは、その苛立ちを反映した八つ当たり気味のものでありまして、散々に貶したほどひどい歌ではないと申し添え、論調を若干訂正の上、お詫び申し上げます。
・・・何とも時期が悪かった^^;
なお、他の作品のコメントも含め、お気にさわる点がありましたら、何とぞご寛恕を持ってご容赦賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
Posted by 坂本野原 at 2010年10月25日 10:25
啄木でも五句ではじっとわが手を見たのですから、
この作者もつぶやいてばかりいないで、たとえば喉の奥を手鏡に見るとか、
脈搏を数えてみるとか、何か行動に移るべきなのでしょう。
「ならざりし」は変。「短歌にならず」なら句跨りで定型に。
「積もりてゆきぬ」は「積もりゆくなり」と現在形にするほうが
いいでしょう。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月28日 21:19
ここまで全く指摘されていないようなので書いておきたいのですが、これはツイッター(Twitter)に関する歌ではないでしょうか?
今「つぶやく」という言葉が使われていると、やはりツイッターを連想します。口でつぶやいてるわけではなく、ツイッターで活字化されているつぶやきが、形の上でも内容の面でも短歌にならない。ツイッターの画面の構造上、新しいつぶやきが上に表示されるので、「積りてゆきぬ」というのも納得がいきます。
Posted by 木嶋章夫 at 2010年11月13日 22:50
ここに詠まれている心情は正に我がことのようです。詠めない時にはいくら足掻いても歌にならない。ただつまらないセンテンスが(ノート)に積もるばかり。作者の苦悩がストレートに表現され、多くの共感を呼ぶ歌ではないかと思います。
大切なのは、その苦悩かも知れません。自戒です。
Posted by 村上 喬 at 2010年11月19日 15:15
検索
<<
2025年01月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第52回ネット歌会詠草/5
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 寺阪誠記 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/4
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 寺阪誠記 (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/3
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
第52回ネット歌会詠草/2
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/1
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 大野奈美江 (02/24)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/20
⇒ 清水 紀久子 (03/08)
⇒ 堀部明兎 (03/02)
第52回ネット歌会詠草/15
⇒ 寺阪誠記 (03/07)
⇒ 大野奈美江 (02/23)
⇒ 堀部明兎 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/19
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/12
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 花澤孝 (02/26)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 伊藤まり (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/8
⇒ 堀部明兎 (03/01)
⇒ 大野奈美江 (02/25)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(03/19)
第52回短歌人ネット歌会作者名発表
(02/17)
第52回ネット歌会参加者一覧
(02/17)
第52回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(6)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2025年01月
(1)
2024年03月
(1)
2024年02月
(23)
2023年09月
(1)
2023年08月
(18)
2023年07月
(1)
2023年03月
(1)
2023年02月
(27)
2023年01月
(1)
2022年09月
(1)
2022年08月
(22)
2022年07月
(1)
2022年03月
(1)
2022年02月
(28)
2022年01月
(1)
2021年12月
(1)
2021年11月
(27)
2021年09月
(1)
2021年08月
(24)
2021年07月
(1)
つぶやいても短歌が出来ないと言いながら、ちゃんと一首できているじゃないですか!
こういうのをメタ短歌というらしいです。
結局、一首できたのだから、出来ないという嘆きとしては説得力に欠ける気がしました。
饒舌すぎてそれが残念な気がします。3度目の呟くは無用な重なりですし、もうすこしシンプルに言えれば、ちょっと啄木調で、いくらか説得力もある歌になると思います。ならざりし、という表現も悠長か。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
や、藤原龍一郎氏の秀歌
とりあえず「つらき日暮」と書きてのち言葉さがせどさがせどあらず
あたりのパロディ、ポスティッシュの意趣があると読み取れます。
これらの歌では、個人的な愚痴や自嘲までが普遍性を帯びつつ結晶し、永遠の輝きを放ってしまっています。
天賦の発露とは、まさにこういうことなのでしょう。
・・・が、こちらの歌では、下の句「呟きばかり積もりてゆきぬ」に、飛躍・意外性がなく、凡庸の謗りは否めません。
率直に言うと、「だからどうした?」という感じしかしません。
さらに、厳密にいうと、ここで完了の助動詞「ぬ」を使うのも、意味的に少し変なのではないかと思います。
全体的に、表現に対してちょっと無頓着な印象ですね。
ニコチンの禁断症状特有の、非常に気が滅入りつつ極度のイライラに苛まれるという、最悪な抑鬱的精神状態の渦中におります。
この歌への前回のコメントは、その苛立ちを反映した八つ当たり気味のものでありまして、散々に貶したほどひどい歌ではないと申し添え、論調を若干訂正の上、お詫び申し上げます。
・・・何とも時期が悪かった^^;
なお、他の作品のコメントも含め、お気にさわる点がありましたら、何とぞご寛恕を持ってご容赦賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
この作者もつぶやいてばかりいないで、たとえば喉の奥を手鏡に見るとか、
脈搏を数えてみるとか、何か行動に移るべきなのでしょう。
「ならざりし」は変。「短歌にならず」なら句跨りで定型に。
「積もりてゆきぬ」は「積もりゆくなり」と現在形にするほうが
いいでしょう。
今「つぶやく」という言葉が使われていると、やはりツイッターを連想します。口でつぶやいてるわけではなく、ツイッターで活字化されているつぶやきが、形の上でも内容の面でも短歌にならない。ツイッターの画面の構造上、新しいつぶやきが上に表示されるので、「積りてゆきぬ」というのも納得がいきます。
大切なのは、その苦悩かも知れません。自戒です。