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2010年10月22日
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白々とPleurocybella porrigens、好きだと言へばそれでお終ひ
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posted by 短歌人会 at 00:13|
Comment(11)
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この記事へのコメント
第一印象は、お洒落でスタイリッシュな歌だと思いました。
まず何と言っても、一読して意味が分かる人は私を含めまず皆無と思われる、“Pleurocybella porrigens”という晦渋な(奇怪な?)単語が目を惹きます。
おそらく、何かの植物のラテン語学名の類いだろうとは見当が付きますが、英和辞典で調べてみたところ“Pleuro-”が「『肋膜の』を意味する接頭辞」とか出てきたので、もしかすると医学上の病名かも知れないと思いました。
この単語が、一種の目くらまし・韜晦(カムフラージュ)というかケムに巻く感じを醸し出しており、ある種神秘的というか、謎めいていて面白い。
・・・私は、こういうのけっこう好きなんです。
斎藤茂吉に、アルファベット横文字をそのまま使った海外旅行詠などがありますが、知識階層を除く当時の大多数の読者にとって、意味不明の呪文が連ねられているようなものではなかったかと思います。そんなことを連想しました。
あるいは、小栗虫太郎の難解きわまりないミステリアスな探偵小説(「黒死舘殺人事件」など)の文体にハマった方も少なからずおられるでしょう。僕の友人たちはかなりハマっていました。
・・・今思うと、それほど大したことが書いてあったわけじゃないような気もしますけどね〜(笑)
今ならさしずめ、哲学者・評論家でもある笠井潔の「哲学者の密室」などの哲学ミステリーなどに脈々と受け継がれています。
探偵小説家のチェスタトンも一流の保守思想家でしたし、こういった言葉の嗜好と思考の嗜好は親和力があるのかも。
ともあれ、インターネットとは凄いもので、検索してみれば一瞬にして「杉平茸(すぎひらたけ)」という茸の学名であると判明しました。
ラテン語で読めば「プレウロキュベルラ・ポリゲンス」、英語読みをすれば「プルロサイベラ・ポリジェンス」といったところでしょうか。
いずれもほぼ韻律が合っていますね。
下の句「好きだと言へばそれでお終ひ」とは、「言わぬが花」「柳に風」(松任谷由実「14番目の月」)とか、「秘すれば花」(世阿弥「風姿花伝」)的な、「言ってしまえばそれまでよ」みたいなことでしょうか。・・・「それを言っちゃあおしまいよ」(男はつらいよ)ってのもありました。
こういった心理、確かにありますね。分かる分かる。
筆者もだいぶ亀の甲羅に苔が生し、今では言いたいことは何でもだいたい平然と言えるようになりましたが、若い頃はこういう繊細な感覚も持ち合わせていました。
謎めいた上の句と、センシティヴでデリケートな心理を言っている下の句が上手く対応して、なかなか斬新な表現になっていると思います。
なお、個人的には、読点(「 、 」)は要らない気がします。これ、けっこう目障りに感じるんですけど、皆さんいかがでしょうか。
Posted by 坂本野原 at 2010年10月22日 12:38
前評者のおかげでPleurocybella porrigensが「杉平茸」とわかり、ネットで調べるととても美しい白いキノコ。針葉樹の倒木や古株に群生する木材腐朽菌だそうです。そして、6年前に有毒! であることがわかったという、姿と内実がうらはらのキノコ。
それがわかって読むと、上句は単に「美しいキノコ」の意だけでなく、「美しいものには毒がある」とも読め、そうすると下句は「好きだが、好きと言ってしまうとあとは苦しみが待っているだけ」または「好きだと言ってしまえばそこで別れなければならない」とも読めます。なかなか複雑な一首。
こういう普通では読めないようなラテン語、ドイツ語表記の学名をさりげなく出し、含蓄ある内容を苦労して読ませる、という方法は岡井隆さんにときどきあるような気がします。
「それでお終ひ」は動くのではないでしょうか。「それでをはりさ」など。
何首も並んでいる中にぽつんと一首あると際だつおしゃれなうただと思います。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月28日 14:53
下の句はちょっと取り付く島のないような句ですね。
上の句のこんな手法は稀に茂吉もやった手法で、茂吉の場合はドイツ語のカタカナ表記だったりしますね。
この場合は単に茸の名前とのことですから、アルファベットで押し切る必然性というものは感じられない。普通に日本語で書かれるのが順当かと思いました。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年11月05日 23:30
あー、きのこなんですね。
一読、なんだろう?と思って。
「好きだと言へばそれでお終ひ」
措辞そのものは動くかもしれませんが、内容は「その通り、賛成」と思いました。
Posted by 楠田よはんな at 2010年11月07日 21:39
白々とPleurocybella porrigens、好きだと言へばそれでお終ひ
この歌は
すき
という歌であると読みました。
「Pleurocybella porrigens」は、
日本語では、多くの名称がありますが、
作者のこころにあるのは、ひょっとしたら
「すぎひらだけ」
「すぎたけ」
ではないでしょうか。
すぎ・・・だけ
すき だけ
すき
という歌です。
ネットで見ると、白い美しいきのこです。
「白々」を
「しらじら」
と発音すると・・・
アンニュイな恋のイメージになり
「しらしら」
と発音すれば、
静謐な、一途な恋のおもいの
印象が強まるような・・・
ものの名前を
こんなふうに
詠う
その面白さ
このお歌の意味を考えている
何日も
楽しませていただきました。
Posted by 梶崎恭子 at 2010年11月09日 08:31
梶崎さんのなんとも想像力に満ちた解説で驚きましたが、どちらにしても、この歌は比喩なんでしょうか?
梶崎さんの説を見るまでそんな風には思いませんでしたが、比喩なのかもしれない。もしそうなら、相聞歌ですね?
ここは、西王さんのナレーションがいるかもなあ。
Posted by 長谷川知哲 at 2010年11月09日 22:17
「好きだと言へばそれでお終ひ」という下句はやはり気になりました。
突き放したような、ある意味、共感を拒むような下句は、余韻というものを殺してしまい、読んでいるこちらも、「それでお終ひ」になってしまったような気がします。
Posted by 木嶋章夫 at 2010年11月13日 23:43
あまりにもマニアック
解る人だけ分かればいいということでしょうか?
そんなに高見に行ってしまわないで、親切に詠って下さいな。
自虐的、自閉的な傾向を感じます。
Posted by さとう ひろこ at 2010年11月19日 11:13
白々とPleurocybella porrigens、好きだと言へばそれでお終ひ
白いPleurocybella porrigensは、「すぎたけ」という茸だ。
という歌ではないかと思います。
その「すぎたけ」が「すきだけ」
の音に似ているので、
結句の「好きだと言へばそれでお終ひ」
とお洒落に表現したお歌と思います。
Posted by 梶崎恭子 at 2010年11月22日 22:43
この歌そのものを理解する能力は持ち合わせ
ないのですが、梶崎さんの感性ゆたかな読み解きに感動します。
Posted by さとう ひろこ at 2010年11月24日 00:10
さとう ひろこさま
ふだんの歌会では
なかなかお目にかかれない
皆さまの個性溢れるお歌が
読みこむほどに面白くなって
夢中で読ませていただいていました。
もったいないようなコメントを、
どうも有難うございました。
Posted by 梶崎恭子 at 2010年11月25日 21:24
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この単語が、一種の目くらまし・韜晦(カムフラージュ)というかケムに巻く感じを醸し出しており、ある種神秘的というか、謎めいていて面白い。
・・・私は、こういうのけっこう好きなんです。
斎藤茂吉に、アルファベット横文字をそのまま使った海外旅行詠などがありますが、知識階層を除く当時の大多数の読者にとって、意味不明の呪文が連ねられているようなものではなかったかと思います。そんなことを連想しました。
あるいは、小栗虫太郎の難解きわまりないミステリアスな探偵小説(「黒死舘殺人事件」など)の文体にハマった方も少なからずおられるでしょう。僕の友人たちはかなりハマっていました。
・・・今思うと、それほど大したことが書いてあったわけじゃないような気もしますけどね〜(笑)
今ならさしずめ、哲学者・評論家でもある笠井潔の「哲学者の密室」などの哲学ミステリーなどに脈々と受け継がれています。
探偵小説家のチェスタトンも一流の保守思想家でしたし、こういった言葉の嗜好と思考の嗜好は親和力があるのかも。
ともあれ、インターネットとは凄いもので、検索してみれば一瞬にして「杉平茸(すぎひらたけ)」という茸の学名であると判明しました。
ラテン語で読めば「プレウロキュベルラ・ポリゲンス」、英語読みをすれば「プルロサイベラ・ポリジェンス」といったところでしょうか。
いずれもほぼ韻律が合っていますね。
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こういった心理、確かにありますね。分かる分かる。
筆者もだいぶ亀の甲羅に苔が生し、今では言いたいことは何でもだいたい平然と言えるようになりましたが、若い頃はこういう繊細な感覚も持ち合わせていました。
謎めいた上の句と、センシティヴでデリケートな心理を言っている下の句が上手く対応して、なかなか斬新な表現になっていると思います。
なお、個人的には、読点(「 、 」)は要らない気がします。これ、けっこう目障りに感じるんですけど、皆さんいかがでしょうか。
それがわかって読むと、上句は単に「美しいキノコ」の意だけでなく、「美しいものには毒がある」とも読め、そうすると下句は「好きだが、好きと言ってしまうとあとは苦しみが待っているだけ」または「好きだと言ってしまえばそこで別れなければならない」とも読めます。なかなか複雑な一首。
こういう普通では読めないようなラテン語、ドイツ語表記の学名をさりげなく出し、含蓄ある内容を苦労して読ませる、という方法は岡井隆さんにときどきあるような気がします。
「それでお終ひ」は動くのではないでしょうか。「それでをはりさ」など。
何首も並んでいる中にぽつんと一首あると際だつおしゃれなうただと思います。
上の句のこんな手法は稀に茂吉もやった手法で、茂吉の場合はドイツ語のカタカナ表記だったりしますね。
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すき
という歌であると読みました。
「Pleurocybella porrigens」は、
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「すぎひらだけ」
「すぎたけ」
ではないでしょうか。
すぎ・・・だけ
すき だけ
すき
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と発音すると・・・
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と発音すれば、
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ものの名前を
こんなふうに
詠う
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という歌ではないかと思います。
その「すぎたけ」が「すきだけ」
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