この記事へのコメント
見事で的確で面白い想像力。

日常的な動作にまつわるファンタシーの核心を言い当てている、言い得ている、正鵠を射ていると思います。

私個人の好みとしては、「夜」より「闇」の方がいいかな〜・・・なんて思いました。
Posted by 坂本野原 at 2010年10月22日 17:02
電灯を消そうとして紐を探る時、部屋は明るいとすると意味がぼやけてきます。この際、電灯はマメ球の薄明かりと解釈をいたしました。
薄暗い部屋の天井に向けて伸ばした手がつかんだのは、天井に染み付いたような夜。とても詩情を感じる部分ですが、僕も前評者の「夜」→「闇」に賛同いたします。
とても詩的な世界を持った歌だと思いました。

Posted by 村上 喬 at 2010年10月23日 02:23
 村上さんの指摘にあるとおり「電灯を消すとて」では、すでに明るいので、(意味は全く逆になりますが)「消そうと」に変えたらどうでしょうか。
 夜は、普通は時間のことをいうのですが、物理的には「(地球上では)単純に地球の影(という空間)」です。「夜」とすることで、時間としての夜と空間としての夜の両方を表現しているようで、僕には捨てがたいです。「闇」では、意味はすんなり通りますが、やや平凡になるようにおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2010年10月23日 06:48
下句が面白いと思いました。天井の奥に夜が隠れていて、電灯の紐を引っ張ると現れるという発想が愉快です。闇は「あたりまえ」かと思います。
「消すとて」は短歌的な感じの表現ですが、やはり「消そうと」「消さむと」の方が的確だと感じました。
Posted by 近藤かすみ at 2010年10月23日 11:01
あ、なるほど。
言われてみれば、おっしゃる通りかも知れませんね。

「天井の奥の夜」ですと、明らかにシュールリアリズム(超現実主義)的な表現になり、ちょっとぶっ飛びすぎるかな〜とか思いました。

確かに詩情は詩情だと思いますが、やや照れ臭くなるような種類の詩情だとも思いました。

当たり前といえば当たり前ですが、「闇」ぐらいの比較的論理的整合性がある穏当な表現に留めた方が、抑制が効いてシブイかな〜、などと思いまして一言しました次第です。

・・・が、よく読み返してみますと、この「夜」は、この歌の表現のツボ、キモ、要衝ですらあるかも知れないと、かなり考えがよろめきはじめております。

・・・どうもこれは形勢われに利あらず、旗色悪く、敗色濃厚であることを率直に認めます〜^^;
Posted by 坂本野原 at 2010年10月24日 10:15
「紐をさぐる手」は、作中主体の手なのでしょうか? それとも、誰か同じ部屋にいる人の手なのでしょうか? 歌自体からは、どちらとも取れるように思うのですが。
下句、とくに「夜を引つぱる」という表現は、良いと思います。
Posted by 大室ゆらぎ at 2010年10月24日 13:24
天井の奥に夜を置くか闇を置くか、電灯の紐を探る手が引きよせるものがどちらかによって、この歌の印象はかなり違ってきます。
闇は部屋との対比としては妥当だか、詩的な表現としては夜でよいとの解釈も理解しますが、電灯ー天井ー夜という言葉のアンバランスな言葉の配置、しかも屋外にも広がる夜と隔てる様に「天井の奥の夜」と表現している部分に若干の違和感を持ってもおります。
とはいえ「天井の奥の夜」とは、作者の心中にあるなにものかの喩であろうとも思われ、その場合「夜」と表現せざるを得ないという場合もあるとも考えております。


形勢の逆転はいかんともし難い。

Posted by 村上 喬 at 2010年10月25日 01:16
紐をさぐる手が誰の手か、というのはわたしも考えました。「紐をさぐる」に観察している冷静で客観的な響きがあるので。
どちらか、と考えたとき、ここは「もうひとりの人物」と読むほうがうたいぶりに合うか、と思います。作者が紐をさぐっている手をじっと見つめているうちに、ようやく手が届き、天井の奥の夜が引き落とされる。映像的なシーンが浮びます。

「消すとて」はやはり「消さむと」ではないでしょうか。

「闇」より「夜」の方が具体性があって手触り感や匂いもあるので、「夜」でいいと思います。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2010年10月26日 16:40
とても魅力的な歌です。僕も「消さむと」としたほうがいいと思います。
「夜」にするか「闇」にするかも迷うところですが、
「天井の奥の」という部分も「天井裏の」としたほうがいいか迷います。

Posted by 伊波虎英 at 2010年10月30日 17:46
電灯を消すとて紐をさぐる手が天井の奥の夜を引つぱる

一読してから
ずっと気になっていたお歌です。

作者は、いったい何に心をとめて
詠んだのだろうかと・・・

「天井の奥の夜」
「夜を引つぱる」
どちらも不思議な表現です。

「消すとて」は「消そうとして」なのに
引っ張るのは
なんだか、わかるようでわからない・・・

現段階でたどりついた答えは

ひょっとしたら作者はあの
「電気消す時ひっぱる感触」を
面白いと感じたのではないか
ということです。

すると
上句で丁寧に、電気を消すときに「紐をさぐる手」と
表現しているのも分かる気がします。
そして
あの、ぽっつん、だか、なんだかそういった感覚で、
紐がゆっくり引っぱられて
スイッチが切れる瞬間。

その感覚を
逆三角形の二辺が
微妙に直線ではない曲線を描いているような感じの
「夜を引っぱる」と表現したのでは・・・?

あ、いま、ちょっと
夜を引っぱった気がした・・・


やはり「夜」は「夜」でなければいけませんね。
Posted by 梶崎恭子 at 2010年10月30日 22:00
梶崎さんの読みに賛成します。

夜、電灯を消すときの手の感覚を巧みに表現しています。
紐を引っ張った直後に、室内を闇が支配する。その一瞬の動作と感覚を天井の奥から
夜を引っ張ってくると表現していると思いました。
Posted by 太田賢士朗 at 2010年11月14日 23:11
たくさんのコメントをいただき感謝しています。個別にお礼を申し上げたいところですが・・

>坂本野原 さま
「やや照れ臭くなるような種類の詩情」

ご指摘ありがとうございます。これが正直通用するのか冒険してみたところがあります。

>梶崎恭子 さま
「逆三角形の二辺が微妙に直線ではない曲線を描いているような感じの「夜を引っぱる」と表現したのでは・・・?」

ズバリです。ただわたしとしては円錐形の逆の底辺というか、風船の球体のしっぽとか、そういうのをいつも想像してしまうというか・・あやしすぎますね。

みなさまご指摘の「消すとて」は「消そうと」の方がいいですね。
当歌会の読みの鋭さに感動するとともに、詠みっぱなしの自分の姿勢を深く反省しました。ありがとうございました。


Posted by 西橋美保 at 2010年11月20日 09:39