この記事へのコメント
柴咲コウを直喩につかった大胆さを買います。彼女の顔つきを思い浮かべると、この月影は、はかないものではなく、強さを感じさせるものだということでしょう。
Posted by 藤原龍一郎 at 2010年10月24日 12:05
「ごとき」までが「月影」を引き出す序詞である。柴咲コウを見ると、たしかに目力というか、視線の強さにいちばん惹かれる。いかにも現代の若い女性、という雰囲気があって、たぶん、きっと、後悔なんかしないで生きているのだろうなあ、(うらやましいなあ)と作者は思ったのでしょう。
今晩は月がそんな強い刺すような光を地上に放射していて、作者はそれを浴びて恍惚としている。「柴咲コウ」が活きているとおもいます。

「せざる」は不格好。「しない」でいいのではないでしょうか。

そして、「月影」という雅な古語をつかうとどこかやさしい月の光を思ってしまうので、ここは端的に「月光」でいいのではないでしょうか。

Posted by 花鳥(かとり)もも at 2010年10月25日 00:54
ガラスの仮面 という漫画の 月影先生がすぐに思い出されました。

柴咲コウさんってそういうイメージを喚起させるくらいの眼光の鋭さといいますか、今は目力というのでしょうか、眼差しが強烈に印象に残る女性だと思います。

歌の意味とは全然違うのかもしれませんが。
Posted by たしろゆう at 2010年10月25日 12:56
「柴咲コウ」が確かによくて、共感できます。
Posted by 楠田よはんな at 2010年10月27日 22:52
後悔は決してせざるまなざしの柴咲コウのごとき月影


「後悔は決してせざるまなざしの」という

一息の調べが力強く、

そのようなまなざしをもつ人の、
その月影の冴え冴えと輝く夜空の美しさの、
精神性の美しさまで感じさせて、

好きなお歌です。

宮崎駿のアニメ作品
「もののけ姫」のサンを
連想しました・・・
Posted by 梶崎恭子 at 2010年10月30日 21:05
「柴咲コウ」を持ってきたことで目立ってインパクトはあるのですが、本当の意味で活きているのかどうかには疑問がありました。
歌としては「柴咲コウ」という言葉よりも「後悔の決してせざる…」という言葉にあまりにも頼りすぎているような気がします。
そういった意味で「柴咲コウ」が充分に活きているとは思えませんでした。
Posted by 木嶋章夫 at 2010年11月13日 23:58
コメントありがとうございました。
この歌は、仲秋の名月を詠んだ歌です。
今年は雲が多くてよく見えませんでしたが、
ときおり顔をのぞかせる月の光に美しい力強さを感じました。
Posted by 伊波虎英 at 2010年11月19日 11:26