この記事へのコメント
 「後ろめたさを見抜かれている」という擬人法を使ったことが、逆に一首を低俗な昼メロドラマのレベルにしてしまったのではないでしょうか。やはり短歌は、擬人法ではなく、物は物として表現する方が基本だとおもいます。
 この歌の場合、「今」の作中主体の状況と「落ちている画鋲」そのものを即物的に歌った方がいいのではないでしょうか。
Posted by 山寺修象 at 2011年03月06日 09:27
寝室・後ろめたさ、というと恋愛の悪い面(浮気とかもう愛情がなくなってるとか)を想像します。
それにしては「後ろめたさ」を再確認させる小道具「画鋲」が不釣合いな気がします。
実際、カレンダーとか留めますけど、個人宅で落ちてそのままになっているものかなぁと。ホテルならもっとなさそうだし。
散らかっているというには小さいし、退廃的な雰囲気というのにも遠いですし。
あと、「すみに落ちてる」「見抜かれている」とアッサリとした書きぶりから、鬱々と思い悩んではいない雰囲気がして、面白く感じました。
「見抜かれている」の部分には(なんで画鋲の気持ちがわかるの、とか)そんなに気になりませんでした。
Posted by 砺波湊 at 2011年03月07日 10:04
「画鋲」と「後ろめたさ」の間には常識的には何の類似点もありません。しかしこの二つの語が「見抜かれている」という動詞で結び付けられるときに一つの驚きが生まれます。これは即物的で客観的な創造と考えられます。
わたしは詠草も提出しておらず、意見を述べてよい立場では本来ないのですが、このことだけは作者の方にお伝えしたいと思い書かせていただきました。
Posted by 辻和之 at 2011年03月10日 22:10
留めたはずがいつのまにか落ちている画鋲、その形態から怖いものとして扱われる素材です。
自分の心理を仮託するには解りやすい素材ですが、即物具象的に詠うのであれば、
「後ろめたさを見抜かれている」は、やや平凡で、ストレートすぎる感がしました。
「寝室」ときて「後ろめたさ」だとどうしても男女間のことと限定して読めてしまい、読み手の想像を阻み、広がりに欠ける気がします。
作者は多くを語らず、この画鋲という物質自体に語らせてみたら面白いかと、そんなふうに感じ、魅力あふれる歌だと立ち止まりました。
Posted by 三島麻亜子 at 2011年03月19日 20:40
画鋲で留めてあったものをはずし、隠したのではないでしょうか?
寝室というごくプライベートな空間に他者が入ってくるので、あわてて・・・。
画鋲という裏表がある『モノ』がすごく語っている。
31文字で昼メロを1シーズン見たような気分になれるなら、それはそれで、すばらしいと思います。

Posted by 三田村まどか at 2011年03月27日 22:18
作者は、画鋲に目玉のイメージを重ねているのだと解釈しました。
寝室のすみにあって、作者の感情を透視している目玉(画鋲)。
画鋲はベッドの影に隠れて見えないが、作者はそこに画鋲があることを知っている
のでしょう。
「後ろめたさ」は、寝室だけに、やはり性的なことを想像してしまいます。
Posted by 太田賢士朗 at 2011年04月01日 20:29

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