この記事へのコメント
芝生の上をまだ歩き始めたばかりの一歳児が梅の花の咲いている方へはだしでよちよちと走って行くという情景を捉えた歌として、気持良く読めた歌です。
たまたま梅の香りのする方へ(梅の花のある方へ)幼子が走って行ったので作者は、幼子が梅の香りに誘われて行ったのだとみたのでしょう。幼子が一歳児であることを知っているわけですから作者は親かそれに近い人かと思われ、そうすると幼子が梅の香りに誘われて行ったという見方も案外真実かも知れないというような気もしてきています。
Posted by 永井秀幸 at 2011年03月08日 17:03
「梅の香に誘われながら」というのは、大人の発想で、「一歳児」が実際に「梅の香に誘われながら」走っているのかどうかは、本人に聞いてみないと(多分、聞いても)分からないのではないかと思います。この内容を詠みたいのであれば、やはり「梅の香に誘われ」て走っているのだろうか?というような、推測の語を入れるべきなのではないでしょうか。また、芝生の上をはだしで走る一歳児という生命感ある存在を、「梅の香に誘われ」るという古風な言い回しの中に納めてしまうのはもったいないような気もします。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年03月14日 22:28
色が見えてくる歌です。梅の色、一歳児の肌の色、芝生の色。それらが独立しながら混ぜ合わさって色彩を見せてくれます。
Posted by 伊庭日出樹 at 2011年03月16日 15:28
全体に春らしく、感じの良い歌だと思います。
大室さんが書いておられるように、梅の香に誘われたのは大人で、それに連れられた一歳児というのが、正確なところかと思いました。また「誘われながら」の「ながら」が気になります。誘われて歩きながら、が本当ではないでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2011年03月21日 11:12
「ながら」ですが僕は作者(あるいは他の家族ー家族と見る理由は最初に書きましたーも居たかも知れない)と一歳児が芝生の上で休んでいて、そこから一歳児だけがはだしで走りだした光景と取ったので「梅の香に誘われながら走る」の「ながら」には違和感は持ちませんでした。
しかし、そう取ると皆さんが言われている、一歳児が本当に梅の香に誘われて走りだすだろうか、という疑問はますます強くなってしまうようで、はて?と今は思っています。
Posted by 永井秀幸 at 2011年03月21日 16:50
梅の時期は一般に気温が低く、一歳児を裸足にできる晴れた陽射しも貴重です。香りは記憶と結びつきやすく、「裸足で走る一歳児」と「梅の香り」が作者の中に強く印象着けられたのではないでしょうか。とても幸福な時間として。

「ながら」で一直線には走れない一歳児のぎこちない動きがかもしだされている気がします。
Posted by 三田村まどか at 2011年03月27日 23:10

この記事へのトラックバック