この記事へのコメント
「ニコライ」は東京・御茶ノ水のニコライ堂のことでしょう。
展望台があるかは存じ上げませんが、
そこから見えた景色を詠んだ、歌意の明快な一首です。

ですが、なぜ作者がこの景色を詠んだかの意図がはっきりしません。
足枷をつけさせられた白鳥への同情なのか、作中主体の境涯と重ね合わせているのか。

結局それは「白鳥」や「いくつかの足枷」が作者の意図を
負いきれていないからです。ここをきっちり書きこまないと、
なかなか読者には伝わらない気がします。

例えば「千鳥が淵」などの具体的地名を入れれば、
そこに意味が生じますから、より意図が立ちやすいと思います。

Posted by 生沼義朗 at 2011年03月18日 18:53
調査のために鳥の足に付ける「足環」のことを、作者は「足枷」と言い切っています。
この作者の断定に少し違和感を持ちました。
断定できるだけの作者の心象が、上句の部分からもあまり伝わってこない
からだと思います。下句の字余りや結句の体言止めも気になりました。
「足枷」と言ってしまわず、足環を付けられた白鳥が飛んでいる、
という事実のみを詠ったほうが「ニコライの展望台」という大きく広がる情景が
より生きてくるのではないでしょうか。
Posted by 三島麻亜子 at 2011年03月19日 21:09
「ニコライの展望台」:一読して、白鳥の飛来地のようなところに、そういう名の展望台があるのかなと思い、調べてみたものの分かりませんでした。ニコライ堂ならニコライ堂と言うべきかと思いますし(斎藤茂吉『赤光』に「ニコライの側の坂」というのはありましたが)、どういう場所なのか(白鳥との位置関係も含めて)がはっきりしないと、情景が思い浮かべられず、残念なような気がします。
「足枷」:前評者の方々の意見に同感です。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年03月25日 10:23
「足枷」に「いくつかの」が着いていることで、白鳥という幸福そうに見えるものにも実は「足枷=悩み」があるということなのかな?と読みました。
Posted by 三田村まどか at 2011年03月27日 23:22
作者です。
みなさまコメントありがとうございます。大変勉強になります。

少々長くなりますが、解説させて頂きます。
ニコライと足枷の意図についてですが、この歌に詩書を付けるべきか悩んで、結局付けませんでした。

「東京お茶の水、神田川にかかる聖橋には、夜間ライトアップのための電灯が橋脚に設置された」

これが付いていたら、どうでしょうか…?

聖橋は、とても美しい橋で地元では「白鳥の足」と言われているそうです(一般的にではないので迷いましたが、聖=白鳥に出来るかなと思い)。
ライトアップは3・4年前からだと思います。夜間は美しいのですが、昼間は電灯がゴテゴテとして「足枷」にしか見えないのです。

ニコライは、東京のニコライ堂のことです。聖橋のすぐそばにあります。
展望台は現存しますが、閉鎖されて登ることはできません。昔は東京が一望出来たそうですが、現在は周辺のビルの外壁しか見えません。

ニコライ堂の展望台から見えた(であろう)聖橋の橋脚に、無機質な電灯が付いている、という意味です。
Posted by 潮錦 霞 at 2011年03月28日 22:57

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