この記事へのコメント
スペイン語辞書を買ったのは誰なのか?
「ありしか」と「買ったのか」と疑問形が二つあるので、これは作者ではなく別の人だと思いました。
例えばそれは亡きお父様で、遺品を整理していて本棚の隅にスペイン語辞書を見つけ、父のひそかな夢を始めて知るというシーンを想像しました。
もしそうなら辞書を買った主体が解るようにしたほうが作者の気持ちがより伝わるのではないでしょうか。
また「ありしか」が文語なのに「買ったのか」が口語なのは気になりました。
Posted by 海野 雪 at 2011年03月08日 21:01
夢ここにありしか書架の片隅にいつ買ったのかスペイン語辞書

「ここにありしか」「いつ買ったのか」と疑問が二回出てきて、それぞれが文語と口語になっています。「いつ買ったのか」が強く感じられて、これは作者のことだと思いました。作者がずっと以前に買ったスペイン語辞典を見つけて、スペイン語を学ぼうという夢を持った時期もあったなと回顧しているのだと思います。「ありしか」とせずに、確かにあったという表現にすれば、すんなり読めると思いますが、作者の真意はわかりません。
Posted by 近藤かすみ at 2011年03月18日 22:29
文語、口語の混交はこれから課題になっていくだろうと思っていますが、この場合はあまり上手くいっていないと感じます。
ぼくの感じとしては混交に必然性を感じさせるなにかが無ければいけないと思っています。
歌の意図は面白いと思います。
Posted by 長谷川知哲 at 2011年03月20日 17:53
 文語、口語の混交については知哲さんの意見に同感。
 僕も、初読時には、主語は作中主体だとおもいました。しかし、スペイン語を勉強しようと決めて、スペイン語の辞書を買う、というような、一生に一回だけやったことなどは、普通は覚えているのではないでしょうか。スペイン語を勉強しようとする理由もきっとあったはずだし、日本語・英語以外の辞書は、意外に高いですし。
 という理由と海野説で、「父親」説も考えられます。海野さんの意見にも同感です。
 この歌では、主語が確定できない(あるいは、できないように受けとれる)のが一番の問題だとおもいます。主語が確定できない場合と歌意が複数にとれる場合は、基本的には、批評以前の問題だと僕はおもっています。
 
Posted by 山寺修象 at 2011年03月20日 18:42
かつて勉強しようとして、自分で買った辞書だと思いました。私もそんなことがしょっちゅうあるので。
Posted by 三田村まどか at 2011年03月27日 23:28

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