この記事へのコメント
「まっ赤き」は「まっかき」と読むのだと思われますが、「まっ赤き」を連体形とする形容詞「まっ赤し」という語があるかというと、ないでしょう。「つつまれし」の「し」で古語が使われているので、「まっ赤な」という現代語を避けたのかも知れませんが、「まっ赤き」というのは、マズイのではないかと思います。ここは、古語現代語を混用しても、「まっ赤な」とするか、または別の表現を考えた方が良いのではないでしょうか。「南国のまっ赤な花」という語の組み合わせも、よく使われる既成の表現かと思います。
「花につつまれし礼拝堂に迷ひこむ鳥」というのは、とても美しいイメージです。ここを生かして、その赤い花の名や地名を詠みこむとか(もし、実景を詠んでいるのだとしたら、ですが)、いろいろと工夫が出来るのではないでしょうか。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年03月10日 16:08
「まっ赤き」については僕も大室さんと同じ意見です。
「花につつまれし礼拝堂に迷ひこむ鳥」が美しいイメージだとも思いますが、そのことで作者は何を言いたかったのかもうひとつ僕には掴めません。もしかすると「迷ひこむ鳥」は作者自身の暗喩だろうかなどとも考えてみたのですが。
Posted by 永井秀幸 at 2011年03月23日 16:48
「まっ赤き」ですが、その“赤”を見た瞬間に作者の心に下りてきた、理屈ではない形容のように思います。この一語により、旅行詠連作中の1首のような大掴みな世界に、色濃く鮮やかな個性が加わったように思います。
Posted by 岡田悠束 at 2011年03月23日 23:45
「真っ赤な」でいいのではないでしょうか。それに合わせて「花につつまれた礼拝堂」。「し」は基本的に過去を表わすので、こういう場合は「た」にするほうが安心して読めます。
ところで、このうたは何にフォーカスが合っているのでしょうか?
「南国の」→「真っ赤き花に」→「つつまれし礼拝堂に」→「迷ひこむ鳥」と、すべてが「鳥」にかかっていますが、単語の出るたびに読者は視点を動かすことになり、読み終わって、結局何だったんだろう? と溜息をつくことになります。二つのうたにする。または、「真っ赤な花にかこまれた礼拝堂」と「礼拝堂に迷いこむ鳥」の二本立てにするのでしたら、どこかで切る必要があるでしょう。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年03月26日 18:27
文語調ですから、「真赤(まあか)き」(表記は「まあかき」でも可)にすればいいと思います。

全体が(今でいう)ズームアップの視点になっており、佐佐木信綱の名歌「行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」と同じ構造になっています。

ゴーギャンの絵画を思わせる世界と読みました。
Posted by 坂本野原 at 2011年03月27日 10:01
「まっ赤き」については、皆さんが書かれている通り、「赤き」か「まっかな」だと思います。

また、花鳥佰さんの書かれたように、作者の視点は何処にあるのか、とわたしも迷いました。
「鳥」で体言止めになっているので、鳥がクローズアップされる訳ですけれど、赤い花の存在が鳥の存在を消していしまっている。
色彩の印象が強烈な歌ですので、視点をどちらかにしぼるか、体言止めをやめるか、視点を花に移すかしては、と思います。
Posted by 弘井文子 at 2011年03月27日 10:09
貴重な評をいただきまして、まことにありがとうございます。
とても勉強になります。

「まっ赤き花」に関しましては、

岡本かの子の
 「狂人のわれが見にける十年まへの真赤きさくら真黒きさくら」
を底にもっているつもりでした。

ご指摘いただいた点をよく考えて、さらに推敲したいと思います。
ありがとうございました。

Posted by 楠田よはんな at 2011年03月30日 08:34
岡本かの子の歌の「真赤きさくら」は坂本さんが書かれているように「まあかきさくら」と読んでもらうつもりで岡本かの子は詠んでいるような気がします。
Posted by 永井秀幸 at 2011年03月30日 16:29

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