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短歌人会の公式なネット歌会会場です。
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2011年03月02日
posted by 短歌人会 at 16:38|
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第4回歌会
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「花につつまれし礼拝堂に迷ひこむ鳥」というのは、とても美しいイメージです。ここを生かして、その赤い花の名や地名を詠みこむとか(もし、実景を詠んでいるのだとしたら、ですが)、いろいろと工夫が出来るのではないでしょうか。
「花につつまれし礼拝堂に迷ひこむ鳥」が美しいイメージだとも思いますが、そのことで作者は何を言いたかったのかもうひとつ僕には掴めません。もしかすると「迷ひこむ鳥」は作者自身の暗喩だろうかなどとも考えてみたのですが。
ところで、このうたは何にフォーカスが合っているのでしょうか?
「南国の」→「真っ赤き花に」→「つつまれし礼拝堂に」→「迷ひこむ鳥」と、すべてが「鳥」にかかっていますが、単語の出るたびに読者は視点を動かすことになり、読み終わって、結局何だったんだろう? と溜息をつくことになります。二つのうたにする。または、「真っ赤な花にかこまれた礼拝堂」と「礼拝堂に迷いこむ鳥」の二本立てにするのでしたら、どこかで切る必要があるでしょう。
全体が(今でいう)ズームアップの視点になっており、佐佐木信綱の名歌「行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」と同じ構造になっています。
ゴーギャンの絵画を思わせる世界と読みました。
また、花鳥佰さんの書かれたように、作者の視点は何処にあるのか、とわたしも迷いました。
「鳥」で体言止めになっているので、鳥がクローズアップされる訳ですけれど、赤い花の存在が鳥の存在を消していしまっている。
色彩の印象が強烈な歌ですので、視点をどちらかにしぼるか、体言止めをやめるか、視点を花に移すかしては、と思います。
とても勉強になります。
「まっ赤き花」に関しましては、
岡本かの子の
「狂人のわれが見にける十年まへの真赤きさくら真黒きさくら」
を底にもっているつもりでした。
ご指摘いただいた点をよく考えて、さらに推敲したいと思います。
ありがとうございました。