この記事へのコメント
5・7(3・4)・5・7(3・4)・7(4・3)というリズムが心地よく何かの口上のようにすらすらと読めてしまいます。
しかしそれは歌として滞空時間が短くてすっと流れてしまうということにもなります。

こういう歌でボールペン ころびバテレン、テフロン加工 の関係性はと考えるのは野暮でしょうか?
作者のフィーリングだけでしょうか?
敢えて考えてみると
「ボールペン」は中身のボールが回転する→転向した「ころびバテレン」
「ころびバテレン」は信仰に執着しなかった→フライパンに引っ付かない「テフロン加工」
Posted by 海野 雪 at 2011年03月07日 15:32
試し書く春はゼブラのボールペン ころびバテレン、テフロン加工

言葉遊びの歌と読みました。「ン」のつながりで、リズムよくころころと言葉が転がるようです。春を持ってきたのも面白いと思います。ただ、初句の「試し書く」はあまりなじまない言葉のような気がします。「試し書きをする」とは言いますが、「試し書く」とは言わないんじゃないでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2011年03月09日 16:55
「ゼブラのボールペン」から「転びバテレン」が連想され、「テフロン加工」というとぼけた結句で着地しています。

言葉遊びの歌であり、ある種の天衣無縫な、取りとめのない精神の自由自在なイメージの連想作用の断片が、みそひともじに定着されています。

ナンセンスさの中に、何やら意味深な現代文明批評性を漂わせているのは、一種の現代詩のような手法かなと思います。

調べ(言葉の音楽性)が、それなりに流麗で楽しいのも見逃せません。

全体に、春にふさわしい軽やかな雰囲気を醸し出しつつ、周到に組み立てられた完成度の高い佳品と読みました。
Posted by 坂本野原 at 2011年03月20日 10:17
欲張りな歌だと思いました。
初句はかすみさんと同意見です。
遊びになっていないと感じます。
遊ぶのは簡単ではない、そう思います。
Posted by 長谷川知哲 at 2011年03月20日 22:03
 「試し書く」は微妙な表現ですが、僕はここでは、支持したいところです。大昔から歌人が日本語の表現(や文法)を作ってきた例もあります。また、短歌のなかでだけギリギリでセーフの表現も、茂吉の歌などには、かなりあります。
 この歌で一番マイナスなのは、韻をふんでいて、リズムがよく、軽い感じのことばあそびの歌の中に「ころびバテレン」という重い言葉をもってきたところです。
 初読時、僕は、ここで転んでしまいました。作者が、そのことを意識して作ったのなら、単なる悪趣味のようにおもわれます。
 2句目の最初に「春は」をもってきたところ、かなりの技術をもった作者だとおもわれるので、余計に残念です。
Posted by 山寺修象 at 2011年03月21日 09:10

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