この記事へのコメント
 何かこころひかれる部分のある歌です。
 「さいはての」は無くて、感じさせられたらもっといいのでは。
 「確認している」も他の表現に換える余地がありそうな気もします。
 この歌で一番問題なのは、2箇所助詞が省かれていて、あるいは倒置法のため、または擬人法の安易な使用のため、意味が何通りにも取れてしまうことです。短歌は基本的には、一つの意味内容に取れるのがいいとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2011年03月06日 09:11
 「さいはての白き小さな漁港」から北国の雪に閉ざされた漁港が浮かんできます。
 一読をして「端」とカモメの間に読点もしくは一字開けがあった方が読みやすいと思いました。またカモメが主体となっていますが何を確認しているのか、手がかりが欲しく思いました。
Posted by 村上 喬 at 2011年03月08日 19:32
この詩情ある港が、恐ろしい災害にあっていないことを祈ります。平和で静かな日常が瞬く間に破壊されてしまう恐怖がどんなものか、そのあとの困難と苦しみ、絶望感はいかばかりか、想像の及ぶことではありません。この1首の歌の不思議な寂しい雰囲気によって改めて、何事もない日常の風景と災害後の光景を対比して、自然の力に圧倒されます。無力ですが、私たちは目の前の一瞬一瞬を言葉で捉える戦いをするしかありません。
Posted by さとう ひろこ at 2011年03月21日 21:35
漁港の風景というのは大小を問わず独特で、それ自体ですでに画になっている気がします。この歌の場合も、鴎を配して原風景のような感じを出していると思います。

ただ、三句辺りが少しきゅうくつな気がするので、「さいはての」「白き」「小さな」の三つがすべて漁港にかかっているのを、ふたつくらいにしぼれば、いま少しゆったりしてくるのではないでしょうか。
結句「確認している」、これは作者が鷗に感じたことでしょうけれど、これを鷗の描写にする方が、その存在感が増す気がするのですけれど、この言葉が一首を引き締めているのかなぁ、と思う部分もあって、なやましい。
Posted by 弘井文子 at 2011年03月27日 09:37
「鴎が一羽確認している」
これがこの歌の核であり、
何を、確認している のかを故意に言っていないのは明らかで、
それを作為的と感じるか、工夫と感じるかによって、
好き嫌いの分かれるところでもあると思います。

私の個人的な感想から言えば、この「確認している」
は作為的で残念な気がします。
何かを確認している、それをわざわざ言わなくちゃならんのか、
いや、言わない方が歌的にドラマチックだろう、
というような作歌経過を見せつけられているような気分になって、
しかもそのあとは自分で情景を感じてみてよね、
と放り投げられているような気がして、
じゃあ作者はどう思ったんよ?
それも言わないでこっちに投げるん?
と無責任に渡された印象を受けてしまいました…。

鴎が一羽確認している、という風景を見つけたというのは面白いと思うのです。
「確認している」ようなしぐさ自体が目的のように見え、
「何を」は必要ないということはその風景から自明であったのでしょう。
それなら、その部分について歌として広げられると思います。
Posted by 勺 禰子(しゃく・ねこ) at 2011年03月27日 22:30

この記事へのトラックバック