この記事へのコメント
公園か広場、あるいは駅前などの風景と読みました。
もちろんトランペットを吹く人がひょろりと立っているのですが、
そこを省略することで、まるでトランペットが自分の意思で
立っているような味わいが出ています。

よくある手法ですし、「ひょろりと」は表現として
ちょっとそのままという感じもしますが、
「アイーダを吹くためだけに」の「アイーダ」という選曲
(ただちょっと長いかも)や、「ためだけ」という表現と相まって、
独特の空気を醸しており、注目しました。


下句の「ひょろりと立ちおり」は音数がオーバーして座りが悪くなるので、
「ひょろり立ちおり」でいいと思います。
Posted by 生沼義朗 at 2011年03月07日 11:51
夜の池袋の西口公園で、よく見る光景です。

薄暗い広場で、ひょろっとした男の人がひょろっとしたトランペットを吹いている。
私は誰かと待ち合わせをしながらそれをみています。
この曲なんていうんだろう、とか思いながら。

そんな情景が浮かびました(個人的な想像ですみません)。
とても好きな歌です。

Posted by 潮錦 霞 at 2011年03月18日 21:24
生沼義明さんが書かれているように、トランペットだけが出現した情景に見えて、手品のような感じで、面白い一首になっていると思います。
ただ、二句の「ためだけ」はややもたついている気がします。
結句の「ひょろり」は不要かと、軽くなる気がするのです。それと、このシチュエーションは大好きなのですけれど、「たちおり」ではトランペットの音が聞こえてこない気がして、読者としては少し残念な気がします。
Posted by 弘井文子 at 2011年03月25日 21:57

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