この記事へのコメント
 
8カ月この世の空気吸いて去りし姉なるひとの墓の名撫づる

生後8カ月で亡くなったお姉さんが詠われていて、作者の思いはもちろん
情景的にもよくわかる歌なのですが、全体的にくどくどしている印象が残りました。
字余りになってしまっている3句「吸いて去りし」の部分、後に「墓」とあるので 
「去りし」まで言う必要はなく、8カ月だけこの世の空気を吸ったとだけ言えばいいのでは。
下句も、お墓に刻まれた故人の名前を撫でるという行為はありがちですし、
ここはお墓の様子を具体的に描写しておいて、その墓を撫でる、
としたほうが個性的な歌になったかと思います。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年03月09日 00:27
ひじょうに微妙なところを捉えた歌と思いながら読みました。家族ではあっても実際には知らない姉を「姉なるひと」とすることでその距離感があらわされ、また「墓の名撫づる」には、石の抉られた部分に触れることによって、姉の存在が触覚から立ち上がってくる、そのニュアンスを汲み取りました。伊波さんの発言にあるように「去りし」はなかなか難しい具合かと思います。「墓の名撫づる」は、視覚的にはぼんやりとした存在の姉が、触覚としてあざやかによみがえってくる、という歌のありようを考えると、仮に出来上がりすぎた描写であっても、墓の「名」という、よりビビットな感触であることに意味があるんじゃないかと感じています。
Posted by 内山晶太 at 2011年03月15日 02:06
物理的に見ることのかなわぬ人と出会う体験として個人的には、距離が見ることの可能性なら、見ないことの不可能性の魅惑として
「姉なるひとの墓」が置かれているように感じました。
(故人の作品やネットを介しての作品を拝見する際に思うこともありますが。)

「名前を撫づる」という行為から家族としての故人という意識があらわれてくるのでその方が良いのではないかと思います。
Posted by 北爪沙苗 at 2011年03月15日 20:52
「この世の空気吸いて去りし」:この三句六音には、「吸いて/去りし」と、呼吸のリズムのようなものが感じられ、短い間だけれど、この世の空気を吸って亡くなったということを、うまく伝えているように思います。二句「この世の空気」は、助詞をきちんと入れて「この世の空気を」とした方が良いと思います。
「8カ月」:算用数字「8」は、歌全体の雰囲気から浮いているように感じられます。漢字で表記した方が、優しい気持も表現できるように思うのですが。例えば、「八か月」とか。
「吸いて」:「去りし」、「撫づ」の連体止めと、古語が使われているので、「吸いて」は「吸ひて」になるのではないでしょうか。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年03月16日 19:30
 わたしも大室さんのおっしゃるように「八」がよいと思います。また、「吸いて/去りし」、「この世の空気」についても同意見です。
 あえて「生後」や「赤ちゃん」などの言葉をつかわず、かつ、「姉なる」としたことによって、その人の存在が作者のなかでどう感じられているかが浮かび上がっているように思います。
Posted by 來宮有人(きのみやあると) at 2011年03月22日 15:32
単語の多いうた。「8カ月」「この世の空気」「姉なるひと」「墓の名」。その間に「吸いて去りし」「撫づる」と息の短い動詞が入っているので、うたの内容のわりあいにリズムが細かい。内容に合わせるために、もう少し単語を削ってはどうでしょう。
「姉なるひとの墓の名撫づる」とまで言わなくても、八カ月しかこの世に居なかったことはわかっているので、「彫られたる姉の名を撫づ」くらいでいいのではないでしょうか。「去りし」も不要と思われます。
今の語順ですと初めから終わりまでで「はい、説明しました」という感じなので、上句と下句をひっくり返してもいいかと思います。
ネット歌会は横書きなので8カ月とつい書いてしまわれたのではないかと思いますが、短歌は普通縦書きのものなので、「八カ月」とするべきでしょう。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年03月26日 18:25

この記事へのトラックバック