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2011年03月02日
第4回ネット歌会詠草/1
[嵐山にて]
竹林のつづく通路に葉ずれ漏る黒猫するり横切りてゆく
*カッコ内は詞書
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posted by 短歌人会 at 17:26|
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この記事へのコメント
「竹林」「つづく」「通路」「葉ずれ」「漏る」「するり」に音の脈絡があり、韻律感のある歌です。
「竹林のつづく通路に葉ずれ漏る」:この「葉ずれ」というのは、竹の葉の「葉ずれ」の音のことを言っているのでしょう。「漏る」というのは、「何かの向こう側にあるものが、その何かを通してこぼれてくる」という意味になるかと思います。ですから、例えば「光が竹の葉のあいだから漏れる」というのなら問題ないのですが、「竹の葉ずれの音が竹の葉のあいだから漏れている」となると、どうも違和感を覚えます。「葉ずれ」というのは、葉と葉のあいだに生じるものなので。この「漏る」という動詞、もっとぴったりとした表現があるような気がするのですが。
「黒猫」:詞書がありますので実景と読みましたが、「黒猫」というのは、意味ありげで、余計なイメージを多分にまとった生き物です。「黒猫」を歌に詠むのは難しいと、いつも思います。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年03月10日 16:26
私もやはり「漏る」が気になりました。「音が(外に)もれる」という言い方はありますが、この歌のような状況では使わないと思います。
また、この歌に限りませんが、詞書を添えることにいつも疑問を持っています。確かに有った方が歌がよく分かるとは思います。詞書の力を借りなければダメというのでは歌として論外ですが、無くても良いけれどある種の効果をねらってつけるのでしょう。この歌では、「嵐山」は有名な場所ですからより具体的な光景が思い浮かぶということでしょうか。ただ、嵐山を良く知らない人にとっては意味がない?
詞書についてのご意見をどなたかお聞かせ下さい。
Posted by 槙村(まきむら)容子 at 2011年03月11日 11:51
(雲南省より地震・津波による被害者のみなさまにおくやみもうしあげます)
詞書は、和歌の時代からあるし、現在でも日付というかたちで、とかで多用する歌人もいます。全ての題詠も、広義では詞書ともいえるとおもいます。要は、それぞれの歌人の短歌に対するスタンスの問題であり、詞書を使わない派の歌人が、使う派の歌人を非難するべきではないとおもいます。使う派の歌人は、己の信念のもとに使って、いい歌を作ればいいのではないでしょうか。
「嵐山」くらい有名なら、知らない0.72(?)パーセントの人のことを考えるより、いい歌にするべく推敲に時間と労力を使った方が正解でしょう。「嵐山」で不安感をもったら「浅草」や新幹線や富士山やさくらも心配しないといけないかもしれません。
一般的には、あまり知名度のない固有名詞・地名・人名などは、詞書には、なじまないとおもわれます。しかし、その歌人の専門分野などをどしどし作品や詞書に入れていくタイプの歌人なら、知名度のない固有名詞でも、どんどん入れて歌を作るのも一つの戦略になり得る可能性もあるとおもわれます。
Posted by 山寺修象 at 2011年03月12日 07:26
「竹林のつづく通路」で視覚情報(ワタシは覆いかぶさるような緑色をおもいました)、
「葉ずれ」で音声情報とイメージが移っていって、「黒猫」でふたたび視覚情報に戻るので
落ち着かないカンジがしました。どっちを見たら(聞いたら)いいのかな?というような。
「竹林のつづく通路」に「黒猫」がきた、と色の対比を描くか、
「葉ずれ」の中を「黒猫」が無音で通った、とか音の対比を描くか
……など、モチーフを絞ったらどうだったろう、と思いました。
「漏る」のこと。前評のお二人と同じように「アレッ」というような印象でした。「降る」ならわかるけどな、とおもいました。
詞書のこと。ワタシは嵐山に行ったことはないのですが、この歌を読んで自分の知っている竹林を思い出すことはできました。
嵐山とは異なるのでしょうが、読んだ人それぞれに竹林をイメージするので、この歌でしたら詞書はなくても大丈夫かな、と。
Posted by 砺波湊 at 2011年03月14日 13:41
前評の皆さんの「漏る」に関しては、わたしも同感します。
嵐山辺りの静謐な情景がよく描写されていると思いますけれど、上の句がややきゅうくつな気もしますので、もう少し簡潔にすると、より静謐感が増すのではと思いました。
また、詞書きについての山寺修象さんのコメントは、勉強になりました。今までは詞書きを使ったことがありませんでしたけれど、チャレンジしてみたいと思います。
Posted by 弘井文子 at 2011年03月25日 13:40
「竹林」「通路」「黒猫」すべて普通名詞なので、この歌の場合わざわざ「嵐山」という詞書を入れる必要性は感じませんでした。詞書の「嵐山」自体もあまりに漠然としすぎているので、どんな竹林か、どんな通路か、をもう少し詠めば、嵐山という詞書はこの歌では必要ではなかったのではないでしょうか。
もっとも、関西圏以外の人からすると、「嵐山」というだけで何か一つの風景を醸し出す効果があるのかもしれないですね。
詞書自体に関しては、非常に有効な場合があると思います(個人的には会員1なので、まだ使えないです…)。
「葉ずれ漏る」は詩的と言えなくもないのかもしれないけど、やはり前評者の方々と同じく多少の違和感を感じます。
綺麗な絵、としての一首としては出来上がっているのかもしれませんが、それ以上につかみどころが得られないでいます。
Posted by 勺 禰子(しゃく・ねこ) at 2011年03月27日 18:59
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「黒猫」:詞書がありますので実景と読みましたが、「黒猫」というのは、意味ありげで、余計なイメージを多分にまとった生き物です。「黒猫」を歌に詠むのは難しいと、いつも思います。
また、この歌に限りませんが、詞書を添えることにいつも疑問を持っています。確かに有った方が歌がよく分かるとは思います。詞書の力を借りなければダメというのでは歌として論外ですが、無くても良いけれどある種の効果をねらってつけるのでしょう。この歌では、「嵐山」は有名な場所ですからより具体的な光景が思い浮かぶということでしょうか。ただ、嵐山を良く知らない人にとっては意味がない?
詞書についてのご意見をどなたかお聞かせ下さい。
詞書は、和歌の時代からあるし、現在でも日付というかたちで、とかで多用する歌人もいます。全ての題詠も、広義では詞書ともいえるとおもいます。要は、それぞれの歌人の短歌に対するスタンスの問題であり、詞書を使わない派の歌人が、使う派の歌人を非難するべきではないとおもいます。使う派の歌人は、己の信念のもとに使って、いい歌を作ればいいのではないでしょうか。
「嵐山」くらい有名なら、知らない0.72(?)パーセントの人のことを考えるより、いい歌にするべく推敲に時間と労力を使った方が正解でしょう。「嵐山」で不安感をもったら「浅草」や新幹線や富士山やさくらも心配しないといけないかもしれません。
一般的には、あまり知名度のない固有名詞・地名・人名などは、詞書には、なじまないとおもわれます。しかし、その歌人の専門分野などをどしどし作品や詞書に入れていくタイプの歌人なら、知名度のない固有名詞でも、どんどん入れて歌を作るのも一つの戦略になり得る可能性もあるとおもわれます。
「葉ずれ」で音声情報とイメージが移っていって、「黒猫」でふたたび視覚情報に戻るので
落ち着かないカンジがしました。どっちを見たら(聞いたら)いいのかな?というような。
「竹林のつづく通路」に「黒猫」がきた、と色の対比を描くか、
「葉ずれ」の中を「黒猫」が無音で通った、とか音の対比を描くか
……など、モチーフを絞ったらどうだったろう、と思いました。
「漏る」のこと。前評のお二人と同じように「アレッ」というような印象でした。「降る」ならわかるけどな、とおもいました。
詞書のこと。ワタシは嵐山に行ったことはないのですが、この歌を読んで自分の知っている竹林を思い出すことはできました。
嵐山とは異なるのでしょうが、読んだ人それぞれに竹林をイメージするので、この歌でしたら詞書はなくても大丈夫かな、と。
嵐山辺りの静謐な情景がよく描写されていると思いますけれど、上の句がややきゅうくつな気もしますので、もう少し簡潔にすると、より静謐感が増すのではと思いました。
また、詞書きについての山寺修象さんのコメントは、勉強になりました。今までは詞書きを使ったことがありませんでしたけれど、チャレンジしてみたいと思います。
もっとも、関西圏以外の人からすると、「嵐山」というだけで何か一つの風景を醸し出す効果があるのかもしれないですね。
詞書自体に関しては、非常に有効な場合があると思います(個人的には会員1なので、まだ使えないです…)。
「葉ずれ漏る」は詩的と言えなくもないのかもしれないけど、やはり前評者の方々と同じく多少の違和感を感じます。
綺麗な絵、としての一首としては出来上がっているのかもしれませんが、それ以上につかみどころが得られないでいます。